魔斬

夢酔藤山

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人形奇譚

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                 七



 果たしてこの人形は、何故にこうまで異常な程の憎悪を身に纏ったのか。どうして感情を抱き意思を持つに至ったのか。この魔斬りの真の解決はそこにある気がした。ただ斬り捨てればいいという問題ではない。
「ん?お前ぇ、まだいたのか」
 白川公徳が尾いていた。
「あんたの役目はもうないよ」
「その人形を何とする」
「そこから先は云わずがものよ。オレにだってやるべき事がある」
「人を殺めし下手人なれば、引き渡し候え」
「奉行に云うぞ。オレの邪魔すりゃ、手前ぇは首が飛ぶぜ」
「ならば見届ける」
「勘弁しろよ。こちとら役人につきあってる暇はねぇんだ。それに足手まといだぜ」
「立ち会う」
「殺されても知らねぇからな。オレは人の面倒まで見てらんねえぜ」
 困った男だ。魔斬りの段まで付きまとわれるとは思いもしなかった。こいつから逃げるには
(あそこしかねえや)
 山野堀の浅草新町へ逃れた浅右衛門は
「こいつは埒外を知らぬ。入れると浅草のお頭に叱られるぜ」
と門番に言い含めた。
 穢多非人の巣窟までは入ることも出来ず、地団駄踏んで悔しがる白川公徳であった。
 花吉は浅右衛門の護符の効力が
「思いの外」
いいので満足していた。更なる結界を二重に結び、そのなかで
「箱を開けてもいいですよ、旦那」
 山田浅右衛門は箱の封緘を破いた。
 途端、中から人形が白くか細いその手を伸ばしてきた。
「動かないよ」
 花吉は言い終わるより早く、紐状呪符をその手に縛り付けた。人形は動きを止めた。
 結界の外からは車善七が身を乗り出すように
「旦那、言いつけ通りに宰相を呼んでます。どうしやすか」
「ここへ、連れてきてくんねえか」
「へえ」
 渡り巫女の宰相は、降霊術に長けている。今度の人形について、その長きに渡る怨念の正体を浅右衛門は知りたかった。そのために宰相を呼んだのだ。
 結界をいとも簡単にすり抜けてくる宰相という女は、ある意味、化け物のようなものだ。見た目は三〇代そこそこなのに、もう齢は六〇を越えている。時には、そんな女もこの世には現れるのだ。
「旦那、こいつの心は、冷たい闇のなかにあるねえ」
「そうかい」
「触れると凍えそうさ。あとで温かいの、馳走してくれないかい」
「易いとも」
 宰相は人形の上に手を翳した。
 ぶるぶる震えながら、やがて開いた宰相の口から出たものは、彼女の言葉ではなかった。
〈娘はどこ………わたしの娘は〉
 宰相の口から出たのは、人形に宿る怨霊のそれであった。
〈娘……わたしの娘……返せ、返せ……!〉
 宰相は瘧のように震え、虚空に伸ばすその手には青筋が浮かび上がっていた。
 数々の修羅場を潜ってきた筈の山田浅右衛門も、思わず背筋に冷たいものが走り鳥肌さえ浮かぶ程だ。花吉も、車善七も、つい後ずさりする重々しさである。
「あんたは、この人形に宿って多くの娘を殺めてきた。何故に人を殺め続ける」
 山田浅右衛門の問いに、人形は答えない。
 再度繰り返すと
〈うるさい……返せ……娘、返せ!〉
 宰相の手が瞬時に山田浅右衛門へ伸びた。咄嗟に払除けながら
「二〇年も昔に死んだ手前ぇは、もう数え切れない程の娘を殺してきたのだ。さっさと涅槃に帰れってんだ」
 その激昂に押されたのか、宰相に取り憑いた怨霊は逆上したかのように浅右衛門へ殴りかかってきた。つい浅右衛門は殴り返したが
「やべ、宰相の身体だった」
と舌を出した。宰相はそのまま蹲り、やがてゆっくりと顔を上げた。
「痛いねえ、旦那。女殴るなんて、最低ですよ」
「悪いな、つい」
「つい、で殴られる身にもなって下さいよ。旦那は大男なんだ。こちとら華奢な年寄りなんだからね」
「帰りに八百善寄ってこうぜ。もう、なんでも頼んでくれ。んで、どうだい、何か判ったか」
 宰相は水を飲み干して一心地就いてから
「この人形には魂がない。人形を動かしているのは別の怨霊だ」
「母親……だな」
「この人形の持ち主は、二〇年も昔に死んだ四歳の娘らしい。大店の一人娘で何不自由なく親の愛情を貰っていたんだ。この娘は当事江戸でも流行った西洋からの奇病で死んでしまった。確かコロリという病だ」
「ああ、今でも治せない奇病だな」
「この娘が死んでのち、店の運は傾いた。父親の投資先が連鎖的に潰れ、おまけに借金が嵩んで首を吊ったそうだ。母親はすっかり気が触れて、娘の可愛がっていたこの人形を、最後まで娘と信じていたそうだよ」
 人形が生きている娘を妬んで祟ったのではない。人形に憑依する母親の怨霊が、新しい持ち主を自分の娘として認め、その障りで結果的に祟り殺してきたのだ。その数が重なり続けて、人形自身が怨念の玩具となり、江戸の娘たちを渡り続けてきたのである。
「旦那、可哀想じゃないか。涅槃に送ってあげようよ」
 宰相はそっと結界の外へ出た。その僅かな外界との隙間を縫って、何者かの気配が一緒に外へ流れ出た。あっと気付く間もなく、宰相の背後には凄まじい形相の女の幽霊が現れた。その巨大な様は、とてつもない怨念の象徴である。
〈……返せ……娘を返せ!〉
 怨霊は宰相の髪をむんずと掴み、引摺るように持ち上げた。
「何をするのか」
 山田浅右衛門は村正を抜いて宰相を掴む手を払った。
 瞬間、結界がぶちっと切れた。
「しまった」
 花吉が注連縄を手繰る間もなく、怨霊は人形を奪うと、雷にも似た轟音と共に天空へ逃げていってしまった。山田浅右衛門は慌てて村正を振ったが、切っ先は及ぶことなく、まんまと取り逃がす結果に終わった。
 そこにいた誰もが、あまりの出来事に、呆然と空を眺めるしかなかった。
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