魔斬

夢酔藤山

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人形奇譚

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 三日、経った。徳兵衛の聞き込みは、実りが薄かった。
 ただ
「どうも八丁堀界隈の質屋で、妙に艶やかな日本人形を見た」
という証言を得られた。見た男は
「まるで生きているような気がした。その目に睨まれているようで、ゾッとした」
と語っている。
 そのことだけが手掛かりである。
「……八丁堀か」
 奉行所の役人たちが多い町だ。理解ある者はいいが、とかく奉行所の連中は山田浅右衛門を快く思ってはいない。薄給の彼らは、高給取りの不浄浪人として、何かと目の敵にしてくるのである。手掛かりは、存外掴み辛いだろう。
 さりとて放ってはおけない。
 この三月に変わったばかりの北町奉行・浅野和泉守長祚に、さりげなく情報提供を求めよう。
 山田浅右衛門は呷るように酒を胃の腑に流し込んだ。心なしか不味い酒のように思えてならなかった。

 八丁堀と俗称される地域は、奉行所の禄を食む役人が軒を連ねていた。もともと奉行所同心とは
「武士なら誰でも」
というものではなく、同心株というものを入手して初めて、同心某の家格を得る。だから代々家康の時代から務めている純粋血統の同心は、以外と少ないのである。御家人にしてもそうだ。
 かつては家康近辺を守護してきた親衛隊を〈旗本御家人〉といい、それも戦乱が終われば微禄のみで食うに困り、挙句は御家人株を売って浪人になる者も少なくない。日本人として初めてメリケンへ渡航した幕府海軍奉行・勝安房守安芳なども、元を辿れば父親のときに御家人株を買って現在に至ったほどである。
 八丁堀には、俗物が溢れている。
 誰もが強欲だし、不浄役人の汚名を欲しいままにしている。
 時として清貧を由とする堅物もいるが、彼らすべてに云えるのは
「気位が高い」
という点である。役人根性といってもいい。そんな彼らにとって、山田浅右衛門は蔑むべき存在であった。人の死を金に換え裕福を過ごす様に羨望を覚え、ゆえに憎み嫌った。
 そんな巣窟へ足を踏み入れたのは、人形の手掛かり如何でしかない。
(好き好んで来るトコじゃねえや)
 八丁堀界隈にある質屋は三軒、私服を肥やす悪らつな役人が、秘かに物品を金に換えるのに都合の良い。それらをぶらぶらと散策がてら見て回ったが、それらしい人形は店先にない。
(さては、売れてしまったかのう)
 聞いて廻ろうと、そのうちの一軒に入った。そこは薄暗くて質草の扱いも悪く埃とカビの臭いが鼻を突いた。胡散臭そうに店の奥から主らしき男が顔を出して
「売りかい、買いかい」
と聞いてきた。山田浅右衛門はずかずかと奥に入り
「赤ん坊くれえの大きさの日本人形を探している。ここに流れて来なかったかい?」
「人形……」
 質屋の顔色が変わった。
「なにか知ってるな」
「あんたこそ、人形の何を知っている」
「聞いているのはオレだよ。あんた人形のことを知っているな。知っているから青くなった。違うか?」
「……」
「お前ぇ、余所に売ったな」
「そうしなきゃ殺されちまう。仕方なかったんだ」
「殺される?」
 質屋は困惑した。言うつもりのない事を口走った為だ。だから顔を隠した。当惑を気取られない為である。しかし山田浅右衛門は質屋の耳元へぬっと顔を寄せて
「脅されたのかい」
 質屋は目を剥いた。図星らしい。
「いいから吐いちまえよ。楽になるぜ」
「……」
「意地も結構だがな、苦しいだけだと思うがな。ん?」
 質屋は大きく肩で息をした。
「人形……ありゃあ、化け物だ」
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