魔斬

夢酔藤山

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人形奇譚

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               一


 その日、野暮用を済ますために深川へ足を伸ばした山田浅右衛門は、その帰り道、久しぶりに桑名屋徳兵衛を訊ねた。
「おや、旦那」
 回船問屋から転職して以来、繁盛を重ねて、徳兵衛もすっかり料理屋の顔つきを決め込んでいる。この顔をみると、浅右衛門は必ずこう云う。
「いつもの丼、食いてえなあ」
 これは回船問屋時代からの自前料理として、桑名屋では好まれてきたもので、その頃から山田浅右衛門は相伴に預かっていた。だから徳兵衛にはそれだけで判る。
「すぐ出来ますから、そこいらに座っててくだせえ」
「えらい忙しそうだのう」
「へえ、おかげさまで」
 今日でいう深川丼のようなぶっかけ丼、それが浅右衛門のいう
「いつもの丼」
である。たちまち二杯平らげて、ようやく一心地就いたように
「徳よう。どうだい、このところ平穏かい」
と訊ねた。徳兵衛は一瞬顔を曇らせ
「実は旦那の耳に入れときたいことがあるんで。お時間取れるなら、店閉めるまで待って貰いたい」
「ああ、オレもそのつもりで寄ったのだ」
 一刻も経たずに桑名屋は暖簾を閉まった。そこで改めて、差し向かいに盃を傾けながら、徳兵衛は苦々しい表情で呟いた。
「ここには舟を扱う連中が寄る。何かと商家絡みの話も出るし、聞きたくないことまで聞かされます。が、こないだ、どうも厭な話を聞いちまったんですよ」
「ほう」
「人形がね、子供を憑き殺しているんです」
「なるほど」
 山田浅右衛門はにやりと笑った。
「旦那……まさか」
「オレもそれを追っているんだ。いま人形は誰の手元にあり、どこに存在しているのか。依頼を受けたばかりで何も手掛かりがないのさ。そこで商人に通じているお前ぇならと思ってな」
 それで、わざわざ深川まで。徳兵衛は合点がいった。
「ならば、商人連中から聞き出しますよ。三日後、寄ってくだせえ」
「助かるよ、頼む」
 徳兵衛も子供の父である。そんな忌まわしい人形に愛しき我が子を殺されたら、きっと気が狂ってしまうだろう。
悪魔のような人形は一刻も早く滅ぼしてしまいたい。
 山田浅右衛門のためなら何でもしてやろうと、徳兵衛は強く念じた。
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