魔斬

夢酔藤山

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死神奇譚

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               二十二



 師走二十九日。星のない、寒風の夜だった。
 神田和泉橋から牛込御門にかけて、山田浅右衛門は何度も往復した。これまで[死神]の辻切りが発生したのは、駿河台方面が多い。[死神]が剣客を求めている証だ。なぜなら神田から小川にかけては、北辰一刀流や神道無念流といった多くの剣術道場があり、御家人旗本や大名の屋敷が軒を列ねている。何よりも小川町講武所があって、江戸でも一際、武芸が盛んなところだ。
 ここで待っていれば、きっと[死神]に遭える。
 現に過去二度の邂逅も、神田の辺りだった。
(助六の仇を取れなくて、何が魔斬り稼業の山田浅右衛門だ……!)
 必死に心に念じて奮い立たせるのも、己の心の奥底にある
「恐怖」
は隠せなかった。
 何度目かの和泉橋に立ったときである。
「何をしている?」
 無愛想な声がした。振り返ると、懐かしい顔がそこにあった。
「浅草のお頭……いや、今はお頭じゃあねえな、御隠居とでもいうべきか」
「馬鹿野郎、儂がお頭だ。小太郎は偽の弾左衛門じゃ」
 まさしくそれは、幕臣・山岡鉄太郎の屋敷に逗留している浅草弾左衛門周司である。周囲には、すっかり用心棒気取りの若い穢多衆が取り巻いていた。
「あんたは、大馬鹿だ」
「あ?」
「あんた、助六の名前ぇくれえは覚えているだろう?」
「助六……?」
「忘れちまったのかい」
 首を傾げる浅草弾左衛門に、山田浅右衛門は容赦なく言葉を浴びせた。
「助六は死んだよ。山谷堀がごたごたしている間に、[死神]という辻切りに殺されちまった!」
 あれほど可愛がっていた助六の名前さえ浮かばないとは、なんとも情けない話だと、山田浅右衛門は憤りさえ覚えた。しかし、耄碌した年寄りを責めても何も報われない。
「いいかい、俺はこれから[死神]を魔斬りする。助六の仇討ちだけじゃねえ、こうしなけりゃあ、多くの江戸っ子が斬り殺されちまうからな」
 それだけ吐き捨てると、山田浅右衛門は再び神田川に沿って歩き始めた。
 振り返りはしなかったが、浅草弾左衛門はぶつぶつと呟いたまま立ち尽くしているようだった。そんな哀れなまでに、老いた浅草弾左衛門など見たくはなかった。
 虚しかった。
 憤りだけが、心の内を増した。
 そんな想いが心のなかを渦巻いて、どうにも頭のなかが重苦しくて、とにかく厭だった。そうこうしている間に、いつの間にやら、八ッ路原に山田浅右衛門は立っていた。
 と。
「なんだ、首斬り浅じゃねえか」
 陰気臭い声に、山田浅右衛門は顔を上げた。
(……ちっ)
 佐々木只三郎だ。
 何事も人を見下したような視線は、小川町講武所の頃から何ひとつ変ってはいない。
「ほう、そなたが山田浅右衛門殿か?」
 もうひとり、気安く声を掛けてくる気拵えの煌びやかな男がいた。
「なかなかの人物だと、浅草弾左衛門殿から聞いておるぞ。あんたには、一度は御目に掛かりたいと思うておった」
「失礼だが……」
 些かムスッとした口調で、山田浅右衛門は睨んだ。
「ははは、これは失敬。拙者、出羽庄内の藩士で清河八郎と申します」
「……清河」
「もしも志が御在りなら、新徴浪士隊はいつでも貴公を御迎え致します」
 その雄弁達者な口才に、山田浅右衛門はすっかり嫌気を覚えた。
 だから、つい
「これでも俺は首斬りが本職。人斬りは性には合い申さず」
「ふふふ」
「それに死人臭い野郎とは一緒にやりたくねえ連中も多いだろうよ。なあ、御旗本 佐々木只三郎もすぐにかっとなり、立ちに手を書けた。佐々木只三郎もすぐにかっとなり、太刀に手を書け、その手首を、目にも止まらぬ早さで清河八郎が掴み、これを制した。
(……成程、たしかに半端な手練じゃねえな)
 その所作に、思わず山田浅右衛門は息を呑んだ。
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