魔斬

夢酔藤山

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死神奇譚

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               十七


 その夜、千葉定吉のもとに客がきた。
 北辰一刀流門下で、いまは天然理心流試衛館の食客になっている山南敬助である。供は同じく北辰一刀流から天然理心流へと転身した藤堂平助、神道無念流から天然理心流へ転身した永倉新八のふたりである。
「珍しいなあ。どういう風の吹き回しだね」
 千葉定吉はかつて兄・周作の門下であった山南敬助・藤堂平助の訪問を、愚痴もいわずに快く迎え入れた。
「そちらはたしか……永倉さんとか云ったっけ?」
「よく私なんぞを」
「斎藤先生のところにいたのを、随分前に見掛けたことがあったからねえ」
 三人は道場に通された。
 夜分ゆえ手短に用件だけをと、慇懃な姿勢で山南敬助は手をつきながら
「このたびは、我ら将軍家御上洛警護の大任を果たすべく上洛することになりました。翁先生にはこの儀をお伝えしたかったのでござります」
「すると、新徴浪士隊に?」
「はい」
「確か……試衛館の若先生は……」
「近藤、近藤勇と申します」
「おお、そうであったな。それで、新徴浪士隊に加わるというのは、試衛館ぐるみの意思ということかい」
「ええ、天然理心流試衛館は総力をあげて、上様をお守りし、都で一旗上げようと考えております」
 千葉定吉は終始温和な表情でこれに応え続けた。青雲の志を抱く者にとって、清河八郎の奸計など無意味であった。理由はどうあれ王城の地へ旅立つ若者を、快く見送るのが当然の倣いと、千葉定吉は考えていた。
「で、いつに?」
「年明けの二月四日とか」
「慌ただしいな」
「ええ。具体的な話は、若先生が松平上総介様の御屋敷で。夕方頃に挨拶へ行かれただろうから、もう試衛館には戻られておるかと」
「ふうん」
 半刻も四方山話をして、山南敬助等は千葉道場を辞した。
(二月四日……松平上総介)
 千葉定吉は松平上総介という人物をよく知っていた。実直で生真面目な性格で、およそ清河八郎とは水と油のような男である。たぶん、彼は、幕閣から
「浪士取締の儀、しかと申し渡す」
などと命じられて
(奸計や策謀の裏を見通すこともなく)
ただ云われるままに就任したに違いない。
 翌早朝、千葉定吉は牛込二合半坂の松平上総介屋敷を訊ねた。恐らくは夜遅くか明け方まで何事か仕事をしていたのだろうか、目の下に隈をこしらえた松平上総介が居間で迎えた。
「久しいの」
 千葉定吉は挨拶もそこそこに、新徴浪士隊の詳細を訊ねた。
「おや、千葉門下も?」
「馬鹿いえ。俺の門下は出さぬよ」
「では、何故に?」
「江戸の名立たる名門道場が、どのくらい新徴浪士隊に関心を持っているのか、それが知りたいのさ」
 松平上総介は仮にも旗本である。とかく能もないのに威張り散らす輩が跋扈する昨今、一介の剣術家に気安く声を掛けられても平然としているのだから、松平上総介、ただの勤勉な堅物という訳でもない。
「名簿なんぞ、見るかい」
と、松平上総介は傍らに転がる文箱に手を延ばした。
「おいおい、御公儀の内緒だろう?」
 千葉定吉が慌てたのも当然だ。
 しかし、松平上総介は涼しい顔で
「今更そんなに構えずとも、当事者が市中で都行きを吹聴している。知らぬ者などおらぬのだよ」
「そりゃ、そうだ」
 名簿を手にとると、千葉定吉はざっと目を通した。どれもこれも余り聞かぬ名ばかりである。何だかんだ言っても、名のある者は参加せず、有名を馳せんと腕試しを志す者ばかりが集まったようだ。
「なんだ、この山本仙之助ってのは?」
 五番隊伍長に名を列ねる山本仙之助は
「よもや博徒の祐天じゃあるまいか」
と、千葉定吉は声を荒げた。
「そうさ。祐天仙之助だよ」
「おいおい……ヤクザもんに伍長をやらせるのかい」
「仕方がないのさ。人事の裁量が儂にはないのだから」
「誰の推挙だ?」
「斎藤熊三郎」
「誰だ、そいつは」
「清河の舎弟だよ。取締付にいるから、ヤクザを手懐けておきたいのだろうさ。なんせ祐天は博徒の親分だからな。子分と用心棒まで引き連れての参加とありゃあ、粗末な立場に置いとけねえのだろうよ」
「田舎ヤクザの殴込みじゃねえんだぜ」
 やれやれと、苦笑まじりに千葉定吉は名簿を返した。
「なんにしても、こんな処へは千葉一門を送り込むわけにはいかねえな」
「何を云ってるんだ。清河八郎という化物が、とっくにいるじゃねえか」
「その名前は、聞きたくもねえや」
 一礼して立ち去ろうとする千葉定吉を、松平上総介は慌てて呼び止めた。
「何年か前に、御宅のところで修業をしていた、確か土佐の……」
「坂本龍馬かい?」
「そうそう、その龍馬、な。脱藩の罪に加えて、長州藩に依り何かと幕府を批判する行動が目に余る。で、新徴浪士隊には上洛早々、都大路で見つけ次第、龍馬捕縛の命令が下されるとか」
「なんだって?」
「気の毒だが、佐々木只三郎がこの件に御執心でな。ゴロツキ連中を纏めるには、具体的な何かしらの目的が欲しいのだそうな」
「しかし!」
「反対かい」
「当り前ぇだろう」
 千葉定吉は身を乗り出して、こんな小さな事に幕府が神経を尖らせている場合じゃねえだろうと、思わず口を尖らせた。江戸城のお膝元でさえ、[死神]という化物が徘徊しており、今もなお手を拱いている。たかが素浪人ひとりに気を回す余裕があるのなら、こちらの方を何とかすべきである。
「この事を反対したのは、千葉先生を除いては軍艦奉行並の勝安房守のみ。幕閣の輩は佐々木の言を清河の言と信じ、それの遂行を黙認する姿勢でね。これは、もう曲げられないのさ」
 坂本龍馬は千葉定吉手ずから
「北辰一刀流長刀兵法目録」
の免許を許したほどの人物だ。土佐から二度ほどお玉ヶ池の道場に修業に出、その才能は突出している。千葉佐那並の腕に上達するのに、差程の時間を要しなかった。土佐を脱藩してからの坂本龍馬は、勝安房守芳安(海舟)の弟子になり、長崎海軍伝習所で航海術を学び、広い視野と卓見で、誰も予想し得ない発想を買われて長州の桂小五郎や高杉晋作等に庇護されている。
(長州の庇護があれば、龍さんのことだ、むざむざ殺されはしないだろうよ)
 そう信じるしかない千葉定吉であった。
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