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死神奇譚
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十四
暮れ六つとは言うもので、その頃になると辺りはすっかり暗くなっていた。
「後日、手を借りるぜ」
そう言い置き、そこで助六と別れた山田浅右衛門は、日本橋方面へ歩きだした。御堀端までいけば駕籠くらいは拾えるだろうと考えたのである。
室町一丁目までくると、雪は本降りになった。界隈の駕籠屋も
「すいやせん、旦那。これじゃあ、とても担げませんぜ」
と断る始末で、止むなく山田浅右衛門は雪のなか、駕籠屋から借りた空傘と提灯を手に歩きだした。
大変な雪である。指先は悴んで、提灯の蝋燭の炎で時折指先を炙らねば、とても我慢が出来なかった。
と。
雪の彼方に人影がみえた。
「おおい、山田殿か?」
その声は、千葉重太郎のそれであった。供は四人、その一人は千葉佐那である。
「偉い御方が揃いも揃って、雪見とは思えませんぜ。どうかしなすったんですかい?」
「ああ、丁度いいや。山田殿にも聞かせたいと思っていたんだ。ちょいと、お玉ヶ池まで付き合っておくれ」
「表で軽々しく立ち話出来ねえ……そういうことかい」
「ま、そういうこった。ところで、お前さんは、こんなところで?」
「へへへ、猪が旨くて、ちょいとな」
半ば呆れたような苦笑を浮かべて、千葉重太郎は山田浅右衛門の背を叩いた。一行は雪のなかを歩きだした。
と。
妖気にも似た殺気が、瞬時に辺りへと満ちていった。それはまさに、[死神]の気配である。身に覚えのあるそれに気付いた千葉重太郎・佐那、山田浅右衛門は、咄嗟に抜刀して周囲を伺った。が、それを察知できない二人の千葉門弟は、何事かと立ち竦んだ。それはまさしく格好の的であった。
「ギャッ」
二人は鈍い悲鳴を上げて倒れた。
三人はそちらを振り向いた。そこには黒衣の浪人が、あのときと同様に、にやりと笑みを浮かべてゆらりと立っていた。
「重太郎殿、こいつは人ではない。尋常に立ち合おうとは考えるな!」
大太刀を身構えながら、山田浅右衛門はじりじりと間合いを詰めていった。魔斬りに用いる大太刀ならば、いつぞやのような不様なことはあり得ない。どんなに汚れた魂でも、彼岸へ払う魔力を持つのが大太刀なのだ。
「なんの、北辰一刀流は邪悪なものに立ち向かう活人剣。足手纏いにはならぬよ!」
と、千葉重太郎も別方向より身構えた。
いま[死神]は三方のうち二方を固められて、残る一方は堀に行く手を遮られている。
「もう、逃げられないぞ」
更にもう一歩、山田浅右衛門は間合いを詰めた。途端、黒衣の浪人は、大きく振り翳しながら突貫してきた。
「斬……!」
山田浅右衛門の斬撃は、紛れもなく黒衣の浪人を捕らえた。魔斬りは成功した筈だ。
が。
まるで何事もなかったように、[死神]はその場に立っていた。
「ば……馬鹿な!」
山田浅右衛門は驚愕した。魔斬りで斬れぬものは、彼岸へ送るべき怨念、すなわち〈魂〉を持たぬものだけだ。ならば、[死神]には魂がないというのか。その動揺に付入るように、[死神]は山田浅右衛門へ、大きく斬り付けた。
一瞬早く、千葉佐那が[死神]の背後に斬り付けたのが功を奏したのか、その斬撃は軌道を鈍らせた。切っ先は山田浅右衛門の手前の空を斬った。しかし、その衝撃が掠めたのか、大太刀の先端に、罅が入った。
山田浅右衛門は大太刀を一閃して、再度[死神]に斬撃を試みた。しかし、[死神]はそれを太刀で受けとめた。
その瞬間。大太刀は微塵に砕け散った。
「山田殿、逃げろ!」
千葉重太郎と佐那が必死で[死神]に斬り込んだ。しかし、山田浅右衛門は、余りにも突然の出来事に立ち竦んでいた。千葉重太郎は幾度となく斬り込んだ。斬っては引いて、引いては斬った。それに呼吸を合わせ、千葉佐那も潮の如く斬り付けた。
そのうち騒ぎを聞き付けたのか、近くの旗本屋敷から
「辻切りか」
と、大勢が駆け付け、二重三重に、黒衣の浪人を包囲していった。
黒衣の浪人は薄笑いを浮かべると、後ろの囲みを斬り破って、雪のなかへと消えていった。
山田浅右衛門はしかし、依然として放心したまま、その場に立ち尽くしていた。身の失った大太刀の掴を握り締めたまま、すっかり放心状態の山田浅右衛門は、一先ず神田お玉ヶ池の千葉道場に担ぎ込まれた。
やがて、千葉佐那の使いに呼ばれて、助六が駆け付けた。助六の他にも浅草小太郎と車善七が附いてきた。
「……旦那」
すっかり我を失い放心している山田浅右衛門の姿に、三人は絶句した。助六にしてみれば、ほんのさっきまで一緒だっただけに
「余りの変り様」
に驚きを隠せなかった。
浅草小太郎は千葉重太郎に深々と頭を下げながら
「先日は養父の件で不愉快な想いをなされた由。ついでの場で申し訳ござらぬが……」
「いいってことよ。それよりも、お前さんは話の判るクチかい?」
「は?」
「お前さんの養父殿のように、人の話に聞く耳は持たねえクチかい」
「いえ、この小太郎で解る話ならば」
穢多の事をよくは理解出来ないが、この浅草小太郎が事実上の頭目であることを見込んで、千葉重太郎は佐那を伴い小太郎を別室へ誘った。車善七と助六は残り、心配そうに山田浅右衛門を見守るのであった。
千葉道場の奥の間は、隠居したとはいえ、未だ絶大な影響力を有する千葉定吉の寝室兼居間である。
「ああ、山田殿が来ると思うたら、弾左衛門殿かえ」
威厳という言葉からおよそ無用と言わんばかりの着流し姿で、千葉定吉は穏やかに笑いながら迎えた。剣聖・千葉周作の弟として、それの亡き後も北辰一刀流の重鎮となり、若き者等に指導するのが現在の千葉定吉の務めである。そして、あくまでも本流を継ぐのは兄の子・千葉栄次郎であるとし、日陰の立場を自重してきた。重太郎も佐那も、残るふたりの妹等も、父の日陰の精神を十分理解し、術師を極めつつも本筋を脅かす真似だけは謹んできた。
暮れ六つとは言うもので、その頃になると辺りはすっかり暗くなっていた。
「後日、手を借りるぜ」
そう言い置き、そこで助六と別れた山田浅右衛門は、日本橋方面へ歩きだした。御堀端までいけば駕籠くらいは拾えるだろうと考えたのである。
室町一丁目までくると、雪は本降りになった。界隈の駕籠屋も
「すいやせん、旦那。これじゃあ、とても担げませんぜ」
と断る始末で、止むなく山田浅右衛門は雪のなか、駕籠屋から借りた空傘と提灯を手に歩きだした。
大変な雪である。指先は悴んで、提灯の蝋燭の炎で時折指先を炙らねば、とても我慢が出来なかった。
と。
雪の彼方に人影がみえた。
「おおい、山田殿か?」
その声は、千葉重太郎のそれであった。供は四人、その一人は千葉佐那である。
「偉い御方が揃いも揃って、雪見とは思えませんぜ。どうかしなすったんですかい?」
「ああ、丁度いいや。山田殿にも聞かせたいと思っていたんだ。ちょいと、お玉ヶ池まで付き合っておくれ」
「表で軽々しく立ち話出来ねえ……そういうことかい」
「ま、そういうこった。ところで、お前さんは、こんなところで?」
「へへへ、猪が旨くて、ちょいとな」
半ば呆れたような苦笑を浮かべて、千葉重太郎は山田浅右衛門の背を叩いた。一行は雪のなかを歩きだした。
と。
妖気にも似た殺気が、瞬時に辺りへと満ちていった。それはまさに、[死神]の気配である。身に覚えのあるそれに気付いた千葉重太郎・佐那、山田浅右衛門は、咄嗟に抜刀して周囲を伺った。が、それを察知できない二人の千葉門弟は、何事かと立ち竦んだ。それはまさしく格好の的であった。
「ギャッ」
二人は鈍い悲鳴を上げて倒れた。
三人はそちらを振り向いた。そこには黒衣の浪人が、あのときと同様に、にやりと笑みを浮かべてゆらりと立っていた。
「重太郎殿、こいつは人ではない。尋常に立ち合おうとは考えるな!」
大太刀を身構えながら、山田浅右衛門はじりじりと間合いを詰めていった。魔斬りに用いる大太刀ならば、いつぞやのような不様なことはあり得ない。どんなに汚れた魂でも、彼岸へ払う魔力を持つのが大太刀なのだ。
「なんの、北辰一刀流は邪悪なものに立ち向かう活人剣。足手纏いにはならぬよ!」
と、千葉重太郎も別方向より身構えた。
いま[死神]は三方のうち二方を固められて、残る一方は堀に行く手を遮られている。
「もう、逃げられないぞ」
更にもう一歩、山田浅右衛門は間合いを詰めた。途端、黒衣の浪人は、大きく振り翳しながら突貫してきた。
「斬……!」
山田浅右衛門の斬撃は、紛れもなく黒衣の浪人を捕らえた。魔斬りは成功した筈だ。
が。
まるで何事もなかったように、[死神]はその場に立っていた。
「ば……馬鹿な!」
山田浅右衛門は驚愕した。魔斬りで斬れぬものは、彼岸へ送るべき怨念、すなわち〈魂〉を持たぬものだけだ。ならば、[死神]には魂がないというのか。その動揺に付入るように、[死神]は山田浅右衛門へ、大きく斬り付けた。
一瞬早く、千葉佐那が[死神]の背後に斬り付けたのが功を奏したのか、その斬撃は軌道を鈍らせた。切っ先は山田浅右衛門の手前の空を斬った。しかし、その衝撃が掠めたのか、大太刀の先端に、罅が入った。
山田浅右衛門は大太刀を一閃して、再度[死神]に斬撃を試みた。しかし、[死神]はそれを太刀で受けとめた。
その瞬間。大太刀は微塵に砕け散った。
「山田殿、逃げろ!」
千葉重太郎と佐那が必死で[死神]に斬り込んだ。しかし、山田浅右衛門は、余りにも突然の出来事に立ち竦んでいた。千葉重太郎は幾度となく斬り込んだ。斬っては引いて、引いては斬った。それに呼吸を合わせ、千葉佐那も潮の如く斬り付けた。
そのうち騒ぎを聞き付けたのか、近くの旗本屋敷から
「辻切りか」
と、大勢が駆け付け、二重三重に、黒衣の浪人を包囲していった。
黒衣の浪人は薄笑いを浮かべると、後ろの囲みを斬り破って、雪のなかへと消えていった。
山田浅右衛門はしかし、依然として放心したまま、その場に立ち尽くしていた。身の失った大太刀の掴を握り締めたまま、すっかり放心状態の山田浅右衛門は、一先ず神田お玉ヶ池の千葉道場に担ぎ込まれた。
やがて、千葉佐那の使いに呼ばれて、助六が駆け付けた。助六の他にも浅草小太郎と車善七が附いてきた。
「……旦那」
すっかり我を失い放心している山田浅右衛門の姿に、三人は絶句した。助六にしてみれば、ほんのさっきまで一緒だっただけに
「余りの変り様」
に驚きを隠せなかった。
浅草小太郎は千葉重太郎に深々と頭を下げながら
「先日は養父の件で不愉快な想いをなされた由。ついでの場で申し訳ござらぬが……」
「いいってことよ。それよりも、お前さんは話の判るクチかい?」
「は?」
「お前さんの養父殿のように、人の話に聞く耳は持たねえクチかい」
「いえ、この小太郎で解る話ならば」
穢多の事をよくは理解出来ないが、この浅草小太郎が事実上の頭目であることを見込んで、千葉重太郎は佐那を伴い小太郎を別室へ誘った。車善七と助六は残り、心配そうに山田浅右衛門を見守るのであった。
千葉道場の奥の間は、隠居したとはいえ、未だ絶大な影響力を有する千葉定吉の寝室兼居間である。
「ああ、山田殿が来ると思うたら、弾左衛門殿かえ」
威厳という言葉からおよそ無用と言わんばかりの着流し姿で、千葉定吉は穏やかに笑いながら迎えた。剣聖・千葉周作の弟として、それの亡き後も北辰一刀流の重鎮となり、若き者等に指導するのが現在の千葉定吉の務めである。そして、あくまでも本流を継ぐのは兄の子・千葉栄次郎であるとし、日陰の立場を自重してきた。重太郎も佐那も、残るふたりの妹等も、父の日陰の精神を十分理解し、術師を極めつつも本筋を脅かす真似だけは謹んできた。
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