魔斬

夢酔藤山

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死神奇譚

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               四


 とある夕刻。
 北町奉行・小笠原長門守長常はお忍びで、浅草山谷堀の新町へと出向いた。
(これは魔性の沙汰。人智の手に負えるものに非ず!)
 そう認識していたからこそ、表向き剣豪を集わせ[死神]退治を奨励しておきながら、内々のうちに魔斬りの依頼をすべくこの地に赴いたのである。
 しかし。
 浅草弾左衛門一家は、例の〈身分引上〉を巡り、内輪揉めの状態だった。
 浅草弾左衛門周司は血走った眼に、時折狂気の光を輝かせて、稀客である小笠原長常の話に耳を傾けることなく、己の主張や正義ばかりを吹聴し、挙句は清河八郎を誉めそやし
「我らを解放するきっかけを持ってきた大恩人じゃ」
と浮かれたように幾度となく繰り返すのであった。
「長吏頭のあんたなら、それが戯言と承知だろう?清河八郎って男はな、口八丁手八丁で通っているんだよ。あんた程の男がそれを見抜けねえとは。とにかく、まんまと乗せられて、あとで泣きを見るのは山谷堀のお頭だぜ。あんたらの誇りである結束を、自分から壊しちゃいけねえよ」
「なにをいうか」
と、何やら自分の言葉に興奮し、すっかり頭の巡りの鈍くなった浅草弾左衛門である。それを、小笠原長常はやんわりと窘めた。
 しかし、浅草弾左衛門は、頑として納得しない。
 それどころか、小笠原長常を
「身分の上に胡坐を掻いている輩」
と罵倒し、激しい口調で罵詈雑言を浴びせたのである。まるで取りつく島のない様に、小笠原長常は憮然と去るよりなかった。
 屋敷玄関口で草履を履こうとしていると、精悍な男が駆け寄り
「どうか、御無礼をお許し下さい」
と慇懃に非礼を詫びた。
「そなたは?」
「はい、浅草弾左衛門の養子で、小太郎と申します」
 小笠原長常は浅草小太郎の名を知っていた。
「ああ、表向きはそなたが長吏の頭として、お上の仕事を支えているのだったな。噂には聞いていたが、そういや、顔を拝むのは初めてだったのう」
と小笠原長常は目を細めた。
「そんなことよりも、養父が大変失礼なことを……。なんとお詫びしたらよいものか」
「いや、な。お頭が長患いしていた噂は聞いていたのだが、まさかあれほど迄に、頭の巡りが悪うなっていたとは、正直、驚かされたぞ」
「いまの養父は尋常ではないのです。どうか真に受けずに、聞き流してやってください」
 必死で詫びるものの、浅草弾左衛門にとって今の浅草小太郎は
「己の考えに賛同せぬ不肖の養子」
でしかない。激しい敵愾心を向けられているにも関わらず、それでも浅草小太郎が養父を庇いたてする姿に、小笠原長常も苛立ちと腹立たしさを徐々に収めていった。
 新町の出入門まで来て、小笠原長常もようやく表情を和らげて、浅草小太郎の肩を叩いて頷いた。
「この小太郎、今まで通り表の長吏頭としてお上の御用に携わる所存。養父に為変わり、これからは魔斬りも私が承りましょう」
「左様か」
「御奉行様が本日お越しになったのは、よもや魔斬りの相談では?」
「うむ」
「もし宜しければ、この小太郎に任せては貰えますまいか?」
 いや、それは出来ぬと、小笠原長常は首を横に振った。
「山谷堀がこのような様では、とても頼める状況ではない」
と、小笠原長常は強く断言した。そして、魔斬りの的が噂の[死神]なのだと云い添えた。
 浅草小太郎は息を服んだ。
 巷で噂の[死神]である。よもや知らぬ筈はない。しかも西国方面の穢多仲間の情報網により、京都に蠢いていた頃の動向も聞いていた。その神出鬼没にして残忍な様は
(とても生人の仕業ではない)
と、浅草小太郎も考えていた。
「御奉行様。この[死神]に関しては、私も魔性の類と思います。鬼か狂った怨霊か、いずれにせよ、これを滅ぼさねば、市井の秩序は守れますまい」
「そうよ」
「出来るものなら、この魔斬り……」
「いや、頼めぬ」
「……」
「そうであろう?結束の欠いたそなたたちには、この[死神]は手に余る!」
 小太郎は苦々しく頷いた。
 確かに今の山谷堀の内情を抱えていては、恐らくまともな魔斬りになるまい。
「この一件、浅へ直に頼もうと思う」
「浅の旦那へ?」
「もう、他に頼める者もおらぬでの」
「……左様ですね」
 項垂れる小太郎の肩を叩きながら
「次からは、そなたに頼む。気にするな」
「はあ」
「それよりも、内輪揉めの方を、早く纏めておくれよ」
 小笠原長常の言葉に、何も返せぬ小太郎であった。
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