魔斬

夢酔藤山

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死神奇譚

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               三



 その頃、忌まわしい風聞が巷を騒がせていた。
 都で怖れられた人斬りが、何やら江戸にやってきたらしいというのだ。
 その者は都で多くの者を斬り、氏素性も判らず、人からはただ[死神]とだけ呼ばれ、恐れられた。しかもこの男、思想の有無も問わず
(あたかも)
悦楽殺人に興じるが如く、凶刃を振るったという。
 幕府方は勿論のこと、志士と称する尊皇攘夷論者たちも、この[死神]を恐れた。
「人斬りには、人斬りを」
と、多くの用心棒を抱える始末。
 その様に辟易したのか、それとも興を冷ましたか、この[死神]は、突如都から姿を消した。そして、芝白金の熊本藩下屋敷前にて、辻切りが起きた。被害者は、駕籠掻きである。熊本藩下屋敷へ細川家用人を送り届けた駕籠掻きが、こともあろうか、門前で斬られたのだ。それを取り押さえようとした細川家の用人五人も、その場で返り討ちとなった。
 皆殺しだ。
 その残虐な手口は、藩邸より始終を見届けた多くの者の証言により
「洛中を騒がす[死神]にさも似たり」
とされた。
 事実、京の熊本藩邸に裏付けを取ったところ
「都大路からは[死神]が消えて久しい」
という返事があった。
 これにより、忌まわしい風聞が江戸市中に蔓延る仕儀に至る。
 追い打ちを掛けるように、芝高輪の豊前中津藩奥平大膳太夫下屋敷前で同じ手口で人が斬られた。このときは、坂下から久留米藩有馬家下屋敷と薩摩藩島津家下屋敷から多くの侍がこれを取り押さえようと殺到したが、すべて返り討ちにされてしまったのである。京に詳しい西国の藩に、これほどの印象を与えた辻切りは、まぎれもなく[死神]だと断定された。
 町奉行所並びに火付盗賊改めは
「見付け次第取り押さえるものなり。生死の有無は問う限りに非ず」
と沙汰した。しかし、[死神]の凶刃の前には、奉行所はおろか火盗改めも翻弄され、手掛りひとつ得ることもなく、徒に犯行を許していったのである。
「あれは人に非ず、化物なり」
 誰いうともなくそう評された[死神]を、市井はすっかり恐れた。
 夜の出歩きは絶え、江戸はすっかり人の通わぬ闇夜になってしまった。しかも、江戸に腰を据える、従来からの辻切りまで息を殺してしまった。それなりに治安がよくなったのかもしれない。
 が、[死神]による無差別暗殺は衰えを知らなかった。
 化物の類という風聞が為か、火盗改めなどは
「専門の外である。こんなものは捕縛に値するものではない。坊主でも何でもいいから、調伏退散を祈願させるべし!」
と及び腰になり、この一件から早々に手を引いてしまった。
 この体たらくに忿懣やるせない南町奉行所では、江戸市中に溢れる浪人剣客どもに
「討ち取りし者には報奨金百両を進呈するものなり」
と、いわゆる賞金稼ぎを集った。
 この公募には、百を下らぬ数の
「我こそ腕に覚えあり」
と自負する輩が殺到した。中には、腕におぼえのある旗本も、身分を偽って参加していたほどだ。
 が、たかが十日も経たぬ間に、彼ら賞金稼ぎは[死神]に返り討ちにあった。なかでも向島隅田堤での斬り合いは凄惨なものであった。浪人二十人に旗本三人を加えた一団は、巧みに[死神]を隅田堤まで誘い出した。特に旗本は御禁制の鉄砲まで持ち出して、茂みに潜んで射つ腹積りであった。浪人は浪人で、数を頼んで一斉に討ち取ろうと画策していた。
 しかし、結果は散々だった。
 命中した筈の鉄砲玉は[死神]の身体を素通りし、斬っても、斬っても、手応えさえなく、たちまち彼ら一団を血の海に叩き伏せたのである。
 かくして火盗改め及び南町奉行所が失態するに至り、北町奉行所では
「江戸の名立たる道場より、選りすぐりの剣客を求めるものである。名を挙げんと欲する者は、今こそ力を貸して欲しい」
と訴えた。

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