魔斬

夢酔藤山

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死神奇譚

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               二



 十一月一日。
 江戸は寒風の最中に閉ざされて、雪こそないものの、すっかり冬模様であった。
 小川町講武所を辞めた山田浅右衛門は、せっかく始めた剣術を捨て置くのも惜しいからと、時折、北辰一刀流千葉道場へ顔を出しては剣術を習った。
 道場主の千葉定吉は鳥取藩江戸屋敷に仕官が為り、剣術指南として訪問する以外は道場の運営に関与しようとはしない。若師範として次席にある長男の重太郎は、父の代わりに鳥取藩江戸屋敷へ行くことが多く、事実上の千葉道場は長女の佐那が執り仕切っている。
 その千葉佐那が
「直々に指導を承りましょう」
と、山田浅右衛門に手ほどきを始めたのだから、当面の問題はない筈であった。
 が、山田浅右衛門は北辰一刀流の入門者ではない。
 門下生でない以上、足繁く通う山田浅右衛門を快く思わぬ輩も当然いる。
「こちらも北辰一刀流の形を教えるわけではない。あくまでも基本を教えているだけのこと。男なら、そんな尻の穴の小さい言をとやかく云うものではありません」
と、千葉佐那は厳しく諌めた。
 が、職業柄、どうしても忌み嫌われる山田浅右衛門である。出入を疎んじる門下生が多かった事も、事実であった。
「それならば」
と、千葉佐那は一計を案じた。
 つまりは、[逆指南]である。
「そもそも武士たる者、切腹の場に立ち合う事もある。せめて介錯の作法を知らねば、恥と申すものであろうや」
 門下生に介錯の教授をするよう、千葉佐那は山田浅右衛門に願い出た。この達しに当初、門下生は難色を示した。
(なんで首斬り浅なんぞに)
という自尊心がこれを拒んだのである。
 しかし、実際のところ。
 介錯の作法は何処の道場でも教えてはくれない。武士には、切腹と介錯は必ず付いて回る。知らぬでは済まされない。それに、何だかんだ云っても、山田浅右衛門は据物斬りの達人だった。罪人の首を斬る際、最も名人業とされる
「首の皮一枚残して」
という芸当を易々としてのける、熟練の業師である。
 如何に江戸四大道場の看板を掲げる千葉道場でも、このような介錯業を仕得る者は、そうそういない。たった一刀のもとに苦痛を与えることなく介錯するのは、見た目簡単に見えて、存外難しいものだ。
「どれ」
と、試しに腕自慢の者が藁束相手に据物斬りをしたが、きちんと斬れた者は千葉重太郎くらいであった。
「こいつは、存外難しいかも知れぬ。習っておいて、損はねえぞ」
 重太郎がそういうのだから、門下生は渋々と介錯指南として山田浅右衛門に従った。これを口実に道場へ出入し、ついでに剣術も伝授出来るよう、千葉佐那の狙い通りに事は運んだのである。
 ところが。
「免許目録さえ手にすればいい」
という貧乏旗本連中には、この介錯指南は容易に浸透しなかった。それどころか、介錯指南を公然と拒絶する姿勢すらみせたのだ。彼らの大半は、首は疎か、実際に人も斬ったことがない。介錯というものを甘く見ている。
 だからつい
「首斬り浅の介錯など、所詮、道楽芸よ」
 しかし、千葉佐那はその捨て台詞を聞き逃さなかった。
 山田浅右衛門が仕置を請負う日をわざわざ選んで、小塚原まで彼らを引き連れて来るなり
「千葉道場師範代・千葉佐那である。門下の腕を試し度、是非とも斬首をやらせて貰えまいか?」
と、仕置検分の同心に申し入れたのである。
「天下の千葉道場とあらば是非もなし。このうえは、存分に腕前を披露して下され」
 許可を得ると、千葉佐那は門下生に斬る順番を選ばせて
「さあ、道楽芸なら千葉門下たる者、即座に出来ようが?」
と促した。
 行き先も目的も聞かされず、ただ連れてこられただけの彼らは、突然の事態に不服そうな戸惑いを浮かべた。が、満座のなか、この期の及んで断ることも出来ず、今更ながら彼らは己の戯言の重さに、ブルブル震えながら仕置の場に立たされた。
「そなたらは介錯を道楽業と断言した。山田殿は腰物奉行預かりとはいえ、一介の浪人者である。その浪人者に出来て、旗本のそなたらが出来ぬという道理はない。さあ、千葉道場に泥を塗らぬよう、見事介錯してみせよ」
 千葉佐那の叱責に、彼らはただただ狼狽し泪を浮かべるのであった。
 これには仕置を受ける罪人も不安になり、恐怖に慄き悲鳴を上げる始末であった。そうなると、いよいよ門下生も萎縮する始末。
 殊此処に至り、山田浅右衛門が割って入ると、見事、一刀のもとに首を斬ってみせた。
 飛び散る血飛沫……転がる生首。
 彼らは奇声を上げて腰を抜かした。
「人の生命はワラのようにはいかぬ。ワラを斬るときは、人の生命を奪うつもりでなければならぬ。その心掛けの足りぬ者に剣術を志す資格はない」
 千葉佐那の言葉にすっかり怖気付いた彼らは、逃げるようにして小塚原から去って、二度と千葉道場に帰らなかった。とまれ、この事件が元で、山田浅右衛門は千葉道場門下に据物斬りの指南を始めることとなった。
 無論、お家芸の
「山田流居合術」
を伝授するわけにはいかない。ごく基本的なワラ斬りを奨励したのである。
 刀の重さに逆らわず、自然に振り降ろす。
 そんな基本的なことが出来ず、闇雲に力一杯振り降ろして断ち切ろうとする輩が多い現実に、千葉佐那は唖然となった。北辰一刀流の太刀筋を豪剣と頼み、不要な力を篭めているが為の結果であった。
 ただ。
 ここは所帯の大きい大道場である。それゆえに余所者が頻繁に邪魔しては
「名誉に関わる」
と、やはり多くの門下生は、山田浅右衛門の往来を苦々しく思っていた。
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