魔斬

夢酔藤山

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剣客奇譚

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               四


 朝が来た。
 昨夜何をしていたのか、早坂主水は途中からは覚えていない。[神田川]ですっぽん鍋を囲み、もう一件梯子をして、それから下谷廣小路へ……。断片的に欠落していたが、何やら訳在りそうな御内儀風の女がいたことを思い出した。
(駄目だ……何をしでかしたのか)
 とんと思い出せない。
 ごろりと寝返りを打つと、目の前に裸の女がいる。
「うわっ!」
 慌てて跳ね起きると、周囲を伺った。
(出会い茶屋……?)
 たぶんそうだろうが、それよりもこの女は何なのだ。そもそも裸というのは
(どういうことなのだ)
 そっと下腹部を覗き込んだ。その立ち篭める薫りは、紛れもなく
(昨夜……間違いなく!)
 男と女の、艶めかしい交わりを確信させるものであった。
 更に驚嘆したのは、裸の女は、朧気にしか覚えていないが、確かに
(昨夜の……)
御内儀風の女である。
「起きたのですか?」
 女が小さく呟いた。
 早坂主水は飛び上がるように跳ね起きて、畳に額を摺り合わせて
「すまぬ!拙者の不埒がこうさせた。本当にすまぬ!」
と詫びた。
「覚えておられへんの?」
「すまぬ!」
「誘ったのは私ですねん」
「すま……?」
 早坂主水は顔を上げた。
「行く宛のない私にお情け下さったのは、あなた様ですわ。その身の上話も、泪ながらに聞いてくれはりました。ほんに覚えておられへんのんか?」
 本当に覚えていないのだ。
 早坂主水の態度に、女は微笑を浮かべ乍ら、昨夜の出来事を語った。酩酊の早坂主水はこの女を口説きつつも、こんな時間に一人酒をしている理由を不躾ながら訊ねたのだ。女は泪ながらに
「主人が、暗殺されました」
ことを語り、更に
「そやから難を逃れるために都を出で、江戸まで逃げてきはった」
 早坂主水はその話にすっかり同情して、出会い茶屋に一夜の宿を設け、ついでに、男女の理に流されてしまったのである。
「そんな話も、聞いたような……」
 思い出せないながらも、朧気にそんな話を耳にしたような気がしてきた。それに、昨夜の秘め事も、何やら
(疼いてくるのう)
 身体的機能が、妙に思い出したように、心にもなく反応を始めた。
 女はそれに気が付くと、微笑混じりに
「お若いですなあ」
と、そっと掌で包み込んだ。
 女の肌はしっとりと吸付き、男なら誰もが我を忘れそうな安らぎ昂ぶりを奮い立たせるに十分な代物であった。これが京の水で洗われた女というものなのだろうか。そんな思い起しも、既に野暮であった。ふくよかな両の乳房から、甘く和らかな香が擽ると、もう早坂主水の理性は真っ白に弾け飛んでしまった。
 情交の最中、女は[おたき]と名乗り、暗殺された主人の名を[島田左近]と告げた。 が。
 もうそんなことはどうでもよかった。それ程までに、早坂主水は至極のなかに溺れていった。
 否、これは至極ではない。
 その味に溺れたら
「死ぬまで憑かれてしまう」
という[地獄味]に違いない。ごく稀であるが、男の精気を吸い尽くす魔性の名器を有する女がいる。この持ち主は得てして男を枯らし、次々と乗り換えていかねば生きられぬ薄幸の運命にある。この[おたき]なる女も、そんな女の一人に相違ない。
 早坂主水は[地獄味]を知ってしまった。
 こうなると、女の過去も経緯も、そんなものは問答無用であった。自慰を覚えた猿の如く、己の行く末も明日の行方も忘れて、なりふり構わず快楽のみを追い求め、地獄のなかの極楽浄土だけを貪り続けるのだ。寝食も忘れて三日三晩、ようやく早坂主水は我に返って冷静を取り戻した。
 結局三日間、ここに隠った早坂主水は、四日目の朝、金に困り山田浅右衛門の元へ使いを走らせ
「救い」
を求めたのである。
 このとき山田浅右衛門は小塚原にいた。四日間も姿を晦まし、皆を心配させた挙句の金の無心である。
 すっかり頭にきた山田浅右衛門は、これを黙殺した。宛が外れた早坂主水は、泣く泣く自宅へ使いを走らせ、使用人より金を受け取り出会い茶屋を出た。
 が、おたきの今後を思うと
「このまま捨て置くわけには」
いかなかった。本音を申せば
(あの味が忘れられない)
 思案の末、早坂主水はおたきを屋敷の土蔵に匿い、三度の食事をこっそり運び込んでは、飽くなき情交を重ねるのであった。
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