魔斬

夢酔藤山

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剣客奇譚

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 この夜も、神田明神下[神田川]の暖簾を潜り、山田浅右衛門と早坂主水は芸者を交えてスッポン鍋を囲んでいた。今宵は珍しく千葉佐那も座に加わったので、早坂主水は些か緊張気味であった。
「鬼小町殿は江戸の剣客にとって、まさに高嶺の花なんですよ。よもや山田殿がこれほど懇意であったとは、知らなんだ」
と、すっかり声を上擦らせていた。
 よもや魔斬りが縁の剣友とも云えず、山田浅右衛門も千葉佐那も、困惑の表情を隠せずにいた。しかし、そこは早坂主水。芸者の調子に合わせてすっかりご機嫌になり
「葉唄」
に合わせて手拍子しながら酒を呷るのであった。
「のう、この御仁、些か呑み方が尋常ではないのう?」
 千葉佐那はそっと山田浅右衛門に耳打ちした。そうよなと、山田浅右衛門も頷いた。この場は終始この状態で
「次に河岸を変えようぞ」
と意気捲く早坂主水に、さすがに千葉佐那は辞退を申し出た。いくら剣豪とはいえ、女性だからと、山田浅右衛門も席を立とうとした。
「いやさ、山田殿まで行くのか。実はな、拙者、十日後に婚礼するのだ」
「へえ……そりゃ、目出度い」
 早坂主水は懐から簪を出して、ほれほれと見せびらかした。相当奮発しただろうその簪を
「早うしまえ」
と促す山田浅右衛門の袖を握り締めると
「目出度いならば、なんでお付合い下さらぬのか」
 早坂主水の眼はすっかり据わっている。困惑する山田浅右衛門を尻目に
「わたしは一人でも平気ですから」
と、千葉佐那は含み笑いを溢しながら一礼して店を辞した。
 山田浅右衛門は呆れ顔で
「婚礼間際の男が、こんな乱稚気騒ぎをしているなんて、聞いたことがないぞ。そんなに婚儀が嫌なのか?」
「いや、許婚はどこぞの御大名の御家中よ。なんの不足もない」
「だったら……」
「婚礼の儀を済ませば、もうこんな浮かれ遊びも出来なくなる。今のうちに好きの限りを尽くしておこうって趣向よ」
 やれやれと、山田浅右衛門は苦笑した。
 ただ一件だけよと約束し、二人は芸者を伴い店を出た。河岸を変えても早坂主水の調子は相変わらずで
(本当に婚礼したいのかねえ……)
と疑わしくさえ思えてならなかった。
 さすがにこれ以上は
「付き合いきれぬ」
と、山田浅右衛門は芸者を帰し、次いで己もこの場を引き上げた。
 早坂主水はただ一人で、元手も持たず、ふらふらと下谷廣小路を流していたのだが
「おい、早坂」
 呼び止めたのは、同じく講武所で剣術を習っている旗本三男・伊藤市太郎であった。
「こんな時刻に、何してんだ?」
「ああ、酒が足りないのよ」
「結構ご機嫌じゃねえか。ずっと一人でやってたのか?」
「いや、芸奴を連れて山田殿と鬼小町殿と呑っていた」
「山田って……あの首斬り浅?」
 妙な組合せだなと呟きながら、よし付合ってやろうと、伊藤市太郎は行きつけの店に早坂主水を誘った。
 その小料理屋に入ると、先客がいた。一見何処ぞの御内儀風であるが、こんな時間に一人酒しているのが
(ただならぬ)
と思わせてならなかった。
 それからの早坂主水は、眼も当てられない程の有様であった。酔った勢いと云おうか、この女を、公然と口説き始めたのである。
「おい、早坂」
と伊藤市太郎は止めさせようとしたが、もう、早坂主水は手の付けられない様である。呆れ返って伊藤市太郎が帰ったことにも気がつかず、早坂主水は女にべったりであった。
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