魔斬

夢酔藤山

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呪詛奇譚

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               四


 翌日、姿見の勝蔵から留吉の女関係を聞き出した山田浅右衛門は、強く確信をしたらしく
「今宵、決着をつけてやろう」
と断言した。
 子刻まで地蔵堂に篭もっていた山田浅右衛門は、下谷廣小路から湯島天神裏門坂道を経て、神田川沿いに出、江戸川橋から鬼子母神に向かった。既に辺りは闇が支配しており、時折、微弱な妖気が漂ったが
(仕事以外は関係ねえ)
と、山田浅右衛門は先を急いだ。
 鬼子母神に着いたとき、時刻は八つ半をとうに廻っていた。
 大太刀を片手に、事も無げに、山田浅右衛門は境内に足を踏み入れた。木槌の響きが境内裏手の薮地から聞こえてくる。
(思ったとおり……)
 これは丑ノ刻参りである。
 鬼、というのは、丑ノ刻参りをしている女のことだろう。殺された人々は、偶然それを目にして襲われたのだ。呪いの現場を人に見られたら、その者を殺して口を封じなければならない。そうしなければ、効力が消えてなくなる。呪力を守るためには、見た者を殺す。それが、丑ノ刻参りである。
 呪いに狂っている女ほど、始末の悪いものはない。いっそ死者の方が、なんと割切りのよいことか。
 山田浅右衛門は大太刀をゆっくりと抜き払うと、峰を背にして担いだまま、無造作に境内裏手へ歩を進めた。
 木槌の音が、止んだ。
 怯まずに山田浅右衛門は進んだ。
 闇の中から匕首が飛んできた。山田浅右衛門は首を捻って切っ先を躱すと、腰を沈めて大太刀を横一閃に振った。
「ギャッ!」
 手応えがあった。
 大太刀の峰は、何者かの脛を的確に強打し、直後、白装束の女が転がり込んできた。
「おい、女。暫らく伏せていろ」
 山田浅右衛門は大太刀を構えた。
 やがて地鳴りとともに、澱んだ気の塊が、くまを目掛けて飛んできた。その前に立ちはだかると、山田浅右衛門は大太刀を正眼に構えた。
「斬……!」
 大音響とともに地響きが轟いた。
 やがて辺りが静寂になると、頭を抱えていた女は、ゆっくりと起き上がった。そこには山田浅右衛門が大太刀を納めて欠伸をしている姿があった。
「いま……いったい」
「ああ、丑ノ刻参りを失敗るとな、呪い返しが来るんだよ。その邪気を、たったいま、ぶった斬ってやった。感謝しろよ」
 まずは何故こういう事になったのか、それを聞かせて貰おうと、山田浅右衛門は関口橋の出会宿へ女を引っ張った。事実を知らなければ、姿見の勝蔵に報告が出来ない。それに、この女の生命を守る必要があった。
 この出会宿は不埒な江戸っ子たちの為の連込み宿である。御公儀の詮議を逃れているのも、隣にある清水家内々の息が掛かっているおかげであった。宿に入ると、まず周囲の気配を伺い、誰もいないことを確認すると
「名前は?」
 過々しい身形の女は
「くま」
と小声で名乗った。
「お前さんが呪いに走ったのは、留吉という男の所為かい」
 やや沈黙の後、くまは小さく頷いた。
「なんで、こんな呪い事を始めた。呪いはな、己に還ってくるんだぞ?」
 窘めるように山田浅右衛門は訊ねた。
 くまは頭を振って
「いいんです。あたしを弄んだあの男が、許せない……許せない……許せない!」
「まあまあ、興奮するな。お前さんの気持も分かるが、そんな振舞いは軽々にやっちゃあ拙いだろが。そのために、罪もない者が死んじまったんだぞ」
「死んだ?」
 どうやらくまは、丑ノ刻参りの最中の出来事を覚えていないらしい。すっかり情炎の鬼と化していたようである。
「いいか、こんなことはもう止めろ。今なら俺の力で何とかしてやる。それとな、こんな呪い、何処で覚えたんだ?」
「……旅の尼さんから、藁人形を貰い、手解きを」
「尼?」
「身投げしようとしたあたしに、尼さんはこう云ったんです。死ぬのはあたしじゃない、男の方だ。そんなろくでもない男のために、なぜ死ぬんだ。死ぬなら死ぬでいい、あんたも江戸の女なら、そんな男を生かすなって」
 山田浅右衛門はふと首を傾げた。
 御仏に仕える者が、果たしてそんなことを勧めるだろうか。呪い返しを必然とするこの遣り方を勧める尼がいるとは、普通では考えられなかった。
 いや、いた。
(八咫聖だ)
 女を魔物に仕立ててそいつを葬る。恐らくそうやって、丑ノ刻参りの犠牲者に取入る所存だろう。
 まずはこの女の身の振りだ。留吉という男の罪を差引けば、姿見の勝蔵に説明する余地もある。有りの儘を伝えれば、仁を重んじる勝蔵のことだ。きっと理解してくれるだろう。
「今宵は休め。明日早く、俺に付き合って貰うぞ。なに、お上に訴えたりしねえや。ただな、お前さんの因果だけは、償わねばなんねえからな。それが、けじめなんだ」
 床の敷いてある間にくまを押込めると、山田浅右衛門は安っぽい味の御銚子を二本、飲み干してから、座敷に雑魚寝した。
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