魔斬

夢酔藤山

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黄昏奇譚

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               八


「そうか……こいつは女の生んだ幻に過ぎねえんだ。その女がいる限り、こいつを倒すことは出来ねぇ」
 山田浅右衛門は闇烏を斬ろうと、一気に詰め寄った。それを羽交い締めにするように、佐治助が組みついてきた。
「お願いだ、お願いだよ、旦那!」
「退け、退きやがれ!」
 その佐治助を、黒い浪人の切っ先が斬りつけた。肩口から鮮血を放って、ぐったりと崩れ落ちる佐治助に、悲鳴を上げたのは闇烏であった。
「ああ、あんたを斬るつもりなんて……」
 身体を引き摺るように、闇烏はぐったりしている佐治助のもとへ這っていった。その闇烏を、黒い浪人が刺した。
「……え」
 信じられないと、闇烏は浪人を見上げた。
 にやりと笑った浪人は
「怨念はたっぷり吸った。もう、お前に用はない」
 そういって、刺した刃を刳り回した。口から血を吐いて、闇烏は呻き声を上げた。怨念が生み出した化物は、その怨念の重さに自我を芽生えさせ、生み主から独り歩きし始めて、本当の化物になってしまったのだ。
「手前ぇ」
 山田浅右衛門は浪人に切り掛かった。
 浪人は嘲ら笑い、闇烏から太刀を引抜くと、その切っ先を横に一閃した。その刃先に付着する血糊が飛び散り、山田浅右衛門の目を閉ざした。
(しまった)
 迫る殺気から逃れようと、目眩ながらに慌てて後ろに飛び退き、転がるように階段を滑り落ちていった。そして目を潰していた血糊を拭い辺りを伺い、山田浅右衛門は声を失った。
 階下は、血の海であった。
 殺気を感じて見上げると、浪人が太刀を振り翳し飛び降りてきた。
 咄嗟に備前長光でそれを受け流したが、圧倒的な力に押されて、雨戸ごと浅右衛門は外へ突き飛ばされた。
(妖力が足りぬ……大太刀が欲しい)
 淫売宿を転がり出た山田浅右衛門は、地の利の不利を悟り、今戸橋まで走ると、山谷堀を背に身構えた。
 浪人は薄笑いを浮かべて、ゆらりと、陽炎のような足取りで追ってきた。そして、既に勝ったつもりの嘲笑を湛えて、浪人は山田浅右衛門に迫ってきた。
「逃げても、無駄ぞ」
 迫り来る切っ先は鋭かった。それを何とか躱しながらも、山田浅右衛門は徐々に疵を増やしていった。
(どこで勝機を掴もうか……)
 そう伺いながらも、満身創痍となった山田浅右衛門は逃げるのが精一杯であった。反撃しても、備前長光では、浪人を斬ることが出来ない。
 内心、山田浅右衛門は焦っていた。
 恐怖がじわりじわりと込上げてきた。
(ここで死ぬか……浅草で野垂れ死にか)
 覚悟を決めた、そのときである。
「山田殿!」
 浪人の背後から斬りつけた者がいた。千葉佐那である。
「旦那!」
 助六の声が響いた。
 見ると大太刀を抱えて助六が走ってくるのがみえた。
「早く、大太刀を!」
 山田浅右衛門は転がるように助六に歩み寄り、大太刀を受け取った。
(これさえあれば)
と、大太刀を抜き払い、山田浅右衛門は黒い浪人に走り込んで斬りつけた。
「佐那殿!こいつは先刻の奴とは違う。もう完全な化物だ!」
 剣技で互角の千葉佐那も、確かに先刻とは異なる妖気を感じていた。
「こいつは、一体……!」
「武士を呪い恨む女の怨念が、すっかり独り歩きしちまった化物だよ!」
 大太刀が一閃し、浪人の胴を払った。
 先程まで手応えのなかった払い胴に、確かに手応えがあった。浪人の顔から笑みが消えた。その切っ先を、大きく振り下ろした。
「斬……!」
 袈裟掛けに払うと、浪人の身体がばっくりと割れた。更に大太刀を返して、首を斬り上げた。
 断末魔の悲鳴を残して、黒い浪人は掻き消えていった。周囲に立ち篭めていた妖気も、たちまち消え失せていった。
「……ふう」
 山田浅右衛門は今戸橋の上にどっと腰を降ろした。そして、佐治助が斬られたことを思い出すと
「佐治助だ。ちょいと、見てきてくれ」
と助六に頼んだ。助六が淫売宿へ走るのを見ながら、千葉佐那も隣に腰を降ろして、大きく息を吐いた。
「なあ、佐那殿」
「はい」
「助けて貰って何だけど、魔斬りには、余り関わらない方がいいぜ」
 千葉佐那も苦笑混じりに
「そう願いたいわ。日頃の修練も、全く通用しない。すっかり自信をなくしてしまう」
「でもよ、助かったぜ。有難う」
 そして、殊勝な物腰で
「俺も剣技も必要だな。今度、小川町講武所へ連れていっておくれよ」
と、山田浅右衛門は苦笑いをした。
 ぼんやりと月のない星空を見上げた。
 緊張が解けると、冷えきった身体に空腹を覚えた。
「今戸に旨い湯豆腐を喰わしてくれる店があるんだ。世話になった御礼に、どうだい」
「それよりも、山田殿。その怪我をなんとかした方がいいわよ。いま駕籠を拾ってあげるから、そこで待ってなさい」
 怪我よりも食い気が先だと洩らすと
「いい加減にしときなさい」
と、千葉佐那はきつく窘めた。そうこうしているうちに、助六が駆け付け
「ぬたや、生きていますぜ。傷が酷ぇ様だから、医者を呼んで来まさぁ」
「ああ、頼む」
 結局、町医者の手に余り、佐治助はそのまま山谷堀の屈強な男たちに担がれて、小石川へと運び込まれていった。
一命を取り留めたのは、奇跡といってよい。

 それから。
 津軽藩に於いては、相変わらず変死者が
「国元でも、江戸でも」
多いと聞く。
 もう、これは魔斬の領分ではない。
 福島作左衛門の関係者が絶えれば鎮まるだろうと、浅草弾左衛門は津軽藩江戸家老に告げた。意外にも、それで納得したのが、不気味だった。武家は解らないことだらけだと、浅草弾左衛門は思った。
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