魔斬

夢酔藤山

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黄昏奇譚

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               五


 今宵は、次の新月である。
 夕暮れ、山田浅右衛門は神田明神下を家路に急いでいた。津軽藩江戸屋敷の一件は、既に浅草弾左衛門より依頼されていたが
(何処にも辻切りの手掛りなんぞ、ありゃしねぇや)
と、この日はおとなしく帰るつもりでいた。
「おや、山田殿では?」
 ふと呼び止めたのは、神田お玉ヶ池の北辰一刀流千葉定吉道場の長女・千葉佐那であった。高槻金太郎の事件以来、山田浅右衛門と千葉佐那は、すっかり顔見知りであった。
「これは、これは、佐那殿」
 千葉佐那は、どことなく線香臭い。
「ひょっとして墓参ですかい」
「あんな愚門弟でも、放ってはおけません」
「すると、谷中墓地へ?」
「ええ」
 義理難いのだなと、山田浅右衛門は感心した。
 立ち話もなんだからと、山田浅右衛門は千葉佐那を誘い、三河屋の暖簾を潜った。
「延命甘酒ふたつおくれ」
 ここ神田明神門前の三河屋は、神君家康公が江戸に入府した頃からの老舗である。地室で麹を五日も発酵させるという、手の凝った甘酒を呑ませてくれることで評判であった。
 甘酒を啜りつつ、四方山話をしているうちに、陽もすっかり落ちて
「お武家さん、申し訳ありません」
と、閉店を催促され、ふたりは店を出た。
 昌平橋を渡り駿河台へ至ると、すっかり暗くなり、木枯らしが容赦なく肌を刺す。せっかく温まった甘酒の暖も、たちまち冷めていった。
「山田殿は平河町でしたね。わたしは神田ですから、ここで別れましょう」
「ああ」
「そうそう、山田殿は仕置や化物ばかりが相手でしたね。実はこの少し先に、小川町講武所というのがあって、わたしもよく出稽古に行くのですよ。せっかくの立派な体格が勿体ない。どうでしょう、生きた人間を、たまには相手にしてみませんか?」
「はあ」
「今度、誘います」
「しかし、俺は佐那殿のような、武芸者ではござりません」
「少しばかしの剣技を身につけて置いても、損はござりますまい。これからは物騒な世の中になりますゆえ、騙されたと思うて、一緒に参りましょう」
 山田浅右衛門は気乗りしなかった。
 魔斬りと武芸は別物だし、何よりも興味がなかったのである。
 そのときだ。
 俄に、殺気が満ちるのを、山田浅右衛門は覚えた。そして、それに反応するよりも先に、千葉佐那が山田浅右衛門を大きく突き飛ばした。
 その居た場所へ、間髪入れずに太刀筋が光って走った。
 咄嗟に千葉佐那は抜刀して
「誰だ!」
と、斬りつけてきた何者かに構えた。
 そこには黒づくめの浪人がいた。闇のなかに、まるで浮かび上がったかのように突然気配を現し、凄まじい殺意を叩きつけてきたのである。
 その浪人は口元に笑みを浮かべたまま、再び千葉佐那に斬りかかってきた。
(小賢しい!)
 黒い浪人の太刀筋は鋭い。
 しかし、千葉佐那の敵ではなかった。相手の切っ先を躱し、千葉佐那の太刀筋は鋭く浪人の胴を払った。
 が。
 斬られた筈の浪人は、何事もなかったように、再び千葉佐那に斬りかかってきた。
「山田殿!こいつは……ヒトじゃない!」
 千葉佐那の叫びに呼応するように、山田浅右衛門が斬りかかった。ふたりの切っ先を容易に躱しながら、浪人はいよいよ笑みを浮かべた。
 闇に太刀筋が奔り、火花を散らした。
 どのくらい経ったのだろう。
 暫らく二対一の立ち回りを続けたのち、やがて、浪人は笑みを浮かべたまま、闇のなかへ融けていった。
「……消えた」
 唖然としながら、暫らくふたりは立ち尽くしていた。
「今のは……」
 唖然とした表情で、千葉佐那は呻いた。
「俺は山谷堀へ行く。佐那殿は真直ぐ帰った方がいい」
「立ち回りなら、御加勢致します」
「こいつは俺の領分だ。それに、依頼された仕事の筋に関わることかも知れぬ」
 山田浅右衛門は備前長光のみの拝刀で、大太刀を持っていない。前回の魔斬りをみている千葉佐那は、その危惧を示唆したが
「事態は急かもしれぬ。平河町まで行っては、遅れを取ってしまう」
 そういって、山田浅右衛門は駆け出していった。
 千葉佐那は去りゆく背を見守っていたが、やおら何かを思いついたように、だっと走り出した。
 この夜、江戸の随所で、謎の辻切りが発生した。斬られたのはすべて武士で、切り口がすべて一致していたことから
「同一人物」
と考えられた。
 しかし、同じような時刻に、まったく離れた場所で犯行に及ぶなど不可能であった。
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