魔斬

夢酔藤山

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黄昏奇譚

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               一


 浅草蛇骨長屋にある小料理屋〔ぬたや〕は、浅草弾左衛門が営ませている店だ。店の主人は穢多ではないが、弾左衛門に従う男であった。この男、上州草津の生まれで佐治助という。どのような経緯で浅草弾左衛門の世話になったのか、それは二人だけの秘密である。
 さて、万延二年も二月になると、日溜りには仄かな温もりがある。ようやく江戸に雪はなくなり、代わって冷たい雨が降る。
 この日、ぬたやの主人・佐治助は、店の仕入のため浅草今戸河岸まで赴き、その帰り道に
「うわ、氷雨かよ」
 やむなく傍らの軒を拝借した。
 ふと見回すと、派手な色彩の小屋や、淫靡な格子窓のある建物が並ぶ。それに気付いたとき、はじめて佐治助はここが何処か気がついた。
(やべえ、聖天町じゃねえか)
 芝居小屋が軒を列ねる浅草聖天町にはもうひとつ、訳在りの女たちが春をひさぐ淫売街の顔がある。
(この軒も、淫売宿の……)
 そうこうしている間に、そこの遣手婆ぁに見つかり
「軒をただで借りようったって、そうはいかねえよ。雨が止むまではここで遊んで貰わなきゃ、こちとら商売上がったりだ」
と捲くしたてられ、あれよあれよと言う間に引き摺り込まれてしまった。
「儂は仕入に来たのだから、身銭は持ち合わせておらぬぞ」
「お客はみんなそう云うんだよ」
「いや、本当だ」
 巾着の中を見せると、成程、寂しい額しか持ち合わせていない。手にする荷は鰈と野菜ばかりで、途端に婆ぁは手の平返したように
「これじゃあ、闇烏の相手にしかならないねえ」
「闇烏?」
「闇夜の烏のように、どうにもはっきりしない陰気な面をした女さ」
「金は置いていくから、返してくれよ」
「そうはいくか。そうだ、あんた闇烏の最初の相手になるんだから、元は取っていかなきゃ駄目だよ」
「どういうこと」
「陰気だから、客が嫌がっちゃってねえ、未だお手付かずなのさ」
 むりやり引き摺られて、佐治助は闇烏の部屋に放り込まれた。
 日当たりの悪い湿った部屋に、それは陰気な表情の女が、赤襦袢一枚でぼんやりと横になっていた。
(こりゃあ、思ってたよりひどい)
 佐治助は腰を下ろした。
 元々ここへ女を買いに来た訳でもない。ほんの少しだけ、高い軒代を支払った、ただそれだけである。それにそう思えば悔しくもない。
 暫く経った頃である。
「帰るわ」
 佐治助は立ち上がった。
 そのときである。
「あんた町人?」
 ぼそぼそと、闇烏が呟いた。
「何か?」
「あんた、武家じゃなさそうだから教えてあげる。月のない夜は、表を出歩いたら駄目」
「そりゃあ一体ぇ……」
「この世の武士が、次々と死んでいく。それが月のない闇夜の掟」
 その深く冷たい瞳の輝きに、佐治助は背筋を凍らせた。
「……お前ぇさん、お侍を憎んでるのかい」
 佐治助の問いに、闇烏は黙り込んだ。
 何を話し掛けても、もはや闇烏は沈黙するばかりである。なんと不気味な女だろう。蒼醒めた顔で佐治助は淫売宿を後にした。
 氷雨はいつしか止んでいた。
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