魔斬

夢酔藤山

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深川奇譚

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               二



 十月の暮れ、山田浅右衛門は桑名屋徳蔵の営む小料理店で浅草弾左衛門と落合った。
「これは、これは。浅草のお頭、御無沙汰しておりやす」
 徳蔵は慇懃に、酒と肴を持ってきた。
「小芋と飯鮹の煮物だね」
「お頭の口に合うか……」
「いや、ほんに忝い」
 徳蔵が席を外すと、浅草弾左衛門は懐から包みを出して、そっと山田浅右衛門に握らせた。
「こんなことを俺が云っちゃいけねぇんだけど、いやに少ないですね」
「そりゃあそうさ。依頼したのは、旦那の奥方だもの」
「げ……?」
「少々は、上乗せしてますよ。これでもね」
 居心地悪そうな顔で、山田浅右衛門はモジモジと身を捩った。そんな彼を眺めながら、美味い美味いと、浅草弾左衛門は飯鮹を頬張った。
「で……どんな仕事で?」
「柳橋の一件、覚えていなさるね」
「ああ」
「女の方が成仏出来なくてね、浪人者が通ると、昼夜問わずに現れて泣き縋るそうな」
「きく……とか云ったかな」
「浪人者の奥方。於貞さんから聞いたよ」
「しかしよう、お頭。こいつは心中屋の仕業だぜ。ここできくを涅槃に送っても、限りがねぇよ」
「なあに、探りは入れているさ」
と、涼しい顔で浅草弾左衛門は呟いた。
「心中屋は日本橋通南二丁目元大工町の材木問屋・乙津屋清八さ。そいつが浪人者を金で雇って、旗本を討ち、行き当たりばったりで女とつがいにし、見た目には心中に仕立てる。そんな裏稼業を営んでいる」
「乙津屋清八?」
「このことはとっくに北町奉行に報せてあるよ。すべてを一網打尽にするために、まだ泳がせているらしいがね」
 そのとき、桑名屋の戸が開いた。鳥居家の紋入り羽織を身につけて、いつぞやの武士が威高々に供連れで入ってきた。
「廻船せい」
などと口上しているのを聞くと、どうにも酒が不味くなる。
「お頭、あいつ柳橋にいたんだぜ。浪人姿でな」
 小声で囁くと、浅草弾左衛門は眼光鋭く上目遣いで覗き見た。胡散臭ぇ奴だと、浅草弾左衛門も吐き捨てた。
 廻船の依頼を済ますと、武士はさっさと店を出ていった。
「旦那、尾けようか」
 浅草弾左衛門は席を立った。

 武士の一団はよもや尾けられているとは夢にも思わなかったのだろう。かなりの油断がその背中に漂っていた。それに遅れること十五間、山田浅右衛門と浅草弾左衛門は、各々距離を置きながら他人を装い尾行した。
 永代橋を渡り八丁堀界隈に入ると
(乙津屋にいくのだな)
とふたりは確信した。案の定、武士たちは元大工町へと足を運び、材木問屋・乙津屋の裏木戸を潜っていった。
「暫らく様子でも見ましょうか」
 山田浅右衛門の提案に、浅草弾左衛門は同意した。丁度蕎麦屋の屋台があるので、ふたりは腰を下ろした。
「おっ柚子切かい?」
 意外な香りに、浅草弾左衛門は身を乗り出した。屋台の亭主は初老の白髪で、実に雄弁な男である。蕎麦を茹でる間も丼に盛る最中も、ずっと喋り続けであった。山田浅右衛門は辟易していたが、浅草弾左衛門は根気よく相槌を打っていた。
「乙津屋さんの周りは、結構な商いになるんですよ。みんな金回りのいい客なんでね、こちらもついつい、手間の掛かる蕎麦を打っちまうんでさ」
「金回りがいいとは、羨ましい……もしかして、蕎麦を手繰りに来る客は御武家さんかえ?」
「そうなんでさ。それも結構な御家中の御方ばかりでねえ」
「へえ」
 武家なんてのは、身分があるほど体裁を保つために食を切り詰めているという。それだけ金が不自由ということなのだ。たかが蕎麦一杯といえども、自在に食べられない。
 金回りのいい武家というのは、明らかに妙であった。
「ああ、あの御方もよく食べていきますよ」
 亭主が指したのは、ずっと尾行してきたあの武士である。武士は浪人姿に身形を変えていた。
「亭主、あの男は浪人かい?」
 山田浅右衛門の問いに
「とんでもない。鳥居越前守様御家中の御方ですよ。ああして、時々は浪人者の格好をしてなさるが、たぶん博打にでも行くんじゃねえかと……」
「時々って……聞いたことはないのか?」
「あの御方は無口でね」
 何やら妙な胸騒ぎがした。
 山田浅右衛門と浅草弾左衛門は、慌てて支払いを済ますと、武士のあとを追った。浪人姿の武士は内神田へ早足で歩き、小網町の酒井雅楽頭の屋敷端に腰掛けた。暫らくすると、若い侍が通用門から出てきた。浪人姿の武士は、にわかに太刀を抜いて、たちまち峰で若侍を倒した。一瞬の出来事である。
 それを肩に担いで立ち去ろうとするその背に、山田浅右衛門が叫んだ。浪人姿の武士は若侍を降ろすと
「……お前、深川にいた奴だな」
と、すらりと太刀を抜いた。
 山田浅右衛門も太刀を抜いた。浪人姿の武士がかなりの使い手だろうことを山田浅右衛門は実感した。何よりも相手から伝わる剣気は、魔斬とは比べものにならない鋭利なものであった。
(仕損じるかも……)
 その一瞬の躊躇に、浪人姿の武士は即座に付入った。
 完全に受けに回った山田浅右衛門は、明らかに不利であった。
「おお、辻切りか」
 外の騒ぎに酒井家から人が出てきた。
 舌打ちすると、浪人姿の武士は太刀を納めて
「こちらの事を知られた以上、いずれお前の生命を貰う」
と吐き捨て、男は走り去っていった。
 物陰に隠れていた浅草弾左衛門は、常に身辺に寄り添う影の護衛に目配せし
「奴が何者なのかを見極めろ」
と命じた。
 男の身元はすぐに判明した。
 外国奉行・鳥居越前守忠善の食客で、名は富坂小五郎。浪人だが剣筋がよく、上方で人を斬って江戸にきたという。井伊直弼存命の頃は、鳥居忠善に庇護され、用心棒を請負っていたらしい。
「……人斬り」
 近頃上方の方ではそう呼ばれる輩が跋扈していると聞く。江戸もそんな輩が駆けるようになってしまうのだろうか。
「厭な世だ」
 殺伐とした虚しさを、浅草弾左衛門は痛感していた。
 そののちも、浅草弾左衛門は心中屋に関わる一連の調査も進めていた。が、調べれば調べるほど、何やら胡散臭いものを感じていた。これまで心中事件を起こして改易謹慎を被った旗本や大名は、先の大老井伊掃部頭直弼寄りの者ばかりである。
未遂に終わった酒井雅楽頭も、安政の大獄を実践した人物のひとりだ。
(幕府の派閥争いが見え隠れするねえ)
 このまま心中屋に関われば、山田浅右衛門の生命が危なくなる。そんな危惧が、浅草弾左衛門の胸中を過ぎった。
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