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舶来奇譚
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結
九月に入った。
江戸は心なしか肌寒くなり、月夜の輝きも蒼々として、寂しい。
この夜、広尾天現寺境内に、広尾ヶ原中の狸が集まり、狸囃子が開かれていた。客分として招かれていたのは、山田浅右衛門と一蔵そしてジョンソンだった。
明日、横濱から琉球へ発つメリケン国の黒船がある。ジョンソンはそれに乗り、琉球から乗り継いで、帰国するのだ。一蔵はそれに同行し、琉球から薩摩への連絡船に乗るつもりである。
今宵は二匹の狐の壮行会であった。
「それにしても、この国は奥が深い」
酔ったジョンソンは、日本侵攻に誘われたときの経緯をすべて語った。
「我らの国の狐の長は合衆国大統領と取引をしたのです。永久に人の介入しない土地を貰う代わりに、亜細亜の蛮国を制圧する力添えをすることに。江戸の狐はこの国の闇の支配者のひとつゆえ、それを葬り去れ、と」
「身勝手な人間に利用されたってのかい?」
「この国に来るまでは、正直不安でした。しかし旦那のように、優しくてお強い方もいる。帰国したら長に言いますよ。大統領に惑わされるなって」
何やら難しくて判らない話だと、山田浅右衛門は顔を顰めた。
「どうでもいいよ。そんなことより、目の前の酒を何とかしようぜ」
山田浅右衛門の言葉に、ジョンソンは大きく頷いた。
「……ひとつ聞かせてたもんせ」
一蔵が身を乗り出し、あのとき鉄砲で何を射ったのか訊ねた。大太刀も効かず、十字架すら効かない化物を、果たして何で打ち抜いたのか、を。
「お守りですよ」
「……銀の小粒?」
「ヨーロッパでは銀の弾で、狼男という化物を倒せると聞きました。もしかしたら、吸血鬼にも通用するかと思って、小粒に細工をしたんです」
さすが、西洋の文明は凄いもんだと、山田浅右衛門は感心した。
これからは西洋からの悪しき魔物が
(どしどしと)
江戸に入ってくるだろう。今まで通りの魔斬では、いつか、時代に取り残される日が来るに違いない。
少々寂しい気もするが、それも時代だろう。
西洋では月は死を司るという。日本でも古くからそう伝えられてきた。しかし、こうして月見と洒落込み、愛でる風流も同時に培ってきた。
「これが日本風ってんだ。メリケンに帰っても、たまにはこうして月と戯れてみるがいいさ。そして、たまには俺や狸たちのことも思い出してくれろい」
ジョンソンは大きく頷いた。
翌朝、広尾天現寺にて、たった一人で酔い潰れている山田浅右衛門を、この寺の檀家衆がみつけた。
「もし、御武家さま」
山田浅右衛門は眠そうに、顔を起こした。
「あれや、狸に化かされなさったね。昨夜はとんでもない狸囃子でしたから」
助け起こされた山田浅右衛門は、井戸水で顔を洗いながら、懐に手を潜らせた。そこには仕事の報酬、狸の金塊が入っている筈だった。
(おや)
手探りで掴んだのは、小判五枚と、添書である。達筆でこう書かれていた。
どらくらを退治したのはじょんそん也。仕事料の取分は一分九分とし、
九分はじょんそんの餞別と路銀としたい。御承知下されたく候ものなり。
翁
それを一瞥し、何やら愉快そうに山田浅右衛門は大笑いした。
もしや気が触れたのではと、檀家衆はおろおろしながら
「もし、もし、御武家様」
「あ?」
「如何なさいました」
山田浅右衛門は井戸水で口を濯ぐと、にっこりと笑いながら
「ああ、見事、狸に化かされたようじゃ」
《了》
【参考文献】
◇「色恋江戸の本 【知らなくてもいい面白話】」
板坂 元・著
同文書院・刊
◇「江戸切絵図散歩」
池波正太郎・著
新潮社・刊
◇「日本妖怪巡礼団」
荒俣 宏・著
集英社・刊
◇「伝説探訪 東京妖怪地図」
荒俣 宏・監修
田中 聡・著
祥伝社・刊
◇「名所探訪 地図から消えた東京遺産」
田中 聡・著
祥伝社・刊
◇「別冊宝島 徳川将軍家の謎」
石井慎二・編集
宝島社・刊
◇「大江戸八百八町を歩く 江戸散歩」
旅行読売出版社・刊
次回は年内最後、「深川奇譚」をお送りします
九月に入った。
江戸は心なしか肌寒くなり、月夜の輝きも蒼々として、寂しい。
この夜、広尾天現寺境内に、広尾ヶ原中の狸が集まり、狸囃子が開かれていた。客分として招かれていたのは、山田浅右衛門と一蔵そしてジョンソンだった。
明日、横濱から琉球へ発つメリケン国の黒船がある。ジョンソンはそれに乗り、琉球から乗り継いで、帰国するのだ。一蔵はそれに同行し、琉球から薩摩への連絡船に乗るつもりである。
今宵は二匹の狐の壮行会であった。
「それにしても、この国は奥が深い」
酔ったジョンソンは、日本侵攻に誘われたときの経緯をすべて語った。
「我らの国の狐の長は合衆国大統領と取引をしたのです。永久に人の介入しない土地を貰う代わりに、亜細亜の蛮国を制圧する力添えをすることに。江戸の狐はこの国の闇の支配者のひとつゆえ、それを葬り去れ、と」
「身勝手な人間に利用されたってのかい?」
「この国に来るまでは、正直不安でした。しかし旦那のように、優しくてお強い方もいる。帰国したら長に言いますよ。大統領に惑わされるなって」
何やら難しくて判らない話だと、山田浅右衛門は顔を顰めた。
「どうでもいいよ。そんなことより、目の前の酒を何とかしようぜ」
山田浅右衛門の言葉に、ジョンソンは大きく頷いた。
「……ひとつ聞かせてたもんせ」
一蔵が身を乗り出し、あのとき鉄砲で何を射ったのか訊ねた。大太刀も効かず、十字架すら効かない化物を、果たして何で打ち抜いたのか、を。
「お守りですよ」
「……銀の小粒?」
「ヨーロッパでは銀の弾で、狼男という化物を倒せると聞きました。もしかしたら、吸血鬼にも通用するかと思って、小粒に細工をしたんです」
さすが、西洋の文明は凄いもんだと、山田浅右衛門は感心した。
これからは西洋からの悪しき魔物が
(どしどしと)
江戸に入ってくるだろう。今まで通りの魔斬では、いつか、時代に取り残される日が来るに違いない。
少々寂しい気もするが、それも時代だろう。
西洋では月は死を司るという。日本でも古くからそう伝えられてきた。しかし、こうして月見と洒落込み、愛でる風流も同時に培ってきた。
「これが日本風ってんだ。メリケンに帰っても、たまにはこうして月と戯れてみるがいいさ。そして、たまには俺や狸たちのことも思い出してくれろい」
ジョンソンは大きく頷いた。
翌朝、広尾天現寺にて、たった一人で酔い潰れている山田浅右衛門を、この寺の檀家衆がみつけた。
「もし、御武家さま」
山田浅右衛門は眠そうに、顔を起こした。
「あれや、狸に化かされなさったね。昨夜はとんでもない狸囃子でしたから」
助け起こされた山田浅右衛門は、井戸水で顔を洗いながら、懐に手を潜らせた。そこには仕事の報酬、狸の金塊が入っている筈だった。
(おや)
手探りで掴んだのは、小判五枚と、添書である。達筆でこう書かれていた。
どらくらを退治したのはじょんそん也。仕事料の取分は一分九分とし、
九分はじょんそんの餞別と路銀としたい。御承知下されたく候ものなり。
翁
それを一瞥し、何やら愉快そうに山田浅右衛門は大笑いした。
もしや気が触れたのではと、檀家衆はおろおろしながら
「もし、もし、御武家様」
「あ?」
「如何なさいました」
山田浅右衛門は井戸水で口を濯ぐと、にっこりと笑いながら
「ああ、見事、狸に化かされたようじゃ」
《了》
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◇「色恋江戸の本 【知らなくてもいい面白話】」
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◇「江戸切絵図散歩」
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◇「伝説探訪 東京妖怪地図」
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◇「名所探訪 地図から消えた東京遺産」
田中 聡・著
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◇「別冊宝島 徳川将軍家の謎」
石井慎二・編集
宝島社・刊
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