魔斬

夢酔藤山

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舶来奇譚

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               四



 再び怪死体が発見されたのは、八月二十七日深夜。場所は高輪御殿山の麓で、殺されたのはやはり女であった。この事件は翌早朝には瓦版となって、江戸市中の話題となっていた。
勿論、山田浅右衛門も一蔵も、これを読んだ。
「高輪大木戸と品河は目と鼻の先ゆえ、こいもきっとメリケン狐の仕業でごわす」
 一蔵は、早速今日にでも高輪へ調べに行きたいと訴えた。
「まあ、待てよ。おれも今日は鈴ヶ森で仕置がある。それから一緒に調べてみようぜ」
 朝食を掻き込むように食べると、山田浅右衛門は一蔵を連れて品河へと赴いた。高輪大木戸を潜ると、御殿山が眼前に広がる。その麓は品河宿であり、大森海岸付近の鈴ヶ森は更に六郷寄りである。
「旦那が一仕事済ましてくる間に、宿ん衆に聞込みもっそ」
「ああ、頼む。品川神社で落合おう」
 一蔵は人込みの中へ消え、それを見届けてから、山田浅右衛門は歩き出した。
 まず一蔵は、番屋に放置されている女の土左衛門を見物した。かなりの野次馬が殺到して観難かったが、血をすべて吸い尽くされて、しわしわになった様相だけは伺えた。
(最初に打ち上げられた骸と、まったく同じだ)
 一蔵はそれから暫らく辺りを歩いた。
 メリケン狐が化けるなら、たぶん異国人に違いない。だから、この辺りで異国人が徘徊していなかったかを聞込んだ。
 が、誰の答えも
「知らぬ、存ぜぬ」
の一点張りで、些か疲れた一蔵は、問答河岸に腰を下ろして溜息を吐いた。眼前に横たわる洲崎の細長い岬の彼方に、品河沖とも天王洲とも呼ばれる江戸湾の潮騒が穏やかに波打っていた。手前の目黒川は既に海水そのもので、何処からが海で何処までか川か、そんなことすら判らない。
 傍らの小石を掌で転がし、三文ばかしの銭をドロンと拵えると、一蔵は河岸の屋台で貝柱がたっぷり入った大きめのカキ揚げを一枚買って腹に収めた。そして暫らくぼんやりと海を眺めていた。
 どのくらい経ったろう。
 ふと、独特の獣臭が、風に乗って一蔵の鼻腔を擽った。
(狐?)
 しかし、何処となくバタ臭いそれは、この国の狐のものではない。まさしくそれは、品河台場で嗅いだ臭いである。
(間違いなか。こいはメリケンの狐じゃ)
 一蔵は用心深く風上を伺った。
 洲崎の先端には弁財天が祀られ、湾側には松平相模守の御台場がある。その弁財天社の裏手に、ちらほらと、大きな狐の影が見え隠れした。
 一蔵は急いで橋を渡り、気配を殺して弁財天社に近づいた。
 メリケン狐はぼんやりと、江戸湾の彼方を眺めながら、郷愁だろうか、時折か細く、溜息を洩らしていた。
「おい」
 一蔵の声に、メリケン狐は飛び跳ねた。
「儂は人間じゃなか。あの夜、おはんを海に落とした薩摩の狐でごわす」
「狐?」
「近頃この辺りで、人間が血を吸われて死んでいる。おはんの仕業じゃろ」
「馬鹿云うな」
「いいから、おとなしくしろ!」
 たちまち一蔵はメリケン狐を縛り上げ、そして品川神社で山田浅右衛門を待った。

 暫らく経って、山田浅右衛門が足取り軽やかにやってきた。それをみて、一蔵は嬉々と立ち上がり
「こいつがメリケンの狐でごわす。血を吸うたのも、こいつに違いなか。こいつを責めれば、直ぐに白状しもっそ」
 縛られて身動き取れぬメリケン狐をみて
「ほうほう」
と、山田浅右衛門は笑った。
「かなり、やられたな」
 屈んで覗き込むと、メリケン狐は身体中から血を滲ませていた。相当、殴られたのだろう。
 徐に山田浅右衛門は、メリケン狐の縄を解いた。メリケン狐はぐっかりと、身動きすることも出来なかった。
「旦那、どういう心算でごわすか」
 山田浅右衛門はメリケン狐を抱き上げると
「連れて帰る」
「そいなこと……」
 不服を訴える一蔵を制すと
「なあ、一蔵。血を吸った野郎の正体を、さっき仕置見物に来ていたフランスとかいう国の野郎から聞いたぜ」
「え?」
「そいつ、ビゴーとかいう絵師でな。俺の仕置を熱心に描いていやがった」
「それで、その紅毛は、何と?」
「ああ、何でも西洋にはドラクラとか何とかいう、血を吸う鬼がいやがるそうな。そいつの仕業に違ぇねえって云うんだよ。そうなりゃあ、こいつには何の罪もねえ」
「……」
「ただ、な。俺もお前ぇも、ドラクラとかいう奴のことを、何も知らねえ。知っているとしたら、このメリケンの狐しかいねえんだ。色々と、聞かせて貰いてぇのさ」
 一蔵は困惑気味でメリケン狐をみた。散々折檻された痕が痛々しく、それが一蔵の早合点を嘖んだ。
「異存はねぇな?」
 いまはただ、黙って山田浅右衛門の言葉に頷くしかなかった。
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