魔斬

夢酔藤山

文字の大きさ
上 下
43 / 126

孕女奇譚

しおりを挟む
               十



 数日後、於菊の沙汰が決した。
 もはや妊婦でない以上、沙汰止みにする理由はどこにもない。於菊の腹に宿った胤が戸田又太郎のものだったのか、死んだ職人・捨三のものだったのか、今となっては詮索のしようもない。
 ただ、結局のところは
(戸田又太郎が嫉妬に狂い、死してのちに於菊を操り、捨三を殺させたのだ)
 不思議なこともあるものだ。
 そのように事が判明しながらも、この事件の真実は、決して人には信じて貰えないだろう。誰の目から見ても、下手人は
「於菊」
でしかないのだ。
(哀れではあるがな)
 石谷穆清は於菊を磔と断じた。
 執行は九月二日、場所は小塚原。

 執行当日の早朝。
 助六は塩入土手の茶店の戸を叩いた。
「婆さん、娘がみつかったぞ!」
 その声に、茶店の老女は
「ご冗談を」
と笑った。
「はやく、はやく。土壇場にいるんだ。生きている間に、一目だけでも」
「土壇場って?」
「いいから、はやく!」
 戸締まりもそこそこに、老婆は小塚原へと急いだ。
「なんで、なんで娘が……」
 それだけを繰り返す老婆に、助六は返す言葉がなかった。生まれて間もなく離れ離れになった母子の再会が、よもや今生の別れだとは……。
 巳刻。
 市中引き回しを終えた於菊が、馬上より降ろされ小塚原の刑場に足を踏み入れようとしていた。
 小塚原の周囲は人集りである。
 仕置の場という陰惨として切ない刑場は、平素人も立ち寄らぬ場所であるが、ひとたび処刑が行なわれるとなれば黒山の見物客が押し寄せた。元来刑場とは、こんな見せしめ的要素を過分に備えている。
 江戸時代の座興のひとつに
「刑場見物」
が確立されていたことは、松浦静山の『甲子夜話』にも記されている。
 千住下宿には飯盛女を抱える旅篭も多く、吉原より格安ということで、そこの遊女と戯れにいく者も多い。遊女たちは馴染み客を誘う便りを出す折に
「四季折々の花も咲き乱れ、磔もあって人出が多く賑やかにて、是非とも御出でくだされや」
などと記したらしい。
 遊女を買う男たちは、刑場見物がてらに、千住まで足を運ぶというのだ。
 この日も、女が仕置されるというので、粋狂な者たちが格子に張りつくようにして
(いまか、いまか)
と、執行の瞬間を待っていた。
「おい、通してくれ。頼むから通してくれ」
 助六は人込みを掻き分けながら、老婆を引率し、なんとか最前列に辿り着いた。
「おみよ……おみよ」
 老女は必死になって叫んだ。
 於菊は誰だろうかと、一瞥した。もはや死にゆく身と諦めもついているが
(誰の名を喚んでおるのやら)
 土壇場に跪かされ、後ろ手に縛られていた於菊は首を傾げた。
 傍らには初老の非人頭・長兵衛がいる。
「浅の旦那に聞いたのだが、あんたには、生まれてすぐに生き別れた実の母がいたそうだよ」
 そう呟いた。
 於菊は身動きひとつしない。つと、山田浅右衛門が傍らに立った。
「お前さんを育てたのは、実の母ではない。だから虐げられたのだろう。その鬼婆は事もあろうか、世間にはそなたが病死したと偽り、たったの二十五両であんたを女郎部屋へ叩き売った」
「……そのようなことを、何処で?」
「そなたの本当の名は、おみよ。外で名を呼んでいる老女が、そなたの本当の母じゃ」
 於菊は瘧のように身を震わせながら
「今更、そんなことを!」
と激昂した。
 山田浅右衛門は刑場を出た。
 於菊は、おみよと叫ぶ老婆の顔をみた。
 ふたりは泪を流しながら、無言で見つめ合った。
 そうしている間に、於菊は磔台に縛られた。三尺高い上からの世界は澄み渡ると云われるが、そのような感慨は於菊にない。
「おみよ……!」
 老女の声に、小声で
「……母さん」
と呟いた瞬間、於菊の脇腹へ、槍が突き立てられた。
 野次馬たちは、歓声を上げて処刑を見届けた。その騒々しい様を、召捕り棒を振り回して役人たちが鎮めようとする。
 山田浅右衛門は於菊を見上げ、傍らに落ちている飾り簪を拾った。
 そして、老婆に差し出した。
「なんで……なんで、なんで娘が……なんで!」
 格子を激しく揺すりながら老婆は血の泪を流し、やがて、山田浅右衛門の手から簪を受け取ると、力なく、老婆は何処ともなく去っていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

おむつオナニーやりかた

rtokpr
エッセイ・ノンフィクション
おむつオナニーのやりかたです

戦艦タナガーin太平洋

みにみ
歴史・時代
コンベース港でメビウス1率いる ISAF部隊に撃破され沈んだタナガー だがクルーたちが目を覚ますと そこは1942年の柱島泊地!?!?

明日の海

山本五十六の孫
歴史・時代
4月7日、天一号作戦の下、大和は坊ノ岬沖海戦を行う。多数の爆撃や魚雷が大和を襲う。そして、一発の爆弾が弾薬庫に被弾し、大和は乗組員と共に轟沈する、はずだった。しかし大和は2015年、戦後70年の世へとタイムスリップしてしまう。大和は現代の艦艇、航空機、そして日本国に翻弄される。そしてそんな中、中国が尖閣諸島への攻撃を行い、その動乱に艦長の江熊たちと共に大和も巻き込まれていく。 世界最大の戦艦と呼ばれた戦艦と、艦長江熊をはじめとした乗組員が現代と戦う、逆ジパング的なストーリー←これを言って良かったのか 主な登場人物 艦長 江熊 副長兼砲雷長 尾崎 船務長 須田 航海長 嶋田 機関長 池田

♡ちょっとエッチなアンソロジー〜肛門編〜♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショートの詰め合わせ♡

♡ちょっとエッチなアンソロジー〜おぽこち編〜♡

x頭金x
現代文学
♡ちょっとHなショートショートの詰め合わせ♡

信濃の大空

ypaaaaaaa
歴史・時代
空母信濃、それは大和型3番艦として建造されたものの戦術の変化により空母に改装され、一度も戦わず沈んだ巨艦である。 そんな信濃がもし、マリアナ沖海戦に間に合っていたらその後はどうなっていただろう。 この小説はそんな妄想を書き綴ったものです! 前作同じく、こんなことがあったらいいなと思いながら読んでいただけると幸いです!

椿散る時

和之
歴史・時代
長州の女と新撰組隊士の恋に沖田の剣が決着をつける。

処理中です...