魔斬

夢酔藤山

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孕女奇譚

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               七


 小伝馬町東女牢で騒動が起きたのは、八月の末のことである。
「殺してやる……殺してやる」
 身重の於菊は狂ったように興奮し、相部屋の者へ暴行に及んだのだ。
 その顔はまさに凶相で、寄る者すべてを殺気で制した。ただごとではないと、石出帯刀は腕利きの火付盗賊改め同心に応援を要請し、ようやくのことで於菊を取り押さえた。
 取り押さえられて、於菊は正気になった。
「わたしは一体……」
 今までのことを何一つ覚えていないという於菊を危険視した石出帯刀は、彼女の御牢を相部屋から独房に移した。その後も、こんな騒動が何度となく続いた。
 於菊は必然的に〈狐つき〉として、蔑視された。
「このままではな、皆が迷惑するのよ。出産を待たずに仕置の沙汰を下せと、牢役人たちの陳情も後を断たぬのでな……」
 ほとほと困り果てた様子で、北町奉行・石谷穆清が浅草弾左衛門を訪れたのは、それから間もなくのことである。
「何とか穏便に、事を解決したい……」
 すっかり意気消沈気味の北町奉行に
「御心中、御察し致す」
と、浅草弾左衛門は同情をした。
「上辺だけの慰めは結構。それよりも、於菊がこと、どうにかならぬか?」
「はい?」
「とぼけるな。山谷堀でも、それなりに調べているのだろう?」
 石谷穆清の焦れた態度は、本当に困りきっている証拠だ。少し可哀想になった浅草弾左衛門は
「於菊が凶暴になった折、男言葉を用いておりませなんだか?」
と訊ねた。
「はて、そこまでは……」
「ならば調べてくれませぬか。それと、於菊が遊女として深く馴染みになった男のすべてを洗い出して貰いたい」
「そなたが手下にやらせれば、一晩で判るだろうに」
「これは御奉行所の仕事ゆえ」
 苦り切って、石谷穆清は懐から包みを差し出した。
「これで頼みたい。これ以上の揉め事は牢内の規律統制に関わるのじゃ。早々に解決してくれ」
 包みに手を延ばし、重さを計ったのちに
「御依頼、御引受け候」
と、浅草弾左衛門は懐へ捻込んだ。
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