魔斬

夢酔藤山

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谷中奇譚

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               結



 暦は間もなく十一月になる。
 木枯らしが激しく江戸を駆け巡る頃
「是非とも」
と、咄家の三遊亭圓朝が山田浅右衛門に誘い文を送ってきた。
 三遊亭圓朝の高名は知っていたが、実は一面識もない。
(はて)
 首を傾げながら、山田浅右衛門は指定された谷中の長安寺へと赴いた。
「やあ、お待ちしておりましたよ」
 三遊亭圓朝は温厚そうな表情で、実は是非とも見て貰いたいものがあると、庫裏へ自ら案内をした。この長安寺は三遊亭圓朝の兄が住職を務める寺で、そのためか、三遊亭圓朝は勝手をよく知っていた。
「ここです」
 庫裏の戸を開くと、そこにはおどろおどろしい絵が並んでいた。五つ六つではない、数えるのも面倒な程の夥しい量だ。なかにはそれ自体が妖気を放つものもあった。
「これは……」
「あたしの趣味でね。幽霊画ですよ」
「幽霊画?」
 そのなかでも真新しい絵を持ち出し、三遊亭圓朝は床に広げた。
 全部で五点程なのだが
(……はて)
 何故かこの絵には何処かで見覚えがある気がした。初めてみる絵なのにと、山田浅右衛門は首を傾げた。
「これはね、応為って御人から譲り受けたんですよ」
「応為?」
「あたしは葛飾北斎の絵が好きでねえ。この絵、何やら北斎の絵に似ているもんで、ついつい買ったんですよ」
「……はあ」
「応為さんはこの絵を説明出来るのは、山田浅右衛門様しかいないとおっしゃるのです。それで御足労をお掛けしたのですが、成程、ご存じの様子ですな」
「おれも一面識しかねえが、その婆ぁ、葛飾北斎の娘ですよ」
 成程、それで絵体が似ているのかと、三遊亭圓朝は柏手打って得心した。
 その絵は谷中墓地らしい。
(……これは!)
 まさしくそれは、於露と高槻金太郎の姿であった。
 逃げ惑う高槻金太郎を、於露が墓へと引摺り込もうとする、まさに凄絶な連作である。
(あの婆ぁ、おれに仕事を持ち掛けといて、ちゃっかりしてやがる)
 呆れるよりも先に、その克明な描写力に、山田浅右衛門はただただ感心した。
「山田様、あたしはこのことを噺にしたいと思っているんですよ。お願いします、何とか、教えて貰えませんかねえ」
「噺に?」
 つまり、三遊亭圓朝が山田浅右衛門を呼んだのは、決して粋狂で幽霊画をみせるためでは決してない。高座のための題材として、この絵に白羽の矢を立てたのである。
「この世界にも色々ありやしてねえ。前座が高座の演物を先に喋っちまうといった、程度の低い嫌がらせが、多々あるんですよ」
「ほう」
「だから、独自に創っちまえば、もう誰も、あたしの真似なんざ出来やしねえって訳で」
「かといって、何も幽霊なんぞ扱わなくても……」
「人が扱わないものを扱ってこそ、芸の至極というもの。この圓朝がのるかそるかの大一番なんです。どうか、お力添えを頂きたい」
 その熱意に、とうとう山田浅右衛門も観念した。
 芸を極めようという三遊亭圓朝の気合に圧されたのも理由だが、この世で添えなかった於露が、せめて演物のなかで、まがい形にも添い遂げられるのなら
(それもひとつの供養だな)
 山田浅右衛門は経緯や結末は別として
「ふたりを添わせてやれるなら」
という条件で、ぽつりぽつり、三遊亭圓朝に今回の事件を語った。
 これが素材となったか否かは定かでないが、三遊亭圓朝は創作『怪談牡丹灯篭』を、翌万延元年に披露した。その生々しい男女の情念に裏付けられた恐怖に、江戸の庶民は震え上がった。更に三遊亭圓朝は次回作『真景累ヶ淵』を創り、いよいよ名実共に創作怪談の第一人者としての地位を確立した。
 三遊亭圓朝の趣味である幽霊画コレクションにも、いよいよ磨きがかかった。現在、それらは全生庵にその一部が現存している。
 しかし、銘のない葛飾於栄が描いた絵は、明治維新の混乱で行方不明となったものか、この世に存在していない。

 果たして山田浅右衛門が、この『怪談牡丹灯篭』を聴いたかどうか。
 葛飾於栄が何処へ行き、何処で野垂れ死にしたか。
 そして千葉佐那の画が無事に土佐の坂本龍馬の元へ届いたものか。
 それらもまた、謎であった。


                             《了》

次回、「孕女奇譚」おたのしみに
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