魔斬

夢酔藤山

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谷中奇譚

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               十一


 千葉道場の使いと称する者が平河町の屋敷へ駆け込んできたのは、その日の明け六つのことである。聞けば八咫聖が退魔の棄却を申し入れてきたという。
「おれは正業が忙しい。悪いが話は聞けないねえ」
 山田浅右衛門は不愉快そうに使者を門前払いした。
 すると、今度は高槻金太郎自ら小塚原まで出張り、山田浅右衛門に泣き付いてきた。
「あんたが依頼人を選べるように、おれも頼み人を選べるんだよ。信用がなけりゃあ、この稼業では、生命のやり取りが出来ねえ」
 山田浅右衛門は決して取りつく島を与えなかった。
 辛抱強く高槻金太郎は小塚原に留まったが、山田浅右衛門は無視し続けた。夕刻近くになると外出が恐いのか、やがて、高槻金太郎は逃げるように千葉道場へ引き上げていった。
 この日、仕置を終えた山田浅右衛門は、まっすぐ帰途についた。
 その途中
「旦那!」
 浅草弾左衛門と車善七が呼び止めた。
「珍しいな、ふたり揃って御出掛けかい?」
「冗談じゃねえ、旦那を呼びにいくとこだったのよ」
「なんでえ」
「いいから、来てくれ」
 只ならぬ様に、山田浅右衛門は頷いた。向かう先は、谷中のいろは茶屋であった。その一室にいたのは、花吉である。
「お前?」
 どういうことだと、山田浅右衛門は車善七をみた。
「こいつが山谷堀を訪れたのは今朝方。どうやら八咫聖を追い出されたらしい」
「ふ……ん」
 無関心そうに山田浅右衛門は花吉をみた。
 花吉は胸を張ると、唐突に
「仕事を依頼したい!」
「なに?」
「兄弟子の仇を討ちたい」
 呆れたように、山田浅右衛門は苦笑した。
「手前ぇ馬鹿か?八咫聖が魔斬の者に依頼するなんて、聞いたことがねえぜ」
「もはや八咫聖に非ず!」
「あ?」
 浅草弾左衛門は花吉を制すると
「こいつは八咫聖の人でなしぶりに、なんだか愛想を尽かしたそうな。勝手な話だが、これからは心を入れ替えて働くので、もう一度山谷堀に置いてくれと云ってきたのよ」
「お頭らしくもねえ仏心だね」
「儂は、いつでも懐が広いのさ」
「大方、八咫聖の情報と引替えでしょう?」
 浅草弾左衛門は苦笑いを浮かべた。図星のようである。まあ、分からぬ話ではない。八咫聖の全貌はずっと謎である。浅草弾左衛門の立場としては、喉から手が出るほど欲しい情報なのだ。
 しかし、山田浅右衛門は関係ねえやと呟きながら
「だいたい手前ぇが退魔すりゃあいいだろうが?」
と、面倒臭そうな素振を見せた。
「あの怨霊は叶わねぇ……於露だけは!」
「まさか、金の字が八咫聖に転んだ先は、手前ぇか?」
「いや、兄弟子だ。それが、失敗って……」
「おれは断るぜ。金の字の依頼も嫌だが、八咫聖の尻拭いも真っ平だ!」
 浅草弾左衛門は山田浅右衛門を何とか宥め透かし
「遣り方はすべて任せる。結果の是非は、すべて儂が責任を負う」
 そう云われてしまうと、なんとも断り難い。
「お頭がそういうなら」
と、山田浅右衛門は小さく頷いた。
「で、何時やりなさるんで?」
 車善七の問いに、少し考えてから
「今宵」
と山田浅右衛門は答えた。
「ついては、金の字の野郎を、ここまで連れてきて貰いたい。おれは大太刀を取ってくる」
 車善七は浅草弾左衛門をみた。
 浅草弾左衛門は頷くと
「千葉道場へは花吉がいけ。善は旦那の屋敷に大太刀を取りにいくのじゃ。旦那、ちとふたりで話がしたい」
 指図通りふたりは各々散っていった。
「さてと」
 腰掛けると差向いになり、まずはと銚子を傾けたうえで
「旦那の考えは、判ってますよ。今回だけは目を瞑りましょう」
 浅草弾左衛門は薄笑いを浮かべた。
 さすがだねえと、山田浅右衛門は苦笑いを浮かべて
「おれだって、一度きりだよ」
 神妙に、ぽつりと呟いた。
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