魔斬

夢酔藤山

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谷中奇譚

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               六


 小石川富坂に下総・多古一万二千石松平豊後守の江戸屋敷がある。松平豊後守はなかなかに信心深く、時折多くの雲水に暫しの軒を提供した。
 その好意を逆手にとり、八咫聖たちはこの屋敷を
「次の魔斬の邪魔立て」
のための拠点にしていた。
 この小石川から東へ程歩くと、加賀宰相で知られる金沢百万石・前田家の赤門が聳えている。この広大な屋敷の反対側に、根津権現があって、非公式な色街がひっそりと、それでも華やかに営まれていた。
 昼は権現詣りにくる善男も
「夜は〈観音〉詣りに」
と洒落込むのが、根津権現街の特色である。
 八咫聖は女犯を禁じられていた。しかし、男盛りを持て余す僧たちは、なんとか仲間の目を盗んではこの色街へ忍んでいった。花吉も八咫聖として松平豊後守の屋敷に軒を借りながら
「色街へ繰り出す」
破戒僧のひとりである。
 この日、花吉は根津門前町より路地裏に入った、不忍池へ注ぐ小川の端に建つ
「山吹櫻」
で女を買った。このとき花吉と枕を並べたのは、たゑという遊女だが、花吉と異なり火付きが悪く、おまけに
(漸く……)
というところで花吉が達してしまったものだから、些か不服そうに溜息を吐いていた。
 未練がましく花吉の一物に手を伸ばしたものの
「もう、鼻血も出ねえよ」
と叩かれて
「なんだい、意気地なし」
と悪態を吐いた。
 花吉は格子越しに外をみた。
 真下は柳の連なる路地で、行き交う男たちに、夜鷹が声を掛けているのが見えた。
「遊廓の脇で夜鷹かい」
 花吉の呟きに、肌襦袢を整えながら
「坊さんみたいに、ろくでもない役立たずばかりじゃないのさ。ここで散々やっときながら、今度は夜鷹遊びよと、洒落込む御強い旦那も多いんだよ」
 皮肉混じりに、たゑは呟いた。
「よくお上が目溢しているものだ」
「それを云ったら、ここだって似たようなものだからねえ」
「そりゃあ……そうだが」
「でもさ、やばい事もあったのよ。つい最近のことだけどさ、ここで夜鷹が殺されちまってねえ。確か於露とか言ったかしら。あのときはこの店も詮議されてさ、とんだ迷惑だったわよ」
 余程そのときのことが腹立たしかったのだろうか、たゑの言葉には、かなりの怒気が含まれていた。
「なんで夜鷹は殺されたのかね」
「さてねぇ……聞いた話じゃあ、御武家さんの客を取ったとき、何でも戯れに妾にしてやるとか言われて、すっかりその気になっていたとか」
「ふうん」
「別にその女を庇う訳じゃないけどさ、こういう商いに一旦堕ちると、そんな戯言にでも縋らなくちゃあ、女は生きてはいけないからねえ……」
「で、斬ったのは、そのお武家さんかい?」
「それが、酒に酔った何処かの御家中の家来らしくて。たぶん、表に出せないお殿様御一行なんだろうね。お上もそれきり、取り調べをやめちまったよ」
 花吉はぼんやりと聞きながら、柳の路地を行き交う人々を眺めていた。
 と、花吉の目に一人の男が止まった。
(……助六!)
 まさしく助六が、何やら怪しげな所作で、あちらこちらの夜鷹たちに声を掛けているのである。どうみても女を買いにきた様子ではない。
(魔斬の探りにきたのだ!)
と花吉は悟った。
 慌てて身繕いし、たゑへ小遣い銭を握らせると
「また来るぜ」
 そういって、花吉は店の外へ出た。
 助六の姿は、既にない。
(くそっ何処だ!)
 暫らく探し回ると、加賀宰相の屋敷脇の細道を、湯島方面に歩く助六の姿がみえた。
 花吉は急いで助六を追った。
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