魔斬

夢酔藤山

文字の大きさ
上 下
22 / 126

谷中奇譚

しおりを挟む
               二


 山田浅右衛門は山谷堀の浅草弾左衛門を訊ねた。今回の魔斬の首尾は散々だ。老夫婦は一足先にやられていた。件の花吉かどうかは、知る由もない。
「おれは助六の過去など、詮索するつもりはない。ただ、あいつ。確かに八咫聖の恰好だ。それだけが、気になって仕様がねえのよ」
 大きく溜息を吐いて、浅草弾左衛門はぽつりぽつり、話し始めた。
「もう、二十年にもなろうか。助六の親父は月丸といって、腕利きの魔斬人でなあ。先代の山田浅右衛門様とも張り合えるほどの、いい腕のの持ち主だった」
 その頃も、八咫聖が江戸へ荒稼ぎに現われたが、月丸はそれらを尻目に、易々と魔斬稼業を続けてきた。
「やつらはそれが邪魔だったのだ。ある日、金で侍を買って、月丸の暗殺を謀った。いくら魔斬の達人でも、人斬り包丁を本職にしていなさる御方に勝てる筈もなし。月丸は瀕死で山谷堀まで逃げてきた。それでも、魔斬の依頼を果たすのだといって、そのまま……」
「おっ死んだか」
「当時十一歳の花吉は、月丸直々に薫陶されて魔斬修業をしていた。敬愛する親父の無残な死に様が辛かったんだろうな、それきり、魔斬の修業を投げ出しちまった」
「まあ、分からぬ話ではないが……」
「旦那も承知と思うが、儂らはまともな職に就けねえ身分だ。そんな儂らでも、魔斬だけは唯一、胸を張って稼げる商いなのよ」
「……」
「それからの奴は、まだ幼い助六のために、人の嫌がる仕事を率先してやってきた。しかし、十年前に、奴め……」
 浅草弾左衛門の有する情報網により、その後の花吉の行動はすべて筒抜けであった。
「俗世に見切りをつけて仏門に帰依したものの、生まれついての身分が災いし、花吉は寺に入れて貰えなかった。そのうち、唯一、貴賎を問わぬ八咫聖へと……奴め、親父の仇の門を叩いてしまったのだ」
 その後の花吉の消息は、紀州の最奥に隠されて、仔細まで掴めなかった。だから、今回の八咫聖の一団に花吉がいることを、不覚にも浅草弾左衛門は見落としていたのだ。
「奴に捨てられた助六は、それから車善七の元で育てられたのさ。野郎が善のことを慕うのは、そういう経緯があったからよ」
「……ようは、甘ったれなんだな。兄の方は」
 山田浅右衛門は不愉快そうに吐き捨てた。
 父親の死が無残だったから、そんな稼業は継ぎたくないというのなら、単なる駄々っ子だ。親の屍を踏み越えて、子は前へ進むべきである。それもしないで、屁理屈ばかり捏ねているのなら
「そこいらの餓鬼より始末が悪い!」
「まあ、そう云ってくれるな。花吉の人生は花吉のもの、奴にも選ぶ権利はある。ただ……な。奴が八咫聖になり、魔斬稼業の敵となった、それだけが残念でならねえ」
 魔斬を嫌って出奔した花吉が、なんの因果か、八咫聖になった。
それはまさに、運命の悪戯としかいいようがない。
「そういう巡り合わせも、切ないねえ」
 それきり山田浅右衛門は黙り込んで、障子に照らされる月灯りを、ただぼんやりと見つめていた。
しおりを挟む

処理中です...