魔斬

谷中奇譚

　　　　　　　　　　　　　　　序


　江戸職業尽に載っていない商売がある。
　穢多階級が商う〔魔斬〕と、退魔の荒行を修めた紀州最奥の密教徒・八咫聖の功徳業たる〔退魔〕である。
　前者は江戸に棲まう者たちの飯の種であるが、後者はあくまでも奉仕である。つまり
「無償で」
妖魔の類を祓ってくれるというものだ。
　ゆえに両者は
「商売敵」
として、徳川家康が江戸に幕府を開いたときから対立する間柄にあった。
　八咫聖は何十年に一度、大挙して江戸に押し寄せる。
　その都度、魔斬稼業にある者たちは仕事を横取りされた。広い江戸とはいえ頻繁に魔斬の依頼がある訳ではない。その限りある仕事を、八咫聖は勝手に、しかも無償で、横取りしていくのである。
　累代に渡り魔斬に携わる人々は
「こちとら飯の食い上げよ」
と、さぞや悲鳴にも似た呟きを洩らしてきたことだろう。
　この年、安政六年（１８５９）九月末日。
　八咫聖たちは二十年ぶりに大挙して江戸に入府した。
　関東長吏頭・浅草弾左衛門は、この事実を迅速に入手し、魔斬稼業を営む手下どもを召集した。
「八咫聖がお江戸入りした。いいか、出し抜かれるんじゃねえぞ」
　浅草弾左衛門直々の叱咤は、そうそう滅多にあることではない。それだけに、今回の叱咤が如何に重要なことか、集められた穢多たちは、強く噛み締めていた。