魔斬

夢酔藤山

文字の大きさ
上 下
16 / 129

安政奇譚

しおりを挟む
                    十五


 安政五年もそろそろ暮れる。
 南北奉行所の御用納めは師走の三十日であるが、罪人の仕置の仕事は二十日までとされていた。
 ただ、世が世である。
 盗人や人殺し等は御牢に留め置かれたが、攘夷思想の者たちは、寸刻置かずに処刑されていった。これらの仕置は、正式な手続きを踏まず、山田浅右衛門の手を患わせるものではなかった。
 よって、山田浅右衛門のこの年の御用納めは、例年通り、南北奉行所務めの者たちに先んじたものになった。これより三十日までの数日間、山田浅右衛門は家伝の秘薬を調合して売りに出す。
 これがまた、実によく売れるのだ。特に皸の薬はよく売れた。
 薬の成分は、〈人の脂〉である。
 これを気味悪がる者も多い。が、その効能はずば抜けてよかった。じっくりと時間を掛けて擦り込んで、三月もしないで皸が治った者さえいた。次に売れたのは、やはり〈人の肝〉から精製した万病薬であろう。どれも高価な品物だ。が、金に糸目をつけず、買い占めていく大名家も少なくない。
 仕置を済ませたのち、浅右衛門は死体を貰い受けて蔵に保管していた。御公儀公認の役得である。だから山田家の蔵には、相当な数の首なし死体が貯蔵されていた。
ちなみに死体の使途は、薬の精製だけではない。諸藩で試斬りをするときなどは、ここの死体が用いられるのである。
 刀の切れ味を試すのは、人に限る。実際に人を斬らねば、その切れ味は判らない。諸藩でそれをしたくとも、死体を所有することは出来ぬ。御定法で許されないことになっているのだ。かといって、生きた人間を斬るのは辻斬りになる。わざわざ罪を犯すわけにもいかず、そこで、浅右衛門に商談が持ち掛けられるのだ。
 この躯の胴を、隠語で〈わら〉という。これもまた、高額で取引された。この穢れから得る所得が、山田家を支えていた。
 こういう金の出入が激しい家には、それを取り纏める内儀が必要である。山田浅右衛門にも妻女がいる。普通の家の奥を守るように、その妻女が台所をしっかりと仕切っていた。ともすれば散財しがちな浅右衛門に、目配り気配りをさりげなくこなす、実に過ぎた奥方様であった。
 それにしても
「よくも首斬り屋敷に嫁入る者がいる」
と、余人は散々陰口を囁く。
 が、この家は裕福なのだ。
 過去、山田浅右衛門は縁談に困る事はなかった。いずれも欲の皮の突っ張った貧乏旗本の家からの申入れである。が、そんな邪な婚儀が、長持ちする筈がない。そういう経緯で嫁入りした女は、なぜか一ヵ月も経たずに死んでしまうのだ。
 山田家は代々人の死で支えられた御家。それを弁えぬ者に、天は自ずと罰を下すのかも知れない。
 これは、山田家の不思議である。
 そんな婚儀ばかりを繰り返せば、どんな欲張りでも怖気付く。浅右衛門だって、そうだ。もう、何人の嫁を野辺送りにしたことか。誰だって、婚儀は御免だという心境になる。当然だ。
「でもな、女房は必要なんだよ」
 それも真実だ。だから器量よしや、業突く張りは結構だ。浅右衛門は腹いせのように、不器量で嫁にも行きそびれたような、器量なしの醜女を、わざわざ望んで妻とした。
それがいまの妻・貞である。
 元々行く宛てもない貞だ。
「こんなところでもお役に立てるのなら」
と、不貞腐れたように渋々と山田家に嫁いできた。
 しかし世の中は奇妙なものだ。あれだけ因果の巡る山田家のお内儀の座、渋々と輿入した彼女は、十年以上経っても未だ元気で、何事もなく生きているのである。
「悪い夢とか、見ねえか?」
「いえ、ぐっすりと」
 これまでのことが嘘のようだ。しっかり子も産み育てているのだから、まことに以て、不思議だった。
 今年も年越しの支度に追われて、山田家の台所は戦場だ。が、彼女は泣き言ひとつ云わず、いつものように黙々と働いていた。そんな寡黙な妻だから、使用人たちも無口な者が多い。黙々と働くその姿が却って不気味で、やはり口さがない噂が世間を駆け巡った。
「使用人は、皆死体」
「首がないから声もなし」
 首斬り屋敷と囁かれる家には、何やらしっくりくる噂ではあった。冗談ではあったが、冗談と笑えぬ重さが付きまとう。
 これが、山田家の年の瀬だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

独り剣客 山辺久弥 おやこ見習い帖

笹目いく子
歴史・時代
旧題:調べ、かき鳴らせ 第8回歴史·時代小説大賞、大賞受賞作品。本所松坂町の三味線師匠である岡安久弥は、三味線名手として名を馳せる一方で、一刀流の使い手でもある謎めいた浪人だった。 文政の己丑火事の最中、とある大名家の内紛の助太刀を頼まれた久弥は、神田で焼け出された少年を拾う。 出自に秘密を抱え、孤独に生きてきた久弥は、青馬と名付けた少年を育てはじめ、やがて彼に天賦の三味線の才能があることに気付く。 青馬に三味線を教え、密かに思いを寄せる柳橋芸者の真澄や、友人の医師橋倉らと青馬の成長を見守りながら、久弥は幸福な日々を過ごすのだが…… ある日その平穏な生活は暗転する。生家に政変が生じ、久弥は青馬や真澄から引き離され、後嗣争いの渦へと巻き込まれていく。彼は愛する人々の元へ戻れるのだろうか?(性描写はありませんが、暴力場面あり)

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

居酒屋店主の恋

メタボ戦士
歴史・時代
 居酒屋という言葉は江戸時代から始まったと言われる。そんな時代に居酒屋で働く女店主と偶然助けた浪人の物語  

忍び働き口入れ(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走
歴史・時代
(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)藩の忍びだった小平治と仲間たち、彼らは江戸の裏長屋に住まう身となっていた。藩が改易にあい、食い扶持を求めて江戸に出たのだ。 が、それまで忍びとして生きていた者がそうそう次の仕事など見つけられるはずもない。 そんな小平治は、大店の主とひょんなことから懇意になり、藩の忍び一同で雇われて仕事をこなす忍びの口入れ屋を稼業とすることになる――

浅葱色の桜

初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。 近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。 「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。 時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。 小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。

暁の刻

煉獄薙
歴史・時代
私は一人で生きていく。 暁月雫は一人ぼっちだった。 とある学校からの帰り道、雫はタイムスリップをして幕末へと飛ばされた。 新撰組にの沖田との出会いで、雫の心は変わっていく。 「その笑顔止めてよ。一番嫌いな顔だ」 「あのときみたいに、何も出来ない自分ではいたくない」

渡世人飛脚旅(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)

牛馬走
歴史・時代
(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)水呑百姓の平太は、体の不自由な祖母を養いながら、未来に希望を持てずに生きていた。平太は、賭場で無宿(浪人)を鮮やかに斃す。その折、親分に渡世人飛脚に誘われる。渡世人飛脚とは、あちこちを歩き回る渡世人を利用した闇の運送業のことを云う――

処理中です...