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安政奇譚
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十五
安政五年もそろそろ暮れる。
南北奉行所の御用納めは師走の三十日であるが、罪人の仕置の仕事は二十日までとされていた。
ただ、世が世である。
盗人や人殺し等は御牢に留め置かれたが、攘夷思想の者たちは、寸刻置かずに処刑されていった。これらの仕置は、正式な手続きを踏まず、山田浅右衛門の手を患わせるものではなかった。
よって、山田浅右衛門のこの年の御用納めは、例年通り、南北奉行所務めの者たちに先んじたものになった。これより三十日までの数日間、山田浅右衛門は家伝の秘薬を調合して売りに出す。
これがまた、実によく売れるのだ。特に皸の薬はよく売れた。
薬の成分は、〈人の脂〉である。
これを気味悪がる者も多い。が、その効能はずば抜けてよかった。じっくりと時間を掛けて擦り込んで、三月もしないで皸が治った者さえいた。次に売れたのは、やはり〈人の肝〉から精製した万病薬であろう。どれも高価な品物だ。が、金に糸目をつけず、買い占めていく大名家も少なくない。
仕置を済ませたのち、浅右衛門は死体を貰い受けて蔵に保管していた。御公儀公認の役得である。だから山田家の蔵には、相当な数の首なし死体が貯蔵されていた。
ちなみに死体の使途は、薬の精製だけではない。諸藩で試斬りをするときなどは、ここの死体が用いられるのである。
刀の切れ味を試すのは、人に限る。実際に人を斬らねば、その切れ味は判らない。諸藩でそれをしたくとも、死体を所有することは出来ぬ。御定法で許されないことになっているのだ。かといって、生きた人間を斬るのは辻斬りになる。わざわざ罪を犯すわけにもいかず、そこで、浅右衛門に商談が持ち掛けられるのだ。
この躯の胴を、隠語で〈わら〉という。これもまた、高額で取引された。この穢れから得る所得が、山田家を支えていた。
こういう金の出入が激しい家には、それを取り纏める内儀が必要である。山田浅右衛門にも妻女がいる。普通の家の奥を守るように、その妻女が台所をしっかりと仕切っていた。ともすれば散財しがちな浅右衛門に、目配り気配りをさりげなくこなす、実に過ぎた奥方様であった。
それにしても
「よくも首斬り屋敷に嫁入る者がいる」
と、余人は散々陰口を囁く。
が、この家は裕福なのだ。
過去、山田浅右衛門は縁談に困る事はなかった。いずれも欲の皮の突っ張った貧乏旗本の家からの申入れである。が、そんな邪な婚儀が、長持ちする筈がない。そういう経緯で嫁入りした女は、なぜか一ヵ月も経たずに死んでしまうのだ。
山田家は代々人の死で支えられた御家。それを弁えぬ者に、天は自ずと罰を下すのかも知れない。
これは、山田家の不思議である。
そんな婚儀ばかりを繰り返せば、どんな欲張りでも怖気付く。浅右衛門だって、そうだ。もう、何人の嫁を野辺送りにしたことか。誰だって、婚儀は御免だという心境になる。当然だ。
「でもな、女房は必要なんだよ」
それも真実だ。だから器量よしや、業突く張りは結構だ。浅右衛門は腹いせのように、不器量で嫁にも行きそびれたような、器量なしの醜女を、わざわざ望んで妻とした。
それがいまの妻・貞である。
元々行く宛てもない貞だ。
「こんなところでもお役に立てるのなら」
と、不貞腐れたように渋々と山田家に嫁いできた。
しかし世の中は奇妙なものだ。あれだけ因果の巡る山田家のお内儀の座、渋々と輿入した彼女は、十年以上経っても未だ元気で、何事もなく生きているのである。
「悪い夢とか、見ねえか?」
「いえ、ぐっすりと」
これまでのことが嘘のようだ。しっかり子も産み育てているのだから、まことに以て、不思議だった。
今年も年越しの支度に追われて、山田家の台所は戦場だ。が、彼女は泣き言ひとつ云わず、いつものように黙々と働いていた。そんな寡黙な妻だから、使用人たちも無口な者が多い。黙々と働くその姿が却って不気味で、やはり口さがない噂が世間を駆け巡った。
「使用人は、皆死体」
「首がないから声もなし」
首斬り屋敷と囁かれる家には、何やらしっくりくる噂ではあった。冗談ではあったが、冗談と笑えぬ重さが付きまとう。
これが、山田家の年の瀬だった。
安政五年もそろそろ暮れる。
南北奉行所の御用納めは師走の三十日であるが、罪人の仕置の仕事は二十日までとされていた。
ただ、世が世である。
盗人や人殺し等は御牢に留め置かれたが、攘夷思想の者たちは、寸刻置かずに処刑されていった。これらの仕置は、正式な手続きを踏まず、山田浅右衛門の手を患わせるものではなかった。
よって、山田浅右衛門のこの年の御用納めは、例年通り、南北奉行所務めの者たちに先んじたものになった。これより三十日までの数日間、山田浅右衛門は家伝の秘薬を調合して売りに出す。
これがまた、実によく売れるのだ。特に皸の薬はよく売れた。
薬の成分は、〈人の脂〉である。
これを気味悪がる者も多い。が、その効能はずば抜けてよかった。じっくりと時間を掛けて擦り込んで、三月もしないで皸が治った者さえいた。次に売れたのは、やはり〈人の肝〉から精製した万病薬であろう。どれも高価な品物だ。が、金に糸目をつけず、買い占めていく大名家も少なくない。
仕置を済ませたのち、浅右衛門は死体を貰い受けて蔵に保管していた。御公儀公認の役得である。だから山田家の蔵には、相当な数の首なし死体が貯蔵されていた。
ちなみに死体の使途は、薬の精製だけではない。諸藩で試斬りをするときなどは、ここの死体が用いられるのである。
刀の切れ味を試すのは、人に限る。実際に人を斬らねば、その切れ味は判らない。諸藩でそれをしたくとも、死体を所有することは出来ぬ。御定法で許されないことになっているのだ。かといって、生きた人間を斬るのは辻斬りになる。わざわざ罪を犯すわけにもいかず、そこで、浅右衛門に商談が持ち掛けられるのだ。
この躯の胴を、隠語で〈わら〉という。これもまた、高額で取引された。この穢れから得る所得が、山田家を支えていた。
こういう金の出入が激しい家には、それを取り纏める内儀が必要である。山田浅右衛門にも妻女がいる。普通の家の奥を守るように、その妻女が台所をしっかりと仕切っていた。ともすれば散財しがちな浅右衛門に、目配り気配りをさりげなくこなす、実に過ぎた奥方様であった。
それにしても
「よくも首斬り屋敷に嫁入る者がいる」
と、余人は散々陰口を囁く。
が、この家は裕福なのだ。
過去、山田浅右衛門は縁談に困る事はなかった。いずれも欲の皮の突っ張った貧乏旗本の家からの申入れである。が、そんな邪な婚儀が、長持ちする筈がない。そういう経緯で嫁入りした女は、なぜか一ヵ月も経たずに死んでしまうのだ。
山田家は代々人の死で支えられた御家。それを弁えぬ者に、天は自ずと罰を下すのかも知れない。
これは、山田家の不思議である。
そんな婚儀ばかりを繰り返せば、どんな欲張りでも怖気付く。浅右衛門だって、そうだ。もう、何人の嫁を野辺送りにしたことか。誰だって、婚儀は御免だという心境になる。当然だ。
「でもな、女房は必要なんだよ」
それも真実だ。だから器量よしや、業突く張りは結構だ。浅右衛門は腹いせのように、不器量で嫁にも行きそびれたような、器量なしの醜女を、わざわざ望んで妻とした。
それがいまの妻・貞である。
元々行く宛てもない貞だ。
「こんなところでもお役に立てるのなら」
と、不貞腐れたように渋々と山田家に嫁いできた。
しかし世の中は奇妙なものだ。あれだけ因果の巡る山田家のお内儀の座、渋々と輿入した彼女は、十年以上経っても未だ元気で、何事もなく生きているのである。
「悪い夢とか、見ねえか?」
「いえ、ぐっすりと」
これまでのことが嘘のようだ。しっかり子も産み育てているのだから、まことに以て、不思議だった。
今年も年越しの支度に追われて、山田家の台所は戦場だ。が、彼女は泣き言ひとつ云わず、いつものように黙々と働いていた。そんな寡黙な妻だから、使用人たちも無口な者が多い。黙々と働くその姿が却って不気味で、やはり口さがない噂が世間を駆け巡った。
「使用人は、皆死体」
「首がないから声もなし」
首斬り屋敷と囁かれる家には、何やらしっくりくる噂ではあった。冗談ではあったが、冗談と笑えぬ重さが付きまとう。
これが、山田家の年の瀬だった。
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