魔斬

夢酔藤山

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安政奇譚

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                    十三


 その日、山田浅右衛門は一日の仕置を済ませると、奉行所を出で、その足で山谷堀へと赴いた。理由はどうあれ浅草弾左衛門預かりの手の者を死なせた。これは不始末であり、手落ちだった。その不手際を詫びて、それに見合う罰に服す。魔斬の仕事に携わる者の、それが仁義であった。
 しかし、山谷堀長吏街は門を閉ざして何物の侵入さえ阻んでいた。
「おい、山田浅右衛門じゃ。弾左衛門のお頭に逢いたい。門を開けてくれ」
 門に向かって叫んだ。
 ややあって、門の向こう側から返事があった。
「お頭は顔を見たくないそうな」
「おい?」
「お頭の仰せは変わらぬ」
 浅右衛門は溜息吐いた。
(無理もない。死ななくともよい生命が奪われたのだ)
 ここはおとなしく出直してきた方がよいかも知れぬ。そう思い、浅右衛門は足取り重く、帰途に就いた。いつもは途中で寄り道をするのだが、今日はそんな気分にもない。何やら酒も不味そうに思えて、どうにも暖簾を潜る気にもなれなかったのだ。
 薄暮の頃は逢魔ヶ刻である。
 この世とあの世の交錯する、魔性の刻限だった。
 新寺町通りを早足で歩き、下谷から神田を目指した。人影は疎らで、町並みを抜けると神田川の畔に出る。此処いらで、見事な夕焼けに包まれた。
 そのときである。
 ふと、浅右衛門は殺気を覚えた。
 瞬間、傍らの杉並木に潜んでいた男が
「天誅!」
 その切っ先を躱すと、反射的に、浅右衛門は備前長光を抜刀し、その男を袈裟掛けに斬った。斬ってしまってから、手加減をしなかった自分に
(……しまった!)
と、心の内で舌打ちした。
 慌ててその者を起こし
「何者か?俺を山田浅右衛門と知っての事か」
と正した。
 浪人風の男は、ただ一言
「橋本先生を……よくも」
 そう云い残して、息絶えた。恐らく浪人は、山田浅右衛門が仕置した福井藩士・橋本左内の弟子なのだろう。攘夷論者を返り討ちにしたというのなら、別段、浅右衛門は罪を問われる事はない。
 しかし……。
(厭な世の中じゃ)
 浪人の骸を杉並木の袂に除けると、浅右衛門は近くの番屋へ出頭し、一連の報告をした。番屋に詰め同心がいたので、すぐさま現場へ駆け付けた。同心は遺体を検分したが
「斬らねば、間違いなく斬られていた。浅右衛門殿には、落ち度はござるまい。今日はこのまま御引取りくだされ。明日、奉行所で話を聞きましょう」
 初老の人懐こい顔の同心は、小者を動員して死体を詰所へ運ばせた。その様子を伺いながら、浅右衛門は溜息吐いて、背中を丸めた格好で家路を急いだ。
 平河町の屋敷に着く頃には、陽はとっくに暮れていた。肌寒い風が、浅右衛門の憂欝を一層掻き立てる。
 と、屋敷の前に誰か立っていた。助六である。
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