魔斬

夢酔藤山

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安政奇譚

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                十二


 浅右衛門は悲鳴のした方向へと、駆け出した。大太刀を抜き払い、鞘を腰帯にぶち込んで豕塚のある場所へと急いだ。
 闇のなかの境内には、独自の霊気が漂っていた。ここはただの寺ではない、無縁の者が葬られている。その霊気は、妖気にも等しい。
「助六、どこだ、助六」
 浅右衛門の呼び掛けに反応があった。そちらへ走ると、やがて小高い塔の陰影が月明かりに浮かび上がった。それが豕塚だった。季節は晩秋だから夜は冷え込む。しかしこの辺りは湿気があり、やたらと蒸す。
息苦しい。
 浅右衛門は周囲を伺うと、数名分の惨殺死体を認めた。どれも、浅草弾左衛門のところでみた顔だ。
「だ……旦那」
 振返ると、助六が返り血に塗れ、腰を抜かしていた。
「如何した」
「あわわわわわ」
 浅右衛門は助六に駆け寄った。手拭いで顔の血脂を拭き取りながら、もう一度、何が起きたのかを訊ねた。
「……旦那のいうとおりに、お頭に伝えやした。そしたら兄貴分の御供を五人附けられやして、それで浄閑寺に駆け付けたら、旦那はまだ来ておらず。兄貴は旦那が来る前に、浅草弾左衛門一家の仕事をしようと……それで!」
「馬鹿野郎。そんなことで納まらねぇから、お頭は俺に仕事を頼んだのだ。そんなことも分からねえのか……!」
 浅右衛門が拳を振り上げた、瞬間。
 ひゅっ。
 小石が浅右衛門の手の甲を打った。その飛んできた方向へ向くと、凄まじい形相の女が、ふわふわと宙に漂いながら笑っていた。
 青白い顔。
 釣り上った眦。
 とらと名乗った婆の殺した嫁は、この者に違いない。
 浅右衛門は大太刀を構えた。
 女の周囲には、青白い狐火が舞い交った。いわゆる人魂とは異なり、何やら獣の臭いが周囲に漂った。そう、これは狐の臭いだ。
「やれやれ、畜生と抱き合わせか。こりゃ容易に払えぬわけだ」
 苦笑を零すと、浅右衛門は大太刀を頭上に翳した。女も四ん這いになり、耳元まで口が裂けた顔で凄んだ。
両者とも微動だにせず、相手の出方を伺っている。その間にも、幾度となく、月明かりは雲に消えて、照らされた。
 そして、次の闇が生じた瞬間、女は猛る獣の如く襲いかかってきた。
「斬―!」
 浅右衛門は大太刀を一閃した。
 この一撃で、女の身体は真っ二つに断斬られた。が、その瞬間、女の身体から、銀色の湯気が飛び出した。狐の霊はまんまと切っ先を躱したのである。銀色のそれはまるまる狐の形状に変じ、下顎から伸びる牙を剥いて、浅右衛門を威嚇し始めた。
「畜生の分際で、人間に楯突くのかい?」
 浅右衛門を問いに狐は答えない。
 間合いを取りながら注意深く、浅右衛門は相手の特徴を見定めた。狐は銀色の毛に覆われて、真っ赤な舌をだらりと垂らし、大きな二本の尻尾を真上に掲げていた。狐は魔性の度合いが高まれば尾の数が増えていく。金毛九尾になればお手上げだが、まだ二本なら、浅右衛門の手に負える。
(低級霊じゃ)
 浅右衛門は大太刀を下段に構えた。
 そして、切っ先を下に向けた。右足を一歩前に出すと同時に、浅右衛門は突きを入れた。狐はそれを上方へ飛んで躱した。が、浅右衛門はそれを読んでいた。返す太刀筋で狐の下腹を斬り裂いた。
「ギャアアア!」
 女の声と狐の悲鳴が響いた。
 直後、豕塚も大きく鳴動した。その振動に仰天した助六が、慌てて浅右衛門に駆け寄り背中に隠れた。やがて豕塚の鳴動も止み、辺りには、月明かりだけが残った。浅右衛門は背中に張りついている助六を引き剥がすと
「そこいらの草叢を探せ。女の骸がないか」
 助六は動かない。
「助!」
 助六はぎこちない動きで、草むらを手探りした。骸は豕塚の裏影にあたる枯草のなかにあった。まだ腐ってはいないが、比較的新しい女の骸だ。折檻のあとが青黒く遺されている。
「間違いないな」
 袂より粗塩をひと摘み取り出すと、浅右衛門は女の骸に振りかけてから、合掌した。
「助六よ」
「……」
「聞いているのか、助!」
「へえ」
 助六は、ゆっくりと顔を上げた。
「お前は仏さんを荼毘に伏してやれ。灰は大川へ流して、回向してやれよ。それと兄貴分の供養も、きちんとしてやるんだ」
「……へえ」
 辛そうに口元に笑みを浮かべながら、浅右衛門は大太刀を担いで、ゆっくりと立ち去っていった。
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