小河内ムーンライト

夢酔藤山

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 九月の月は美しい。山に囲まれて、ぽっかりと天空だけが開けて、その頭上から照る月光は太陽のようにも感じる。足元の影は濃く、それでも天の川は、天空に大きく横たわる大河のようだった。
「美しい」
 塞ぎがちだった上寺智は、この日、初めて無意識に笑みを零した。
 湯煙は白く、日暮れの大気は肌寒い。東京府内に繁盛する銭湯の半分ほどの湯殿とは別に、川を見下ろせる庇のついた半野天の湯船もある。年季の入った檜のもので、触れると角のないぬるりとした感触だ。
 ランプの灯りは湯煙で遮られてゆらめく。
(そういえば)
 営業で赴いた上州草津でも、このような温泉に浸かったような気がする。たくさんの地蔵に囲まれた湯壺だった。もっともそのとき草津は、喧騒に包まれて、少しも落ち着くものではなかった。
 川魚と山菜、酒は自家製のどぶろく。
 銀座の和風洋食と比べるのは気の毒だが、それとは別に、素朴であるが美味い。飯は、囲炉裏のある広間で宿泊客全員が食べる。老若男女は当然のこと、工事現場で働くため寄宿する人足も一緒だ。
「おい、米は五合持って来たんだ。もう少し盛って寄越せ」
と、威勢のいいオヤジもいる。黙ってどぶろくだけを吞み続ける爺さんもいた。こういう雰囲気は、久しく忘れていた。地方に行ってもバンドメンバーに気を使い、しみじみとした気分になったことがない。
(そうだよ、旅はこうでなきゃいけない)
 張り詰めた気分が、なんとなく解けていくようだ。
 この日、上寺智は珍しく泥のように眠った。目が醒めたとき、ここはどこだと、戸惑うほどにグッスリと眠ったのである。
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