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 パトリニアは、人狼、サイクロプスも消え、誰も何も言わない無音と化した世界で、ゆっくりと口を開き始める。

「……わりぃプエラリア……俺っち……」

 優しい笑みで振り返る、記憶の中の愛しい人。
(はは……帰れなくなっちまった……)
 崩れる様に、その場に倒れ、
「だが……土産は……」
 ローブから微かに覗く口元は、その動きを止めた。

 誰にも渡したくなかった「愛らしい笑み」を、その胸に抱きながら。

 彼が最期に思った事は、何であったろうか。
 後悔、懺悔、全ては本人しか知り得ない話だが「一つだけ」言える事がある。
 それは彼が、それ程までに「愛した人」と、二度と会う事も、話す事も、触れ合う事も出来なくなったと言う事実である。

 何故、彼がそうまでしてこの戦場を作り出したのか……。

 息絶えたかに思える地世の導師パトリニアから少し距離を置いた所で、指先がピクリと微かに動く、仰向けのラミウム。
 すると、
「は……はは……どうにか……アタシぁ「まだ生きてる」らしぃさぁねぇ……」
 生きているのが不思議なくらいの疲労困憊な表情で、澄み切った青空を仰ぎ見た。

 エルブ国軍の勝利である。

 湧き上がる大歓声。

 天を、地を、震わせるほどの歓声が戦場に沸き上がる中、

『ラミィ! ラミィーッ!! ラミィーーーッ!!!』

 涙でグズグズになった顔で、懸命に走るラディッシュの姿が。
「!」
 その後ろには、ドロプウォートとパストリスの姿も見える。

 品も、恥も、外聞も打ち捨て、慌てふためき駆け寄って来る仲間たちの姿に、
(何てぇ声を上げてんのさぁねぇ、間の抜けた面を三つも揃えてぇさぁ)
 仰向けるラミウムは、呆れ笑いで起き上がろうとしたが、
「おぅ?!」
 体は想いと相反し、全く動かなかった。

 それどころか、全身の痛みも、地面に横わるっている感触すら背中に感じられず、
「…………」
 正に満身創痍。
 しかし、気分は晴れやかで、
「今回ばかりは、ちいぃ~と、やり過ぎたかたねぇ~」
 満足気な笑みを浮かべたが、

『!?』

 真下から近づく地世のチカラの気配が。
(まさか!)
 動かぬ体でパトリニアの亡骸を凝視するラミウム。
 そこには、
(ッ!)
 ローブの下の口元に浮かぶ、最期の不敵な笑み。

(こいつぁヤバイさぁねぇ!)

 不吉を察したが、既に時遅し。
 ラミウムが横たわる地面の真下から、黒いシミの様な「地世のチカラ」が滲み出て来て、アメーバーの様な形状に変わり、

『『『ラミィ!!!』』』

 異変に気付き、死に物狂いで走り出すラディッシュ達を尻目に、ラミウムの体に纏わり始め、

『来んじゃないさぁねぇーーーッ!』

 戦場全体に響くラミウムの一喝。
「かっ、体がまたぁ!」
「動けませんですわぁ!」
「動けないでぇす!」
 盗賊村の再現、それはエルブの兵たちまでも。
(どうやらぁアタシの正確な位置を特定されちまったよぅさぁねぇ……まぁ、アレだけ派手に暴れりゃ当然かねぇ)
 地世のチカラに徐々に取り込まれて行く体で、自嘲気味な笑みを浮かべたが、

「だがねぇプエラリアァ!」

 強い意志を持った両目をカッと見開き、動かぬ筈の右手を執念で以てラディッシュに向け、
「アタシのチカラをぉ、アンタ達に易々と渡したりはしないさぁねぇ!」
 高濃度に圧縮された様な「白き光の塊」が放たれ、
「ラミィ、何をぉ!?」
 動けぬラディッシュに直撃。

『アァアァッァアァアアァアァアァァ!』

 途端に全身に襲い来る、かつて経験した事が無い、焼ける様な痛み。

 立ったまま、のたうつ事も出来ず苦しみ、
「ラディ!」
「ラディさん!」
 駆け寄る事も出来ないドロプウォートとパストリス。

 混乱に陥る三人の姿に、
(悪いさぁねぇ、ラディ。だが狙い定めた「天世のチカラ」の座標がズレた事で、アイツの術式も……)
 止まる筈と思っていたラミウムであったが、取り込みは止まる様子を見せず、完全に当てが外れた形となった。

 しかし、
(そうかい、そぅ言う事かぁい)
 焦る様子も見せないラミウム。
 それどころか全てを悟った、達観した笑みさえ浮かべ、動けぬ体で、

『ラディ、聞こえるかァい!』

 ラディッシュは痛みに耐えながら、
「らっ、ラミィ! コレ、どぅ言う!」
『済まないねぇ! アタシの博打が大外れ引いちまったのさぁね!』
「なっ、何をぉ言ってぇ、」
 苦しみながらも問うラディッシュの言葉を遮る様に、

『ドロプゥ!』
「!」

『パストォ!』
「!」

『アンタ達ぁ、もう少し自分の心に素直に生きなぁ~やぁ!』
「「!!!」」

 それは遺言、餞別の類いの言葉にしか聞こえず、

「何を言っていますの、ラミィ! その様な地世のチカラ、ワタクシが浄化して見せますわァ!」
「ボクのチカラで、そんなウネウネ引きがしてみせますでぇす! だからラミィさん術を解いてぇ!」

 懸命に体を動かそうとする間も、体は次第に黒で覆い尽くされて行き、ラミウムはほんの一瞬だけ浮かべた悲し気な表情と、
「ら………」
 口にしかけた言葉を飲み込むと、いつも通りの強気な笑顔で、

『二人ともぉ「アタシのヘタレ勇者」を頼んだよぉ!』
「「ラミィーーーッ!」」

 二人の悲痛な叫びが戦場にこだまする中、

『嫌ぁだぁあぁーーーーーーっ!』
「「「ッ!」」」

 堪らず絶叫するラディッシュ。
 大切な人だと、今更ながらも気付いた人が呑み込まれて行く様を、タダ見ている事しか出来ない自身に、

「こんなのぉ嫌だよォおぉぉ、ラミィーーーーーーッ!!!」

 共に過ごした今日までを、走馬灯のように思い返しながら。
「…………」
 ほぼ全身を黒に覆い尽くされながら、わずかに残った薄紫色の瞳で、泣きじゃくるラディッシュを見つめるラミウム。
(……アンタに出会ったのは偶然だった……)
 想いは過去へと渡り、
(アンタは優し過ぎるあまりに「他人へ気遣い」をも考え過ぎて間を外し、騙され、利用され、失敗ばかりの毎日……そんなアンタが、どこか気になって……そしてアンタは見守るアタシの目の前で、自ら命を……アンタとアタシぁタイプは違うが「不器用さん」の似た者同士……)

 そして彼女も今更ながら気が付いた。

(あぁ……そうかい、ラディ……だからアタシぁアンタのことを……一番素直じゃなかったのはアタシら、か……)

 後悔とも思える涙を一筋こぼすと、
(過酷な運命を更に背負わせちまったが、アンタの苦い記憶はアタシが持って逝く……イイ漢になるんだよ、ラディ……)
 最期のチカラを振り絞る様に、

『大司祭(ターナップの祖父)の所に行って強くおなりぃなァアァァァッァァァァアァ!』

 それが彼女の最期の言葉であった。
 完全に黒に覆い尽くされた彼女の体は、盗賊村の村人たちの様に、瞬く間に地面に沁み込み、

「「「ッ!!!」」」

 跡形も無く消え去り、思い出だけ残して逝ってしまった「愛する人」に、

『『『ラミィーーーーーーーーーーーーッ!!!!』』』

 胸が張り裂ける想いで叫んでみても、いつもの斜に構え、皮肉った笑顔の返事が返る事は、二度と無かった。
 大陸中を駆け巡る「百人の天世人ラミウム」が、エルブ国を護る為「御隠れになった」と言う一報。

 しかしその急報は皮肉にも、近隣諸国の侵略を受ける寸前であった「衰弱したエルブ国」を救う事となる。

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