それは素晴らしきメイド達の世界

夏ノ木の実

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最終章 異世界のメイドさんを救うのは

第五十四話 メイドさんの危機

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 リリアの屋敷に行ってから三日間は何ごともなく過ぎていた。

 英雄が倒されたというニュースは彼の小さな汚点のように扱われ、街中で人々の話題に上ることもない。いっそこのまま平和が続くような気すらしていた。
 そんな昼下がり。

「鳥太様っ! 大変ですっ!」

 昼食のフェッティペパロニを口に運んでいる途中で、飛び込んできたのはオレンだった。

「ついに来た……?」

 モゴモゴと口の中に詰まったまま尋ねる。
 英雄が敗北したことは既に知られているが、シルフェントから脱退したことは一部の貴族にしか知られていない。俺はリリアから聞いたので遅かれ早かれ速報が来ると知っていたし、ルッフィランテの皆にも話してある。

「英雄のニュースだけじゃないんです! 大変です! これをっ…………!」

 オレンのこの慌て方は尋常じゃない。普段はどんなときも笑顔で雰囲気を保とうとする優しいメイドさんだ。
 嫌な予感がしながら渡された紙を受け取り、その内容を確認する。

『英雄マック・ロナルフとディーク・バシュラウドはシルフェントの証を賭けて決闘を行っていたことが判明した。これにより英雄マックはパルミーレにおいて、シルフェントに参加する権利を失った。これに対して大公が特例の措置を下し、英雄をグラヅォールへ招くことが決まった』

 ここまでは問題ない。マックのシルフェント脱退は民衆にとって大きなショックだが、一つ下の階級のグラヅォールで政治を行えるのであれば幾分か不安は和らぐ。……はずだった。

『これまで地方で実績を重ねてきたディーク・バシュラウドは、今後シルフェントでの活動に注力することを宣言しており、その活動方針として、国を動かす軸を王という一つの階級に集約する意思を示した。同時に……』

 目で追う度に砂を飲み込んでいるような感覚があった。
 次の一文を確かめる。

『“メイド”の身分を一時廃止する方策を提案した』

 トマト、オレンと顔を見合わせた。

「これは…………」
「ええ、ついに動き出しましたね」
「トマトは知っていたのですか⁉ これは本当なのですか⁉」

 オレンの声に気付き、他のメイドさん達も仕事の手を止めてこちらを見つめた。
 静かなホールに俺達の声だけが響く。

「私は鳥太様にお付きしてパルミーレに行ったとき、ディークの話を聞いていたのです。フィルシーさんの判断でみんなには伏せていました。確かに大変なことですけれど、まだ決まったわけではないですよ」

 トマトはオレンを宥めるように柔らかく言い、速報の続きを示した。そこにはこう書いてあった。

『この方策は前回のパルミーレ定例会議で提示された。しかし、リリア・フィリヌスが不在だった為、可決には至っていない。欠席制定への期限は迫っている』

 ん……?

「トマト、この”欠席制定”ってのは……」
「ご主人様の誰かが会議を欠席した場合、その間に提案された方策に異議を唱えることができるのですが、一定期間を過ぎると自動で承認されるというシステムです」
「…………えと、つまり……」

 首を捻る俺に、オレンが震える声で答えた。

「簡単に言ってしまうと、このままリリア様が何もしなければ、私達はメイドでいられなくなってしまうということです……」
「なっ!」

 つまり、この方策が実行されるかどうかは残る対抗勢力のリリアに託されている。それなら何としてもリリアに止めてもらうしかない。
 いや、その前に。

「オレン、このことをフィルシーさんに」
「はい……! 仕事部屋にいるはずなので、すぐに知らせてきます!」



 真剣な眼差しで速報を睨んでいたフィルシーさんは、ふっと顔を上げ、ホールにいるメイドさん達を見渡した。そして、パンッ! と軽快に手を打った。

「大丈夫です。この方策が通ったとしてもすぐに執行されることは考えにくいですから、その間にルッフィランテでも対策を練ります。それにもし方策が執行されたとしても、世界中のメイド喫茶をすぐに変えることなどできません。ルッフィランテはもちろん他のメイド喫茶と連携を取って抵抗しますよ」

 いつもと変わらぬ口調で告げ、フィルシーさんは「お仕事の手を止めていてはいけませんよ」と締めくくった。メイドさん達もそれに反応して、少し不安そうにしながらも業務に戻る。

 緊急時に言葉一つで彼女達を落ち着かせられる。やはりフィルシーさんはルッフィランテの精神的支柱だ。

「鳥太君、ちょっとこちらへ来ていただいていいですか? お手伝いしてほしいことがあります」
「はい、もちろん」

 階段を上り、連れていかれたのはフィルシーさんの仕事部屋だった。
 ドアをきっちりと閉めると、フィルシーさんは俺に背を向けたまま小さく震え出した。

「ちゃんと…………できていたでしょうか…………」

 その声を聞いて、さっきの態度は強がりだったと悟った。
 大丈夫なんかじゃない。メイド喫茶が国の中枢機関に対抗するなんてことは、やっぱりできないんだ。
 フィルシーさんがどれだけ優秀でも、できないことはある。だからこれまで力を蓄えていた。

「大丈夫、みんな安心してたよ。フィルシーさんのおかげだ」
「……………………」

 フィルシーさんは大きく深呼吸を繰り返し、振り返った。
 ここで折れることはできない。そんな意思が瞳に宿っていた。

「ごめんなさい、柄にもなく取り乱してしまいました。けれど、私達がディークの方策に抵抗するというのは本当です。ちゃんと戦いますよ」
「わかってます。いざとなれば俺が戦う。その為にパルミーレに入って、情報収集もしたんだ」
「はい。それともう一つ、今鳥太君だけにできることがあります」

 フィルシーさんはそう言い、目を閉じた。考えを整理するような素振りを見せ、やがてそれを確認し終えたように目を開く。先ほど見せた弱さは奥へ閉じ込めたようだった。

「まだ方策が定められたわけではありません。今ならまだ、戦わずともディーク・バシュラウドを止めることができます」
「ああ、行ってくるよ。今あいつを止められるのはリリアしかいない。トマトも連れて行っていいかな?」
「ええ、もちろん。鳥太君一人で道に迷ってしまったら困りますからね」

 フィルシーさんは冗談めかして言い、俺達は軽く笑い合った。
 世界の危機なんてものはまだ、ただの予報にしか過ぎなかった。



「リリア、いるか?」

 執事に案内され屋敷の応接間へ通された。
 トマトは二人きりで交渉した方がいいと、部屋の外で待機している。

 中に入ると桜の香りが強く鼻を刺激した。芳香剤をコレクションしているのか、壁一面に液体の入った瓶が並べられている。
 椅子ごとくるりと回転したリリアは、俺の全身をゆっくりと確認した。

「あなただったのですね。どうかしましたか?」
「どうかしたって、速報を読んでないのか? ディークがメイドの法案を制定しようとしてるんだ。あんたならそれを止められる。だから頼みに来た」

 この緊急事態にもリリアには緊張感がない。焦る気持ちを押え、返事を待った。

「それで?」

 リリアから発せられた言葉には何の感情も含まれていなかった。
 目は俺に向けられている。しかし、俺ではなく、どこか遠くを見つめているような不気味さを感じた。

「それでって……、ディークを止めてくれ。シルフェントで手続きをすれば法案は話し合いになるんだろ? いますぐ手続きをして欲しい」
「私がなんでそんなことをするのでしょう? 青目と戦うのはあなたのはずですよ」
「何言ってんだ…………だって、リリアも言ってただろ。ディークが好き勝手に世界を書き変えてもいいのかよ」

 思わず語気が強まる。

 俺はディークを政治的に止める力は持ってない。貴族としての地位は格下だ。
 俺がディークと戦えるのは、あくまでもディークが強硬手段に出た場合に限る。ルールに則って法案を提示しただけの奴を止める術はない。

「私は別に構いませんよ。誤解させてしまったかもしれませんが、私はあなたの味方ではないのです。青目が世界を変えても、あなたが彼を止めても、どちらでもいいです。ただ、この退屈が紛れるならいいと思っただけですから」
「な、なんだよ……それ…………」
「ですから言った通りです。世界がどうなっても、私は食事にも衣服にも住む場所にも困ることはありません。けれど私にも一つだけ手に入らないものがあります。この退屈を紛らわせるもの。あなたはそれを見せてくれるかもしれないと思っただけです」

 リリアの瞳が突然生気の抜けたガラス玉に見えた。
 違和感の正体はこれか。リリアはディークを倒す未来なんか見ちゃいなかった。ただ、俺とディークが戦うことを望んでいた……。

「駄目だっ! 俺はまだ戦えない。俺に政治的な力なんてないんだ。今、世界中でディークの法案を止められるのは、シルフェントに属するリリアしかいない。ディークを止めて、メイドを救ってくれ。それで戦闘になったら俺が」
「無理です」

 リリアは俺の言葉を遮った。

「私は元々政治に興味はありませんでしたし、シルフェントで青目と議論をするつもりもありませんでした。そんな退屈なことをするくらいならスキルのコレクションでも増やしている方が有意義です。それに」

 リリアはまっすぐに俺をゆび指した。
 表情に初めてわずかな感情が浮かび上がる。
 興味。関心。
 これまで同じ意思を持つ者への共感だと思っていたその表情を、俺は読み間違えていたと悟った。

「私はこの戦いをあなたに譲りました。私はもはやシルフェントに属していません。青目を止める権利もありません」
「何を言ってるんだ…………」

 そう呟いてから、俺はあのパーティの夜を思い出し、ポケットに手を突っ込んだ。
 精巧すぎるメダル。その意味を知り、急速に全身が冷えていく。

「“クロルラ”、それはご主人様の証です。私は昨日あなたにそれを譲りました。ですから、戦う力はすでに私の手の中にはないのです」

 シルフェントに所属する証、自分が世界の頂点に立つ証明となるメダル。リリアにとってそれは非公式の野外戦で手放せるほどどうでもいい物だった。生活、名誉、世界への関心、何もかもがこの令嬢には欠落していた。
 だが、

「そっちがその気なら、この戦いは本当に俺が引き継ぐ。シルフェントでリリアの代わりに俺がディークと戦う。それでいいんだな?」
「いいえ。あなたは正式にご主人様として認可されたわけではありませんから、たとえクロルラを持っていても、シルフェントへの参加はできません。私はただあなたにそれを譲渡しただけです。あなたにとってクロルラはただのメダルで、私にとっても価値のない物です」
「ふざけんなっ!」

 叩きつけたメダルが床で跳ね、リリアの足元に転がった。リリアも執事も、それを拾うことはしない。

「お話が終わったのならお帰りください。楽しい戦いが見れることを期待していますよ」

 それ以上何を言っても無駄だった。
 リリアは法案を止めることはない。俺に止める術もない。
 それなら、世界に背いてでもディークを止めるしかない。

 ルールを犯して直接対決を挑み、強引に奴の企みを捻じ曲げる。そんな現実味のない希望を自分に信じ込ませ、俺はトマトを連れ、屋敷を出た。
 帰り道、トマトは何も聞いてこなかった。

「大丈夫。まだ手はある」

 そんなどうしようもない言葉をかけるのが精いっぱいだった。

 しかし、このときの俺達はもう取り返しがつかないところまで来ていた。

 日が暮れた頃、帰宅するとルッフィランテには明かりがついていなかった。


 メイドも、フィルシーさんも、一人残らず屋敷の中から消えていた。





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