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対執事喫茶 忠誠心と強さ

第三十六話 アイス・クリムー

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 ルッフィランテの二階にある名前のない部屋。
 卵型のソファに座りながら身構えていると、

「鳥太様、本日のお仕事をご説明します」

 トマトはむにゃむにゃと覇気のない声で告げた。
 普段はトマトの声と表情で仕事の難易度がわかるけど、今日のトマトは緊張感がなく、かといって余裕もない。解けないクロスワードパズルに頭を悩ませているような顔だ。

「トマト、フィルシーさんがいないけど、珍しいな」
「今日は大きな事件ではないので、説明は私に一任されているのです。順調に終われば二分で終わるお仕事ですよ、順調に終わればですけど」
「随分簡単だな……。嫌な予感しかしないぞ」

 トマトは俺の呟きに同意も否定もしない。一体何だろう……。

「本日のお仕事は執事喫茶“ジルヴェス”に行って、ルッフィランテのメイド――アイス・クリムーを引き取ってくることです。ジルヴェスのオーナーには既に許可を取ってありますから、お仕事はアイスの送り迎えということになります」
「ん…………本当に簡単だな。何でそんな嫌そうな顔してるんだ?」
「え? 嫌そうな顔はしていませんよ。ただ、少し奇妙だと思うのです」

 トマトは少しためらう様子を見せた。メイドさんは自分の意見を言うことを極力控えるからな……。けど、フィルシーさんがここにいないのは案外、トマトの意見を尊重する為なのかもしれない。

「妙だってのは、執事喫茶にメイドさんがいることか?」
「はい、いえ、それもあるのですが……アイスは元々、一般家庭のミロ家に派遣されていたのです。ごく普通の貴族の家庭で、特に問題なくパーラーメイドを務めていました」
「ほう……」

 パーラーメイドというのは来客の対応をしたり、給仕を行ったりするメイドさんだ。
 見た目重視のメイド服を着ていて、フリル率の高さに定評がある。俺は戦闘メイドのシックなメイド服も好きだし、キッチンメイドの大きめのエプロンも可愛いと思うし、ハウスメイドの実用的なメイド服も仕事に一生懸命な感じがして好きだけど、やっぱりパッと見で華やかなのはパーラーメイドだ。その他にもランドリーメイドが腕まくりをしているところや、レディーズメイドの独特な着こなしも好きだし…………。

「あの、鳥太様、どうかされましたか?」
「えっ。ああ……ごめん、なんだっけ……」

 トマトは軽く目を細める。まったく迫力のないジト目が可愛い。

「つまりですね、ルッフィランテはミロ家にアイスを派遣していたのですが、ミロ家は勝手にアイスを執事喫茶へ渡してしまったのです。もちろんルッフィランテでは、派遣しているメイドを他の人に渡すことは禁止しています。そもそもアイスはミロ家で働くという契約でしたから、働く場所が変わるだけでも違反なのです」

 トマトは普段の饒舌さを取り戻して、一気に説明し終えた。童顔の割に滑舌がいいな、と時々思う。

「鳥太様、おかしいと思いませんか? なぜミロ家はアイスを手放してしまったのでしょう。そしてなぜ喫茶ジルヴェスはアイスを借りようとしたのでしょう」
「そう言われてもな……ミロ家は単純に金が必要になったんじゃないか? アイスを保持できなくて手放した……とか」
「そうかもしれません。けど、アイスを手放しても大きなお金は入らないと思うのです。それならルッフィランテとの契約を打ち切った方が節約できるはずです」
「アイスにとんでもない値段がつけられたのかもしれないぞ。執事喫茶が引き抜くほどだから、執事より有能だったのかも」

 そうだったらいいと少し思う。
 この世界でメイドさんの評価は執事より圧倒的に低い。執事喫茶に雇われるほどのメイドさんがいたなら、それは嬉しいニュースだ。

「いいえ、それはないはずです。フィルシーさんのメイドに対する評価はぴったり正確ですよ。アイス・クリムーは私の一つ上のCクラスで、それ以上の技能は持っていません。そこからもう一つ上のBクラスに上がるには年単位の修行と経験が必要ですから、突然アイスの評価が上がるなんてことは考えられないのです」

 メイドさんの世界は日本の伝統的な職業の体制に近い。一人前になるだけで十年かかるし、そこから成長するのもやはり楽ではないのか。

「フィルシーさんは二十歳そこそこでSクラスになったんじゃなかったっけ?」
「フィルシーさんは特別ですよ。十五歳でSクラスになって、十七歳にはメイド喫茶の経営にも携わっていましたから」

 少し脱線し始めたことに気付いたのか、トマトはキリッと顔を作り変えた。

「というわけで、なぜ執事喫茶がアイスを借りようとしたのかわからないのです」
「その喫茶ジルヴェスとは連絡とってるんだろ? 聞かなかったのか?」
「聞いたのですが、手違いだったと言っています。有能な執事かメイドが働いているでしょうから、そんな失敗をするとは思えないのですけどね」
「ん!? メイドが働いているのか? 執事喫茶で?」

 執事喫茶は普通メイドを雇わないって言ってなかったか?

「あ、すみません。執事喫茶でメイドが働くことはありますよ。経費削減の為です。ただしそれは裏方のお仕事をするメイドです。パーラーメイドを雇うなんて話は聞いたことがありません。執事喫茶にはフットマンがいますから」
「フットマン……?」

 とっさに足の長い執事が思い浮かんだが、トマトが「パーラーメイドの仕事をする執事です」と端的に教えてくれた。

 要するに、表に出る仕事は執事がこなすのでメイドさんの出番はないということか。この世界では執事が働いている方が格調高いと思われるからな……。俺とは真逆の価値観だ。

「まあ、確かによくわからないけど、執事喫茶の方はアイスを返してくれるって言ってるんだろ? それなら直接言って聞いてみよう。アイス本人からも話を聴けるしさ」
「はい……そうですね」

 トマトは釈然としない様子で俯いている。

「他にも何か気になってることがあるのか?」

 促してみると、トマトは逡巡の後に口を開いた。

「私はひょっとしたら罠ではないかと思っているのです。このお仕事は本来なら、執事喫茶に失礼のないように、上級クラスのメイドが向かうはずでしたから」
「それは……上級クラスのメイドをおびき寄せておいて捕まえるってことか?」

「はい。しかしそれだけではリスクの割に利益が少なすぎますから、おびき寄せたメイドを脅しに使って、ルッフィランテからお金を奪おうとしているのかと……」
「そんなまだるっこしいことするか? 既にアイスがいるんだから、人質にするならアイスを使えばいいと思うけど」
「た、たしかにそうですね……。本当に執事喫茶の意図がわかりません」

 トマトはいつになく慎重だ。この仕事を始めてからの経験でそうなるのも仕方ないが……。

「大丈夫だ。案外、へっぽこ執事が書類を書き間違えてアイスと契約しただけかもしれない」

 一般家庭のメイドと契約するなんて間違いがどれほど起こるのかはわからないけど。

「まあ……大丈夫だ。万が一のことを考えて、フィルシーさんは俺達に頼んだんだろう。俺も警戒しておくからさ」

 トマトの顔がぱあっと明るくなった。
 欲しかったのはこの言葉だったようだ。

「ちなみにトマト、万が一戦闘になった場合、執事喫茶の執事全員と戦って俺達は勝てるか?」

 俺のスキルは現在、防御壁(エグラ)・操作(ミリカ)・加速(シスト)の三つ。それに加えて戦闘経験も順調に積んでいる。小さな執事喫茶が相手なら勝てるかもしれない。
 と思ったが、

「ええと……さすがにそれは…………」

 苦笑いを浮かべるトマト。

「基本的に執事はコストが高いので、執事喫茶にいる執事もそれほど多くありません。しかし、執事喫茶はプライドが高くライバル意識が強いので、執事喫茶同士で争うことも多いのです。今から行く喫茶ジルヴェスも強力な執事が五人くらいいると思いますよ。それに加えてオーナーのペネルス・ワトスキフは伯爵ですから、スキルを四つ持っているはずです」
「俺より多いのか……そりゃ無理だな」
「いえ、無理というわけではありませんよ。確実に勝てるかはわかりませんが……」

 とトマトがいいかけたとき、部屋のドアがノックされた。
 声をかけると、白髪の小柄なメイドさんが入ってくる。
 俺に忠誠を誓ってくれているメイドさんの一人、ココナ・ミルツだ。

 出会った当初は女主人と別れた複雑な事情もあり物静かだったが、最近は笑顔を見せることも多くなった。それに元々礼儀正しいので、フィルシーさんや他のメイドさん達からも好かれている。

「ココナ、おはよう。どうした?」
「おはようございます、鳥太様。本日もお元気そうですね」

 ペコッと頭を下げて、しばらくしてから顔を上げる。やっぱり丁寧だ。

「実は、本日のお仕事の件でお伝えしたい情報が入りました」

 トマトと同年代ながら、少し大人びた口調で言うココナ。

「私は先ほどチズと一緒に、ミロ家から詳しく事情を聞いていたのです。あ、ミロ家の方々には次回から注意していただくようにお願いして了承していただきました」

 チズがあの威圧感で注意勧告をして、ココナが冷静に事情を聞いたんだろうな、と容易に想像できてしまう。

「それで、ミロ家がなんでアイスを手放したのかわかったのか?」
「はい。金銭的な理由でした」

 やっぱり金に困っていたのかと結論を下し、トマトと顔を見合わせた。
 が、ココナの話はそれで終わりではなかった。

「ミロ家にとってアイスは十分な働きをしていたそうですが、喫茶ジルヴェスから提示された金額を見て魔がさしてしまったようです。アイスを雇った金額を遥かに上回っていましたから」

 以前に聞いた話では、Dクラスメイドの給料は衣食住のみなので、月にかかる金額はおおよそ六万ティクレ。契約料はその三倍程度だろう。Cクラスメイドなら三十万はいくのかもしれない。

「それで、いくらだったんだ?」

 深く考えずに聞くと、ココナは相変わらず落ち着いた表情で、淡々とその金額を告げた。


「Cクラスメイド――アイス・クリムーの契約で支払われた金額は、“六百万ティクレ”。Sクラス執事の契約料を越える金額です」


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