この恋は決して叶わない

一ノ清たつみ(元しばいぬ)

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 いつからだったか、繰り返し同じ夢を見るようになった。
 夢の中で泣いている者がいるのだ。声だけが聞こえる。

 彼には愛おしいと思う相手がいて、けれどその相手には想いなんて全く伝わりそうにないという。こんなにも愛おしく思うのに、その恋は微塵も叶いそうにないと。

 その悲しみを取り除きたいと思うのに、夢の中では出会う事もできない。俺はただただ、泣き続ける彼の声を聞いて胸を痛めるばかりだった。



◇ ◇ ◇



 あの赤い悪魔の接触があってから数ヶ月が経とうとしていた。
 悪魔達の動きは相変わらずで、徒党を組んでは好き勝手に人の世を荒らし回っていた。ただ、トウゴ達の活躍もあってか、次第にその勢力は弱まっている印象を受けていた。
 事件を起こす悪魔のが、どんどん落ちてきていたのだ。

 俺達が活躍していた頃、上位の悪魔達をほとんど根こそぎ屠った成果もあるのだろうと思う。数少ない上位悪魔は、序盤でトウゴ達によって既に倒されている。
 つまり、残るはあの赤い悪魔だけ、そういう希望のようなものが見えてきていた。

 どんなにあの悪魔が足掻こうが、魔王率いる悪魔の軍勢と人間達とでは、既に勝敗は決した。強い悪魔を生み出せる悪魔は魔王だけで、あの悪魔にはそのような力がない。後は本当にあの悪魔を倒すだけ。

 魔王にすら匹敵する力を持つ、あの赤い悪魔を。


「ここからほど近い、アイマルという村から緊急要請がきているそうだ」
「緊急要請?」

 トバイアスが告げたその話に、俺はハッとして動きを止めた。

「ああ。軍部では到底手に負えないと。戦える者は来い、だそうだ」

 アイマル村は、俺が世間から離れる間に住んでいた村だ。子供達の故郷とも言える。

 東南にある小さな集落で、豊かな自然に囲まれた長閑な村だ。
 村人は狩りや農作で、日々自給自足の生活を送っている。村長は知る人ぞ知る魔法使いで、今尚、村中に張り巡らされた結界を一人で管理している。

 知る人はほとんどいないが、村長はクリストファーの前の神官長だ。元神官長だからこそ、の利く部分も多かった。

 襲った所で戦略的価値など何も無い、しかも護りだけは固い、そんな村をあえて襲う意味は。そんなのは言わずとも分かっていた。

 誘われているのだ。あの、赤い悪魔に。

「行くか? トウゴ。お前に判断を任せる」
「俺が、決めてもいいの?」
「ああ。お前は勇者だ。皆、トウゴの決定に従う」

 トバイアスを含め、皆が優しくトウゴに向かって頷いている。
 旅の序盤から比べると、彼らは大分強くなった。トウゴの成長は特に、目を見張るようなものだった。勇者の名は広く世界に知れ渡っていて、多方面から受けるプレッシャーは重い。俺も身をもって知っている事だった。

 そんな今の彼らが、あの悪魔にどれだけ通用するのかは分からなかったが、俺も期待せずにはいられなかった。あの悪魔は自分の手で、とそう思いはするけれども、彼らがその巨悪に打ち勝つ姿も見てみたいと思うようになった。

「俺、助けを求める人達の為に動きたい」

 戦いに不安を抱き、俯いていた頃のトウゴはもうそこにはいなかった。

「最初から決まってただろ? 行くぞ」

 そう言って笑い合う彼らの何と眩しい事か。俺にも感慨深いものがあった。
 そして同時に思うのだ。この場での俺の役割は一体、何であろうかと。

 エルフたるエリアルは、繰り返し俺に悪魔にはならないと言い続けてきたけれども、それが本当かどうかなんて俺には分からなかった。

 あの悪魔との対峙で、この呪いの進行が早まらないとも言い切れない。
 あの悪魔を倒したとして、俺がその後釜に収まるような悪魔にならないという確証もない。
 腕も胴体も、脚の付け根部分にまで達したその呪いは、抗えば抗うほど俺の身体を重くした。もう俺自身、戦えるかどうかすら分からない。
 これがこのまま進行を続けるのであれば、本当にこの身の振り方を決めなければならないと思う。ならばいっそこの戦いで――。

 そんな事を思っていたせいだろうか。唐突にエリアルが喋り出したのだ。

「ここまで来てしまったのならば、己の信条で動くがいいさ。勇者トウゴ、デイヴィッド」
「え? 何? 俺と、デイヴィッドってーー?」
「悪魔にはならないだろう。それだけは言っておく」
「?」

 突然の名指しにドキリとした。うっかり反応する事はなかったけれども、大分心臓に悪いものだった。もう、本当に隠すのも今更なんだろうけれども。
 トバイアスが強い視線で俺の方を見ている。それに気付かないフリをしながら俺は、渋い顔をして少しだけ目を瞑った。

 目の裏で子供達の姿を思い浮かべる。無事に帰ってきてね、そういう彼女との約束はきっと守れない。
 最初から分かっていた事だったが、いざそうなってみると惜しい気がした。


 手早く準備を済ませ、話を聞いた街から出た所だった。
 街からそれほど離れていない森の手前で、男が一人で佇んでいた。

「やぁ皆、久しいな。元気でやっているかな?」

 俺たちと同じフードローブを目深に被った男は、やけに親しげに声をかけてきた。この場でフードの中身を見せる気は無いらしいが、俺は彼の正体を逸早く悟る。伊達に何年も苦楽を共にしていなかった。

「貴方様は……!」

 俺と同じように、それにサクッと気付いてしまったジョゼフが目を剥く中、彼はそっと口に人差し指を当てた。
 名を言うな、という事なんだろう。これがこいつの表立った行動ではないと言っているようなものだった。

 口元しか見えない彼に呆れる。そして、男ーークリストファーは、口早に要件を言ってのけた。

「皆本当に良くやってくれているよ。……ところで、かの村の件、君達も聞いたね? 時は一刻を争う」
「!」
「そこでだ。私が君達の“脚”になろう。そこの陣の中央に集まってくれ、急いで」

 そう言って後ろの方を指差すと、クリストファーは口元で笑みを浮かべてみせた。俺はその表情の真意をはかりかねたが、急いだ方がいいのはきっと、その通りなのだろうと思った。

 村長は名だたる魔法使いの一人ではあるが、それなりに歳を召している。限界もきっと、近いのだろう。

 突然の申し出に躊躇している面々を見て、俺はいつもの調子で言った。

「ほら、その人がこう言ってんだ。急ぎなんだろ? さっさと行こうじゃねぇか」
「おい、そのお方が誰だか――」
「いいんだよ。君らも、早く急ぎなさい」
「……承知致しました。さぁ、早く!」
「っうん!」
「礼を言う」

 一人で何人もの人間を転送するのはひどく体力を消耗する。俺自身身を持って体感した事だが、それは例え強力な力を手にしたクリストファーとは言えども、疲弊は避けられないはずだ。

 それなのにこの役目を買って出たという事はつまり、確かに村の状況は思わしくないだろう。あの村には戦力なんて皆無だろうから。

「頼んだぞ。――勇者諸君」

 転送される間際、クリストファはそう言って俺たちを見送った。
 その瞬間、フードの隙間から見えた彼の表情がやはり、何とも楽しそうにも見えて、俺は少しだけ違和感を覚えたのだった。

 何ともまぁ、見覚えのあるしてやったりの顔。その表情の意味が分かるのは、意外にも村に着いてすぐの事だった。
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