この恋は決して叶わない

一ノ清たつみ(元しばいぬ)

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 キン、と手に馴染む剣を鞘に戻しながら、俺は背後を振り返った。すると、それを見計らったかのようにすかさず怒号が飛んでくる。

「ふっざけんなっ!」
「おっさんがこんな強ぇなんて俺ら聞いてねぇぞ!」

 必死な形相で噛み付いてくるのは、レオナルドとアルフレッドだ。そんな2人を見て、自分の顔にニヤニヤと嫌な笑いが浮かんでいるのは自覚している。

 拳すらロクに使った事の無さそうなクリストファーにすら、ぶん殴りたくなると言わしめた表情だ。二人の苛立ちは最高潮だろう。考えている事が手に取るように分かった。

「負けは負け! 言ったじゃねぇか、俺はお前らを全力で阻止するってよ。こればっかりは譲らねぇぞ。今日が約束の日だ。この日までに俺から一本取れたらお前らの勝ちって事だったしな……引退後の俺から一本も取れなかった、それがお前らの今の実力って訳だ」

 心の中ではホッと息を吐きながらも、表面上はクソおやじに見えるように努力する。こうした演技も、時としては大事な戦略となる。それは身に染みて知っていた。

「そんなのズルいじゃねぇか!」
「レオナルドも俺も、ちゃんと戦え――」
「己の魔力すら満足に使えねぇお前らに何ができる? 騎士ですらないだろうが。弱いテメェらが同行しても死にに行くようなモンだ」
「っそれは、アンタが教えてくれなかったから――」
「教えなかったんじゃねぇ、教えられなかったんだ。魔女との契約の中に魔法の使用を禁じるものがあった」
「っ……」
「だが、機会はいくらでもあったろう? 村長は立派な魔法使いだった。俺はお前らに何度も言ったろうが、ちゃんと学んどけと」
「ッ」
「もっと厳しくしときゃよかったとも思ってんだが……まぁ、不幸中の幸いってな。お遊びじゃねぇんだよ。――ガキはすっこんでろ」

 そんな風に言い放って小高い丘を引き返す。緑の芝生を少し進めば、そこには円形の屋根の大きな建物が見えてくる。
 白色の壁が眩しい、水と太陽を型取り建立されたそこがこの国の主神殿だ。魔の物を寄せ付けず、精気に満ち溢れたそこは何者をも拒絶しない。

「デイヴ」

 神殿に足を踏み入れた所で、聞き覚えのある声に呼び止められた。
 呼ばれた名前に舌打ちを打ちながら振り返る。語気が強くなったのはご愛嬌だ。

「本名で呼ぶな、っつってんだろクリストフ!」

 白地に金の刺繍が眩しい神官服に身を包んだクリストファーがそこにはいた。
 俺の苛立ちに気付いたのか、クリストファーは一瞬動きを止めると、まるで拗ねたように小声で言葉を返した。

「あの名は気に入らないよ」

 今の俺はギルバートと名乗っている。かつて仲間だった騎士の名前だ。巷によくある名前だし、この名を聞いて今更騎士を思い浮かべる人間なんて早々いない。

 俺達のように、あの騎士がいかにだったかを知る者を除いて。

「思い出すからか?」
「そうだ」

 しおらしいクリストファーに少しだけ驚く。昔はこんなに素直ではなかった。会う度に憎まれ口を叩く、いけすかない男。そんなかつての魔法使いはもう、ここにはいなかった。

 俺ばかりがを忘れられない訳ではない事に、何故だか安堵していた。

「……で、要件は?」

 奇妙な雰囲気に耐えられなくなり、ぶっきらぼうに告げた。こういう言い方しかできないのは、元々の俺の性格だ。
 こんな俺に、クリストファーは何事もなかったかのように告げた。

「顔合わせをしたいそうだ。今から半刻後に。勇者一行として旅立つ面子がそろったようでね」
「……そりゃまた急な」
「騎士も神官も暇ではない。魔王は討伐したとはいえ、残党が残ってると噂が立ってるんだ。……しかも、今度はなんと【異世界】から英雄のお出ましだそうだよ」

 最後に告げられた事実に、俺はあんぐりと目を見開いた。

「は? 異世界……? んな話聞いてねぇぞ」

 数ヶ月もこの神殿に滞在していながら、そんな情報は初めて聞いたからだ。レオナルドとアルフレッドの同行阻止にばかり気を取られていたせいだ。
 何で誰も教えてくれなかったんだ、と衝撃を受けていると、追い討ちのようにクリストファーがいけしゃあしゃあと言ってのける。

「言ってなかった」
「……こんな時にボケんじゃねぇよ」
「僕はボケてないからな。さすがに、アンタの耳には入ってるかと思ってた」

 ツン、とそっぽを向きながらしらばっくれるその姿に脱力する。こういう所ばかり昔のままで、何となく安心する。

「本当に。伝説だ何だのと騒ぎになってるんだ」

 いつの間にか止まっていた歩みを再開させながら、クリストファーは神殿の中へと足を進めた。それっきり、彼は何も言わなかった。
 ズンズンと振り返る事もなく、通路を突き進んでいく。その背を黙って追いながら、俺はその異世界からやって来たという勇者に思いを馳せた。

 異世界から度々人間が流れてくるという話を聞いていたが、実際に出会った事はなかった。しかもそれが、俺のように“勇者の証”を持つだなんて。

 その話はまるで、魔王のみならず悪魔の大将達をも纏めて一網打尽にしたという、かの伝説の勇者のようだ。
 俺にはなし得なかった、完全な勝利をもたらす本物の勇者。

 もし伝説と同じならば、俺には倒せなかったをもきっと滅してみせるのだろう。
 誰からも期待される真の勇者。なんとめでたい話だろうか。

(表には決して出さないけれど、自分の中の醜い部分はそれを否定したがっていた。憎きを倒すのは自分であるのだと。乳臭いなりたての勇者になんて渡してたまるかと――)

 その時の事だった。フッと一瞬だけ、目の前が真っ暗になる。すぐに視界は元に戻ったが、じわりと右目から何かが噴き出してくるような感覚を覚える。

 冷たくて暗い、絶望感にも似た何か。俺は慌てて心を落ち着かせた。
 魔女からも言われていたのだ。己の心に湧き出た負の感情は、その右目に食われて邪気の糧となる。
 魔女の言葉を思い出して今更後悔しながら、俺はクリストファーの背中をチラリと見た。
 目の前の男は俺とは違い、選ばれた者として課せられた義務をこなしながらこの世に貢献している。
 そんな彼を少しだけ羨ましく思いながら、俺はその背中から目を逸らした。

 それっきり、嫌な雑念に囚われる事もなく、俺はその目的地へと連れて行かれた。
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