この恋は決して叶わない

一ノ清たつみ(元しばいぬ)

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「気が付きましたか?」

 目を開いた瞬間、頭上から降ってきた柔らかな声に意識が向く。この愛おしいと思える声は一体、誰の声だったか。
 起き抜けの頭で俺は、ぼんやりと思案した。

 聞いたことのある声だった。その声が紡ぐ言葉に心はじんわりと癒されるし、聖母のような暖かな笑顔はこの命をかけてでも守り抜きたいと、いつも願っていた。

 この声の主を俺は知っているのだ。目線をそっとそちら側へやれば、いつもと変わりない、彼女の優しい微笑みが見えた。ああよかった、彼女は元気そうだ。視界の隅で、俺の右手に頬ずりする様子が見えた。右手の感覚がないのが口惜しい。
 このひと時が、ひどく心地好かった。

「あまり邪気の影響を受けていないようで、私も安心しました。……貴方に、ずっと会いたかった――」

 彼女の絞り出したような声音に、胸がきゅうとと締め付けられるような気分だった。
 今更だ。こういう思いをさせると分かっていたはずだ。自分の行動が、彼女をどれだけ不安にさせるか。
 俺はそれでも、離れる決意をしたのだ。二度とあんな事がないように。仲間を傷付けないようにと。

「いつも、貴女の身を案じておりました……二度と会えないと――」

 ふとそこでようやく気付く。そうだ、俺はあの日、彼女と永遠の別れをしたはずだった。またあのような、人を殺めるような事態にならぬよう、祝賀ムードを破壊する邪魔者はこの世から消えて無くなってしまえば良い。そう考えて。

 そこで俺はようやく気付く。どうして俺はここに戻ってきてしまっているのか。

「――ッ!何で」

 それを理解した瞬間、俺はベットの上で飛び起きた。頭の中で記憶が混同しているのが分かった。

 長いこと平和な夢を見ていたような気分だった。戦いの記憶はとうに色褪せ、遠い過去の話になってしまっている。
 万が一を考え、姫様の安息を考えてここを出たはずだったのに。

 俺はなぜ、またこの場所へ戻って来てしまっているのか。直前の記憶がなかった。
 ズキズキと痛む頭が思考を阻害する。酷い気分に、俺はその場で頭を抱えた。

 ふとその場で、様とは別の気配が動くのが分かった。これも、俺のよく知る気配だった。

「陛下、お下がりください。魔力の消耗過多、それと、恐らくは邪気による一時的な記憶障害を起こしているように見受けられます」
「ッしかし!」
「貴女を再び傷付けたと知れば、悲しむのはこの男です」
「……大丈夫、なのですよね」
「ええもちろん。私もまた、この男と同じ英雄と呼ばれる者の一人です。それに、この男とは長い付き合いですから」
「ええ、そうですわね……では、頼みます」

 ぐるぐると、頭の中で同じ事を何度も考える。なんで、どうして、俺はここに居るのか。答えを見出せないまま、同じ思考が何度も頭を巡った。

「デイヴ、顔を上げなさい」

 そう言った男の声はいやにハッキリと聞こえた。殆ど反射に近いような行動で、霞む視界のまま、縋るように目の前に立った男を見上げた。

 すると男は、俺の額に指先で触れる。この動作には覚えがあった俺は、安堵しながら男のそれを待った。

「そうだ、落ち着いて。今この場で邪気を祓おう。効果は薄いが、回復も少しは早まるはずだ」

 言い終えるが早いか、その指先からジワジワと暖かい何かが身体の中に行き渡っていくのを感じた。右目と右腕のそこだけには、どうしても行き届かずにしかし、身体の芯が癒されていくかのようだった。

「右目を見せて」

 言われて、素直に右目を差し出す。他人からは何もないように見えるのだろうけれども、俺の右目はもう使い物にはならない。自分の身体なのに、自分のものではないかのような心地すら覚えている。

 相変わらず真っ暗で何も見えないけれども、気配でジッと見られているのが分かった。そのまま顎をとられ、グイと左へ向かされた。

 霞がかっていた思考は既に晴れ渡り、落ち着いて今の状況を判断できるようになっていた。そうだ、見覚えのあるここは、神殿の一室だった。段々と、ここに来るまでの事を思い出してきた。

 あの村の家を魔物に囲まれ転送をした先が、確か神殿だったはず。半ば招かれるように辿り着いたのは、神殿中央の地下にある泉だった。

 元来聖力に満ち溢れているあの場所は、回復力を高める事も出来る神聖な場所だった。泉の中央に着地した瞬間、俺はあの野郎、とこの男を思い浮かべたのだ。

 一度に四人も運ぶなんて、そんな魔力の消耗が激しい事を普通は一人ではやらない。だからあの男は、俺が力を消耗するのを見越してそこに降りられるようにと場所を指定したのだ。
 辿り着いた途端にその場で意識を失った俺は、敵わないなぁとこの男の憎たらしさを噛み締めていたのだ。

 そう思い出すと、男――クリストファーとの過去のいがみ合いの記憶が次々と蘇ってくるかのようだった。
 下らない事でイチイチ突っかかっていたっけ。そんな若気の至りがひどく恥ずかしく思われた。

 そんな事を思い出していると。ふとクリストファーが目の前で呟いた。

「邪気の流れが少々早まったか。定期的に観る必要があるかな。――それにしても、20年前とほぼ変わりないなんて。全く、魔女は一体どんな手を使ったんだろうか。それが分かればこちらも苦労しないと言うのに」

 愚痴のように言ったそれに、俺も言葉を返した。

「だからこその【魔女】なんだろ」
「なんだ、もう正気に戻ったのか」
「オカゲサマで……」

 軽く舌打ちをしてから言えば、溜息を吐かれた。
 離れ際に軽く頬を叩いて行った彼は、どこか疲れを滲ませている。一人であの数の魔物と戦ったのだ、無理もない。

 内心で感謝を述べながらも、おくびにも出さなかった。この男と俺の関係は、いつだって変わらない。
 そんなやりとりの後ですぐ、あの人から声がかかった。

「デイヴィッド!」
「姫様……! や、今は女王陛下になんのか」

 反射的にベッドの上で片膝を立てて座りこうべを垂れる。しかしその顔はすぐに、彼女の両手に顔を掴まれて上を向かされた。
 自分のすぐ目の前に、かつてずっと恋い焦がれた美しい女性の顔がある。

「ああ本当に、目の前に貴方がーー! 顔を見せて」
「ちょっ! こんなオッサン見たってつまんないだろ」
「いいえ、貴方だからこそ意味があるのよ。貴方も精悍になったわね。あんなにガキく……げ、元気だったのに」
「今、結構酷え事言いかけたな?」
「いいえ、気のせいですわよ」

 時折冗談を交えながら、彼女と話をした。昔を思い出しながら、取り止めの無い事をいくつも。
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