お嬢様がほしい。騎士は一計案じる事にした

一ノ清たつみ(元しばいぬ)

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 ミルコの所を出てからも、アルバーノは少しだけ寄り道をした。公爵の目を自分から逸らす為に利用した傭兵達、アルバーノ自身がベアトリーチェから離れなければならない時によく利用する荒事専門の萬屋よろずやなど、秘密裏に付き合いができてしまった連中に顔を出しに行った。

 アルバーノ本人は早い所、ベアトリーチェの待つ屋敷へと戻りたかった訳だが。存外にこのような繋がりは大切なものなのである。

「この関係をバラしたら、私自身が貴方がたを抹殺する事になりますので。出すものはきちんと出します。引き続き、良好な関係をお願いしますね」

 ニコニコと笑みを浮かべながらそのようにお願いすれば、彼らの大抵は勢いよく首を縦に振った。
 そうやって、何人もの同じような顔をした野郎どもと会ったりしていると、アルバーノは次第に呼吸が苦しくなる。完全に癒しベアトリーチェが不足していた。

(もう昼も過ぎる。早く……一刻も早くお嬢様の元へと戻らなければ)

 用事を全て終え、フラフラと来た道を戻り屋敷へと向かう。頭の中はベアトリーチェの事でいっぱいだった。早いところベアトリーチェを補給しなければならない。
 屋敷へと近付くにつれ、アルバーノの脚はどんどん早まっていった。

 屋敷の手前でローブを脱ぎ、逸る心を抑えて深呼吸をする。だらしなく緩みそうになる顔を整え、いつもの毅然とした姿を思い浮かべながら背筋を伸ばした。

 ベアトリーチェの前では、アルバーノは完璧な騎士でなければならない。少しでも姿を見られれば幻滅されるかもしれない。決して知られたくはない。このような関係になれたのだから、愛おしい人の前では格好を付けたかった。

「只今戻りました」

 普段通りを装いながら、アルバーノは玄関ホールへと足を踏み入れた。見慣れた自宅であるはずなのに、ベアトリーチェが居ると思うだけでそこは城になる。アルバーノは内心で期待に胸膨らませながら、自室へと続く階段をゆっくりと上がって行った。
 階段の半ばに差し掛かった頃だろうか。上から、アルバーノが待ちに待った声が降ってきた。

「アルバーノ! おかえりなさい」

 どくんと心臓が跳ねるのを自覚しながら顔を上げれば、そこには愛おしいベアトリーチェの姿があった。公爵家に居た頃からすると、着ているもののグレードは多少落ちてしまってはいるが、ベアトリーチェの麗しさは何も変わらなかった。それどころか彼女は、以前よりも数段輝いて見える。
 公爵家では淑女の仮面を被らざるを得なかった彼女も、ここでは何の遠慮も要らない。窮屈な仮面を捨て去ったベアトリーチェの笑顔は、その頃の何倍も美しかった。

「――アルバーノ?」

 再び名前を呼ばれ、慌てて返事を返す。待ち望んでいただけあって、アルバーノは自分を抑えるのに大層苦労していた。

「っ失礼しました、ベアトリーチェ様。貴女がとても輝いていて、つい見惚れてしまいました」
「ふふっ、アルバーノ、貴方それいつも言っているじゃないの。早いところ慣れてほしいものだわ」

 ベアトリーチェはそう言って苦笑する。
 こうして夫婦として共に暮らすようになりひと月ほど経とうとも、不意打ちのベアトリーチェはアルバーノの心臓に悪かった。一向に慣れる気配がない。
 ベアトリーチェが妻として側に居る、それを自覚するだけでアルバーノは幸せに絶頂しそうだった。

「申し訳ありません、善処します……只今、戻りました。……私のビーチェ」
「おかえりなさい、旦那様」

 頬に唇を落としながら言えば、ベアトリーチェからそんな言葉が返ってきた。
 旦那様。
 イイ響きである。
 緩む頬に力を込めて何とか持ち堪えながら、アルバーノはベアトリーチェと共にクローゼットのある自室へと向かった。
 その道すがら、ベアトリーチェがアルバーノに向かって言う。

「今日は貴方の友人に会いに行くと言っていたわね」
「ええ。昔からの馴染みです」
「お元気だったかしら?」
「ええ、それはもう」
「……貴方の友人、私は会った事がないわね。いつか紹介してくれるかしら?」
「そう、ですね……粗野な者も居ますから」

 アルバーノにとっての友人は、実のところミルコ一人である。ベアトリーチェにも一度、依頼を受けた時に会わせているのだけれども。まだ、友人として会ってもらうにはアルバーノの覚悟が足りなかった。

 彼女の為だとはいえ、アルバーノは周囲の全員を騙したのだ。罪悪感が全く無い訳ではない。
 から今に至るまで、生き抜く為に犯してきた己の罪のひとつとして、アルバーノは一生背負うつもりでいた。それを、ベアトリーチェには知られたくはなかった。
 心優しい彼女はきっとアルバーノを許し、共にその罪を背負うと言ってくれるのだろうから。汚れるのは自分だけでいい。それはアルバーノの本心だった。

「私がもう少し騎士として成長したら、お嬢様をお連れしましょう」

 アルバーノが苦笑しながら言うと、ベアトリーチェは少しだけ意地悪そうに言った。

「あら、アルバーノは私にとってはいつだって完璧な騎士様だわ? 貴方の友人が悪い人な訳ないと思うのだけれど……」

 アルバーノを心底信用しているベアトリーチェに苦笑する。普段ならば、その言葉に天にも昇るような気持ちになれたのだろうけれども。ミルコに関する事は、あまり手放しでは喜べなかった。

「私にも思うところがあるのです。ベアトリーチェ様の騎士として、これで良いのか……」

 言いながら僅かに俯く。いくらベアトリーチェ至上主義、周囲など気にせずに突っ走れるアルバーノだって、考えてしまう事くらいはあるのだ。自分の行いがどこまで正しいのか。時々分からなくなる。自分の行っている事が本当にベアトリーチェの一番の幸せに繋がっているのかどうか。自分こそが間違っているのではないかと。
 他人には決してその姿を見せることはないけれど、時折そう考えてしまう。

 けれど。そんなアルバーノに向かって、天使たるベアトリーチェは優しく囁くのである。

「アルバーノ。貴方はとても賢いから何事も深く考え過ぎてしまうのよ。もっと気楽になさい。それと、今はアルバーノも疲れているのだわ。ちゃんと休憩してからにしましょう。……昼は食べたのかしら?」
「いえ……、まだです」
「では、部屋へ持ってきてもらいましょう? 私も行くわ。ほら、行きますわよ、旦那様!」

 強くて美しい。
 そんな陳腐な言葉など霞んでしまう程、ベアトリーチェは光り輝いて見えた。暗いところを照らしてくれる柔らかな光。

 地獄の淵に立っていたとミルコを救ったのは、他の誰でもないベアトリーチェだった。
 この日もまた、アルバーノは彼女の言葉に心底救われながら、屋敷でのひと時を過ごしたのだった。
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