お嬢様がほしい。騎士は一計案じる事にした

一ノ清たつみ(元しばいぬ)

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 鳥のさえずりを耳にしながら、アルバーノは目を覚ました。まだ起きるには早い時間だったが、長年使用人としての生活が板についていたアルバーノは、人々が起き出す前に目覚める習慣が中々抜けなかった。
 けれどその分、素晴らしくも清々しい朝の気配を感じている。

 ごろりと寝返りを打って目の前に視線をやれば、愛おしいお嬢様の姿が目に入った。今や書類上では己の妻となったベアトリーチェである。
 の日からもうひと月ほど経とうという頃であるが。アルバーノは未だに夢のような心地を覚えている。
 何せ、十数年もの間虎視眈々とその隙を窺い、ようやく掴んだ幸せなのだ。現実として受け止めるのにも時間を要していた。何度も何度も現実かどうか確かめるようにしながら、アルバーノはこの幸福を噛み締めている。

 昨晩も、ひどく素晴らしい夜だった。

『あぁぁぁんっ! アルバ、ノ、――ッダメ、クる、んんっ……あ、私だけじゃ、いや、なのぉっ! 一緒に――ああっ、あああっ!』

 慣れてきたのか、自分からも腰を振り脚を絡めて淫らに悶えるベアトリーチェの姿は、アルバーノが発狂したくなるほど妖艶だった。実際、自身を抑えるのも大層苦労した。あまりに大き過ぎる負担をベアトリーチェにかけるべきではない。アルバーノは歯を食い縛って耐えた。

 それでも、何度も何度も獣のように交わった。ベアトリーチェのナカはアルバーノでいっぱいで、後始末の際にはアルバーノが次々と溢れ出てきて当人ですら苦笑する程だった。
 きっと、彼が心底欲している子を孕むのもそう遠くない。ベアトリーチェもそれを望んでいるはず。そうなれば今度こそ、ベアトリーチェは身も心もアルバーノのものだ。

 想像すればまたもや下半身が元気になりそうで、アルバーノは思考を切り上げて麗しのベアトリーチェの姿を眺める事にした。
 彼女の全てが愛おしく思える。凛とした強さすら感じさせるような顔立ちも、閉じた瞼の先から伸びるまつ毛も、その細く長い指も手足も爪先ですら全部が愛おしく――以下略。

 しばらくそうやって半刻ほど彼女を眺めた後で。アルバーノは彼女の可愛らしい額にそっと口付けを落とした。
 それから彼女を起こさぬようにベッドから起き上がり、身支度を整える。貴族なら、通常は使用人にさせる所であるが。アルバーノは平民上がりでそして騎士でもある。己自身で己を鍛えるべしと。アルバーノ自身の身の事は、全て己で済ませてしまうのだった。

 今日の服装は、いつもの騎士服ではなかった。平民でも通じるような素朴なシャツとスラックス、それに少しだけ生地のいいベストを羽織った。見た目は、羽振りのいい商人といったところだろうか。フードを深く被れる古びたローブを羽織り、鏡の前で何度か格好を確かめる。為にも、それは大事な作業だった。

 この日は騎士団で休みを貰ってはいたが、アルバーノは市井に出かける用事があった。
 行く前にベアトリーチェと話をしたいとも思ったが、そんな事をすればお嬢様可愛さに約束を破る恐れがあった。アルバーノは心底、ベアトリーチェの下僕である。己の浅ましさを理解しているからこそ、アルバーノは己自身に鞭を打ちながら、その際限無い欲望を振り切るのである。

 これもまた、ベアトリーチェのための外出だ。そう己を鼓舞して、愛おしい彼女を護る為にもアルバーノはゆく。

「ジョゼフ、……お嬢様を、くれぐれも――よろしく頼む」
「かしこまりました。旦那様もどうかお気を付けて」

 老執事の生暖かい視線を感じながら見送られる。後ろ髪を強く引かれる思いをしながら、アルバーノは足取り重く屋敷を出たのだった。


 アルバーノの住む地域は、言わずもがなデッラローヴ公爵領地内だ。王都からも近く、比較的治安が良くて住みやすい領地ではある。しかし、どの街にも闇の部分というものは存在する。この公爵領でもまたそれは同じだった。

 公爵家のある付近よりも北に行った所に、バッソフォンドと呼ばれる地区がある。何の捻りもなく、最下層と呼ばれる所だ。貴族どころか、一般市民ですら滅多に近付かない危険な地域だった。
 だが、アルバーノはそのような所にこそ用事があった。

 バッソフォンドに入る頃には、着ていたフードローブを深く被り、誰だか分からないようにした。こんな所に貴族なりの知り合いが居るはずもないのだが。アルバーノはいつだって用意周到なのだ。
 迷いもせず、荒屋が続く複雑な道をゆく。四半刻ほど似たような景色の道を歩いた所で、アルバーノは看板を掛けた店のような建物の前にたどり着いた。その付近では珍しく、小綺麗にも手が入れられていて、周辺の建物からすれば嫌でも目に入るような出立ちだった。
 アルバーノはギョロリと目だけを動かして周囲を探ると、誰も居ない事を確かめてから中へと滑り込んだ。

 カランカラン、という商屋に良くある鐘が小さく鳴り響く。すると間も無く、出入り口付近のカウンターの奥から男が姿を現した。

「はいよ、いらっしゃい! 何をお探しで?」

 商人には良く居るような、人好きのする笑みを浮かべた若い男だった。
 だが、愛想良く挨拶したはずの男は、アルバーノを見るなりその顔を引き攣らせた。

「おわっ、何だテメェかよ、アル」
「……商人としてその挨拶はどうかと思うぞ、ミルコ」
「お前相手にゃ商人もクソもないだろうよ、ブラザー。……ま、よく来たな」

 そう言うと、ミルコと呼ばれた男は一転して、両手を広げてアルバーノと軽く抱擁した。アルバーノもまた、それに腕を回して返す。
 ブラザーとは言ったものの、二人は実の兄弟ではない。昔から良く連んでいた友人のようなものだった。ミルコはいつも、ただの腐れ縁だなんだのと文句ばかり言ってはいるが、こうしてアルバーノと定期的に会う位には二人の仲は良かった。

 アル、というのは元々のアルバーノの名前だ。アルバーノと、それらしく名付けたのはベアトリーチェだった。アルバーノという今の名前があるのを知りながらも、ミルコは彼をアルと呼び続ける。
 そしてそれを、アルバーノも訂正すらしないのである。

「元気そうだな」
「おお、そりゃ何年ここに住んでると思ってんだ。最近じゃあ、商売なんてやり出したお陰で大分楽になったわな」
「それは良かった。店が潰れる恐れは無さそうで安心した。お前にはずっとコレをやって貰わないと」
「……」
「お嬢様を護る為なら、お前も喜んで働くだろう?」

 悪気も無くアルバーノの本心が飛び出る。まるで、ミルコもまたアルバーノの同志であるかのような口ぶりである。だが、こんなのは二人の間ではいつもの事のようで。ミルコはそこに何のツッコミも入れず、流れるように話題を逸らした。

「り、理由は兎も角、俺も助かってる訳だから続けるつもりではあるんだけどな……」
「?」
「それにしたって……最近は危険度上がりすぎだぞ? 俺だって、流石に領主様とかに睨まれたくはないんだからな? お前そこ分かってる?」

 眉尻を情け無く下げながら、ミルコはアルバーノに訴えかけるように言った。最近、と言うのは先日の婚約破棄騒ぎに絡むものだった。
 お嬢様ことベアトリーチェは、かの男爵令嬢を脅かす為に人を雇った。その際、アルバーノが手配したのが何を隠そう、このミルコだったのだ。
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