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しおりを挟む魔王城内を侍女に手を引かれて歩かされる間、エドヴァルドは注目の的であった。
噂に聞く元勇者。魔王によって魔人として復活した、魔王の仇であり恩人。そんな噂の張本人を見ようと、城中から暇ではないはずの野次馬たちがこぞって集まってきたのだ。
しかし、この侍女というのもさすが出来た魔人で。人混みをものともせず、あっという間に姿を隠してしまうと、エドヴァルドと2人でササッと野次馬の中を抜け出してしまったのだった。
大勢に囲まれた中であるのに、どうしてだかその姿をたちまち見失ってしまった魔人達は。目的が達成できないと判ると、喧しく好き勝手に騒ぎ立てながら、さっさと自分の持ち場へと帰っていってしまった。
侍女に連れられエドヴァルドがやって来たのは、城の中程にある庭だった。そこは特殊な結界が張ってあり、人間は入ることはおろか、見ることさえ叶わない。城内で時を過ごす者にのみ開放された中庭だった。
緑は勿論の事、珍しい色とりどりの花が植えられ、所々にはベンチが設置されている。公園のような扱いなのか、端の方では時々魔人達が気持ち良さそうに眠る姿が見られた。激務をこなす魔人達にとっては、憩いの場所ともなっているのだろう。城の中とは思えない程、広々とした造りをしていた。
そのような庭の奥、一本だけポツンと植えられている木があった。侍女によってそこまで連れて来られた彼は、何と、そこで驚いたように目を輝かせたのだった。この城へやって来てからというもの、人らしい表情はおろか、人らしい仕草ですら見られなかった。
けれどこの日この時初めて、男は確かに人だったのだと、そう判る初めての反応を見せたのだ。
侍女は、それに微かに驚きながら、それを観察した。その場に佇む男の頭上で、蕾をたたえたその木の枝が、風に揺られて微かにそよいでいた。
「この木は、何だい?」
長らく木の前で佇んだ彼は突然、侍女にそう問い掛けた。彼女は初めて聞く男の声に驚くも、そんな素振りは全く見せずに、普段の調子でそれに応えてみせた。
「こちらの木の名前は不明でございます。魔王様が遠征の折に気に入られ、持ち帰ったとされております」
「そう、か」
「もうじき、あの蕾が開いて木の一面が薄紅色に色付く事でしょう」
「――それは、見たいなぁ」
普段通りを装っていたがしかし、侍女の内心は驚きに満ちていた。ここ二ヶ月ほど世話をした人が初めて口を開いたのだ。この木の一体何が、彼の心を動かしたのだろうかと、侍女は不思議でならなかった。
そして同時に思うのは、この男の気質は決して酷いものではないだろうということだ。きっと、優しい人間だったのだろうと。魔王が連れて来た人間がそうだと思えて、それが嬉しくある反面、哀しくもある。
一体何が、この男をあんな修羅の道へと誘ったのだろうかと。それを思うと、侍女はとてもやりきれない気分になるのだ。
「君はとても、優しい人だな」
男はいつの間にか振り向いていて、彼女をしっかりと見据えながらそのようなことを呟いていた。侍女は思わず、声を失った。
「こんな俺に良くしてくれる。俺の事を良く思ってないだろうに。憎いとすら、思ってるだろうに」
「エドヴァルド、様。もしや、思い出されたのですか……?」
本日二度目になる衝撃からどうにか抜け出して、侍女は震える声で彼に聞いた。
「いや。まだ、全然だ。小さな子供の頃を思い出していた。……でも、何となく分かるさ。忘れていても、この酷い罪悪感だけは思い出せる。きっと俺は、君らに憎まれるほどの事をしたんだろう」
「…………」
「こうやって俺が生き返った事だって、許せない人も居るんだろう。だから、俺なんてとっとと死んだらいいと、正直そう思っていた」
「…………」
「けど、君らはそれも許せないんだろうね。君に世話をしてもらって、少しだけ分かったような気がする。苦しんで、思い知って、それから死ねばいいと――」
「それは違います」
エドヴァルドの告白に、侍女はすかさず反論した。まさか、ぼんやりとしていた男がここまで考えていたとは。侍女はそう驚きながらも、少しだけ怒りを覚えていた。目の前で目を見開く男に向かって侍女は言い放つ。
「そのような考えで、私ほどの者があそこまでお世話をするとお思いですか? ……確かに、貴方様は我々にとって、良い、人間ではありませんでした」
「ならば――」
「しかし、それでも! 私共は、貴方が居なければこうやって生きていられたとも思えません。貴方は仇であると同時に、恩人なのです」
「…………」
「ですから、貴方に出来る事は、私共の仲間の分まで魔王様の役に立って生きることです。それが、貴方がしなければならないことです。それに……貴方様が死んでしまわれては、魔王様が悲しみます」
「そう、か」
「ええ、そうですとも。ですから、今のようにしゃんと人らしく生きてくださいまし」
侍女がそうピシャリと言ってしまってから、彼はそれ以上何も言わなかった。ツン、と明後日の方を向いてしまった彼女に苦笑すると、エドヴァルドは最後に呟くように言った。
「そうか。分かったよ、ベル。もう言わない。……ありがとう」
それっきり、ふたりは黙り込んでしまう。
それでも確かに、この時エドヴァルドの中で何かが変わったのは確かだった。
「エドヴァルド様」
「ん?」
「あの木をご存知なので?」
「うん。多分、俺の故郷にあったと思うんだ。きっと俺が、一番幸せだった時」
「…………」
「今、記憶を子供の頃から思い出してるから。すぐに分かった」
「左様でございまですか」
「うん……戻りたく、なってしまうな。――今、行っても何も無いだろうに。俺のすべては無くなってしまった」
「エドヴァルド様」
「ん?」
「この後、美味しいものを食べましょう。お腹が一杯になれば、誰だって幸せな気分を味わう事ができますよ。食事は生きるのにも心にも大切な栄養でございますから。お腹一杯になって、ぐっすりお眠りください」
「……ふふ、子供みたいだ」
そのまま侍女のベルにギュッと手を掴まれ、エドヴァルドは城の中へと戻って行った。侍女の暖かい手にどうしてだか少しだけ元気を貰えた気がして、エドヴァルドはそのまま、されるがままだった。
ただ、そうやってどんなに誤魔化しても彼自身が変わっても、エドヴァルドの中に渦巻く黒いソレが消える事はない。不穏な影として、どこまでも彼に付き纏っていく。
侍女のベルに手を引かれつつ、彼は空いた手でグッと胸を押さえ付ける。そうでもしていないと、衝動のままにあそこへ行ってしまいそうになるから。まるで自分から、苦しい方へと進むかのように。自分から喜んで道を踏み外すかのように。
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