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影なる者達
94.吸血鬼ジョシュア
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ガルディの地下には、誰も知らない古代遺跡が眠っている。
そういう噂は随分昔からあったとイライアスは記憶していた。彼がその昔人間だった頃には既にそのような噂が広く知られていて、当時から何百年も何千年も前の遺跡だと当時から人々は話していた。
ただの売られた子供から伯爵家に仕えるような身分を与えられ、後継だと言われて遣いに出される頃にはそういう噂話はイライアスの耳にもよく入ってきていた。特に、領内の化け物退治を任せていたハンターギルドからはそういう不思議な話ばかりを聞かされ、イライアスという男の処世術を引き上げるのにも一役買った。
そもそもそれが原因で吸血鬼になった後は好き勝手にやらかして逃げ回って、ミライアというとんでもなく恐ろしい女吸血鬼に目を付けられるほどにまでなってしまったのだが。今はそのおかげでこうして、愉快なパーティメンバーの一員にもなれて、末永く共に居たいと思える吸血鬼に出会えたと思えばそう悪くはないだろう。そう、イライアスは楽天的な思考でもって考えている。
ただ、今はその例の大切なパートナーが連れ去られて敵陣で何をされているかも分からないそんな状況ではあるのだが。今のイライアスには、ただ部屋の隅っこでうずくまって彼女らの作戦会議を聞くことしかできないのである。
「まさか人間の方に監視が付いていたとはな……そちらまで頭が回ってはいなかった。どちらにせよ我らがこの地に居るのはバレてしまった。先んじられる前に動くのが懸命だろうよ」
「ええ、わたくしも同意見ですわ。ですが……やはり、ゲオルグが居ないのは少々痛手だわね。あの子、見付けるのは昔から得意だもの」
「ああ。……あのたわけ共、案外良く見ているじゃあないか。おい、そこの“ヒモ男”、お前は他に何か知らんのか?」
彼女が言った途端、憐れみを含んだ視線がそう呼ばれた当人へと一斉に向けられた。なまじ否定し辛いからこそ余計に、皆の憐憫を誘っているようだった。
「……うん? その呼び名は僕の事だろうか」
「お前以外に誰がいる」
「……」
「この地で他に思い当たる事はあるか? 手掛かりなら何でも構わん。一度でも何かしら繋がっていたとすれば、完全に断つのは容易ではない。以前、どこに居るのか分かると言っていただろう、それは今どうなっている?」
悲しそうな顔でミライアを見上げた吸血鬼――アンセルムの顔を見ても、彼女は特に何も思わないようだ。腕を組んで仁王立ちしながら、アンセルムへと真っ直ぐに視線を向けていた。
「ヴィネア、さまなら……時々存在が現れては消えるを繰り返しているから、何か結界のようなものの中に普段はいらっしゃると思うよ」
「結界……? この土地にか?」
そんなアンセルムの言葉に、ミライアが驚いたような声を上げた。ミライアはイライアスよりも更に長く生きている吸血鬼だ。彼女がそういう顔を浮かべるのは珍しい。それに興味を引かれたイライアスは、床へ意味もなく指で模様を書くのを止め、彼女らのすぐ側まで寄って行った。
ベッドの上、アンセルムの隣に座っていたラザールが、ひどく居心地悪そうにしていたのが、何故だかイライアスの目にはやけに印象的に映った。
「うん。僕には結界だのの気配なんて全く感じられないけれど、そうとしか考えられない消え方をしている。何かしらあるのだとは思う」
「ふむ……ヴェロニカ、お前はどうだ? 結界が張られているような気配はあるか?」
「いえ……わたくし、何も感じられませんわ。そんなものがこの場所にあるだなんて考えもしなかった……」
ヴェロニカもミライアと同じで、その言葉に大きく戸惑いを見せている。ヴェロニカは人間の中でも頂点に立つような魔術師だと聞いた。そんな彼女にさえ認識できない魔術とは一体、どのようなものなのか。魔術には興味のないイライアスでさえ、思わず追究したくなるような話だ。
彼女らの話は更に続いた。
「なるほど、人にも魔族にも見つけられない結界か……噂を信ずるならば、我らもその存在を知らんような古いものだろう。魔術や魔力とは別種の力……あの魔王だ何だのという話、あながち嘘ではないのかもしれんな」
途端、その場の誰もが目を見張った。小さく呟くような声ではあったが、ミライアの声は皆の耳にハッキリ届いてしまった。それを言ったのがミライアであるからこそ、冗談としか思えなかった魔王という存在が急に現実味を帯び出した。
ミライアはイライアスが知る限り、最も古い血脈を持つ吸血鬼だ。『血筋』という言い方は吸血鬼には正しくないのかもしれないが、血によって仲間を増やすのであれば遠からずだろう。
吸血鬼の祖とされる者によって吸血鬼の血を分け与えられたという彼女であれば、それはもう初代に次いで古い血脈を持つことになる。
ミライアのように、吸血鬼の祖が血を分け与えた者はそう多くはないという。ただ元は人間であった吸血鬼達だ。長い長い生の中で、親しい者達が目の前で息絶えようとするその瞬間、悲しみに耐え切れず同類へと変えてしまう者が後を絶たなかった。それがこうして魔族吸血鬼という種を生み出し、大勢に知られるようになった。
人間社会では今、吸血鬼というのは滅びた種族であるという認識が広まっている。その認識を作り上げたのが何を隠そうこのミライアだった。
魔族として一括りにするには、吸血鬼は人間の生活に溶け込み過ぎていた。吸血鬼でありながら人間のように生きたいと考える者も少なくなく、吸血鬼という魔族のレッテルが邪魔だったのだ。その上と言っては何だが、吸血鬼を怖れる余り、吸血鬼狩りと称して同じ人間を襲う人間も後を絶たなかったという。
そのような状況を憂慮した彼女らが、百年ほど前から吸血鬼に関する噂の流布を始めた。同時に各地の吸血鬼達に存在を隠すように伝えて回り、結果として人間社会の中では吸血鬼という種は滅びた事になった。表向きは。
見向きもされなくなった吸血鬼達は自由に、そして好き勝手に社会に溶け込み出した。人を害するようなたわけは、ミライアによって根こそぎ始末された。そうして吸血鬼は、人間を害する事なく、彼らの良き隣人として生活するようになったのである。
そんな偉業を軽々成し遂げたミライアが、長い年月の中で培ってきた知識を元に、魔王という存在をそう判断したのだ。彼女を知る者からすれば、その驚きは一層強いものになった。
「ねぇちょっとそれ、本気で言ってる?」
姐さん、と口にしながらイライアスが半笑いで言い放てば、その場の全員が彼に顔を向けた。
イライアスが見たこの時のミライアは、驚く事に、その顔に笑みすら浮かべてはいなかった。真剣そのものの表情をしていた。
「無論だ。私が冗談でこんな事を言うと思うか?」
「……」
「大昔に聞いた覚えのある話だ。『永き眠りについた王を護る一族がある』と。墓所の番人と呼ばれる者達がおり、それらはその昔王の側近をしていた。彼らは今もなお片時も離れず王の側にいて、瀕死の傷を負った王が再び世に現れるその時を待っていると。……私の生きていた時代でさえ、寝物語として語られていたような話だ。誰も信じていやしなかった」
遠い過去を思い出すような目をしながらミライアが言った。
それはきっと、この場にいる皆が一度は耳にした事のあるお伽話の後半部分に違いなかった。
その昔に現れた魔王は、諍いになった人間たちとの戦いで深い傷を負い、逃げ帰った先で永い永い眠りについた。その側近として魔王に重用される事になったその一族は、かの魔王に生涯を捧げる事を誓っており、今もなおどこかでその帰りを待っているのだと。
この物語はその魔王が戻って来て再び暴れ出す事を防ぐため、忘れぬ為の教訓として語られている。
今ではその断片でしか伝わってはいないが、各地のそれを繋ぎ合わせると一つの壮大なストーリーとなるのだ。
それを今、ミライアが現実にあったものだとして話をしている。様々な物事を知る彼女の口からそのような事が告げられるのだから、驚きは相当のものだった。
イライアスは思わず口を噤んだ。
ミライアの言う事が実際、辻褄の合う事に気付いてしまったからだった。
どうして今になって、あの魔族達の動きが急に表に現れ出したのか。
これまで特に派手な動きをしていなかった彼らが突然、人間を攫うようになったのは何故なのか。
王都の周辺にばかりその被害が集中しているのは何故なのか。
王都にも近いこのガルディの地下にその墓所が実在し、永い時を経てその眠りから覚めた魔王が再び力を取り戻すために食糧を集めている。ヴィネアはその側近の末裔で、再び魔王が敗れぬよう、その刻を止める“ベルエの箱”を含めたあらゆる手段を講じている。隠す必要のない程力を取り戻した魔王は、再び王としての地位を取り戻すため、最後の仕上げとばかりに人間達との戦いに備えている。
そう考えると、ヴィネア達の行動の何もかもに説明がついてしまう。伽話だと笑い飛ばすには証拠が揃い過ぎてしまっていた。
「今この場ですぐに信じる必要はない。ただ、常にそれは念頭に入れておけ。何があってもいいようにな」
それっきり、その場はシンと静まり返った。唐突に判明した可能性に驚くばかりだった。
「それと、連れて行かれたあの馬鹿者の事だが……私が生きている限り死ぬ事はない。それに今回、手荒な事をされる理由もないからな。――ただ、やけに気に入られていたのが気にかかる。向こうの手に落ちた様子があれば迷わずにヤれよ。一度ショックを与えればあ奴も正気に戻るだろう」
最後の最後、真顔でそう言ったミライアに、部屋では引き攣った表情を浮かべる者が多発した。
「あ奴もようやく吸血鬼らしくなってきた所だ。血液を自ら飲んでさえいれば、その力が衰える事はない。――もしそうなっていた場合、下手をしたらこちらが狩られる。油断だけはするなよ」
話し合いの終わり、そう言ったミライアの一言がやけにイライアスの印象に残った。
出会ったばかりの頃、ジョシュアは自信のなさそうな優しいだけの男だった。けれど戦闘時には打って変わって、己の身体の変化に目を輝かせるような変わった男で、当時からミライアの見立てに納得のいってしまうような不思議な存在感があった。もちろん、血の相性が抜群に良かったせいもあるのだろうけれども、イライアスがそんな男に興味を引かれるようになるまではそう時間はかからなかった。
そして彼は今、こうしてミライアに忠告されるような吸血鬼へと変貌した。数百年――下手をすれば一千年と生きた吸血鬼の血と、戦闘と処世術のセンスに溢れたイライアスの血と手解きを受けた吸血鬼だ。まだ吸血鬼になって一年程度だが、その頭角を現すには十分すぎたらしかった。
「分かっているとは思うが、これから地下へと潜る。不確定要素は多いが、私もこの時の為にただ座して待っていた訳ではない。吸血鬼のみならず人間達への影響も大きい。ここで私の目的は終わらせるつもりだ。――全てが終わるまで地上に出てこられるとは思うなよ? 心してかかれ」
その言葉を最後に、その場の皆は立ち上がった。吸血鬼も人間も一緒くたになって、ただ平穏な毎日を取り戻すために。
誰の耳に入る事もなければ賞賛される事もない。
影なる者としての務めを果たすために。
そういう噂は随分昔からあったとイライアスは記憶していた。彼がその昔人間だった頃には既にそのような噂が広く知られていて、当時から何百年も何千年も前の遺跡だと当時から人々は話していた。
ただの売られた子供から伯爵家に仕えるような身分を与えられ、後継だと言われて遣いに出される頃にはそういう噂話はイライアスの耳にもよく入ってきていた。特に、領内の化け物退治を任せていたハンターギルドからはそういう不思議な話ばかりを聞かされ、イライアスという男の処世術を引き上げるのにも一役買った。
そもそもそれが原因で吸血鬼になった後は好き勝手にやらかして逃げ回って、ミライアというとんでもなく恐ろしい女吸血鬼に目を付けられるほどにまでなってしまったのだが。今はそのおかげでこうして、愉快なパーティメンバーの一員にもなれて、末永く共に居たいと思える吸血鬼に出会えたと思えばそう悪くはないだろう。そう、イライアスは楽天的な思考でもって考えている。
ただ、今はその例の大切なパートナーが連れ去られて敵陣で何をされているかも分からないそんな状況ではあるのだが。今のイライアスには、ただ部屋の隅っこでうずくまって彼女らの作戦会議を聞くことしかできないのである。
「まさか人間の方に監視が付いていたとはな……そちらまで頭が回ってはいなかった。どちらにせよ我らがこの地に居るのはバレてしまった。先んじられる前に動くのが懸命だろうよ」
「ええ、わたくしも同意見ですわ。ですが……やはり、ゲオルグが居ないのは少々痛手だわね。あの子、見付けるのは昔から得意だもの」
「ああ。……あのたわけ共、案外良く見ているじゃあないか。おい、そこの“ヒモ男”、お前は他に何か知らんのか?」
彼女が言った途端、憐れみを含んだ視線がそう呼ばれた当人へと一斉に向けられた。なまじ否定し辛いからこそ余計に、皆の憐憫を誘っているようだった。
「……うん? その呼び名は僕の事だろうか」
「お前以外に誰がいる」
「……」
「この地で他に思い当たる事はあるか? 手掛かりなら何でも構わん。一度でも何かしら繋がっていたとすれば、完全に断つのは容易ではない。以前、どこに居るのか分かると言っていただろう、それは今どうなっている?」
悲しそうな顔でミライアを見上げた吸血鬼――アンセルムの顔を見ても、彼女は特に何も思わないようだ。腕を組んで仁王立ちしながら、アンセルムへと真っ直ぐに視線を向けていた。
「ヴィネア、さまなら……時々存在が現れては消えるを繰り返しているから、何か結界のようなものの中に普段はいらっしゃると思うよ」
「結界……? この土地にか?」
そんなアンセルムの言葉に、ミライアが驚いたような声を上げた。ミライアはイライアスよりも更に長く生きている吸血鬼だ。彼女がそういう顔を浮かべるのは珍しい。それに興味を引かれたイライアスは、床へ意味もなく指で模様を書くのを止め、彼女らのすぐ側まで寄って行った。
ベッドの上、アンセルムの隣に座っていたラザールが、ひどく居心地悪そうにしていたのが、何故だかイライアスの目にはやけに印象的に映った。
「うん。僕には結界だのの気配なんて全く感じられないけれど、そうとしか考えられない消え方をしている。何かしらあるのだとは思う」
「ふむ……ヴェロニカ、お前はどうだ? 結界が張られているような気配はあるか?」
「いえ……わたくし、何も感じられませんわ。そんなものがこの場所にあるだなんて考えもしなかった……」
ヴェロニカもミライアと同じで、その言葉に大きく戸惑いを見せている。ヴェロニカは人間の中でも頂点に立つような魔術師だと聞いた。そんな彼女にさえ認識できない魔術とは一体、どのようなものなのか。魔術には興味のないイライアスでさえ、思わず追究したくなるような話だ。
彼女らの話は更に続いた。
「なるほど、人にも魔族にも見つけられない結界か……噂を信ずるならば、我らもその存在を知らんような古いものだろう。魔術や魔力とは別種の力……あの魔王だ何だのという話、あながち嘘ではないのかもしれんな」
途端、その場の誰もが目を見張った。小さく呟くような声ではあったが、ミライアの声は皆の耳にハッキリ届いてしまった。それを言ったのがミライアであるからこそ、冗談としか思えなかった魔王という存在が急に現実味を帯び出した。
ミライアはイライアスが知る限り、最も古い血脈を持つ吸血鬼だ。『血筋』という言い方は吸血鬼には正しくないのかもしれないが、血によって仲間を増やすのであれば遠からずだろう。
吸血鬼の祖とされる者によって吸血鬼の血を分け与えられたという彼女であれば、それはもう初代に次いで古い血脈を持つことになる。
ミライアのように、吸血鬼の祖が血を分け与えた者はそう多くはないという。ただ元は人間であった吸血鬼達だ。長い長い生の中で、親しい者達が目の前で息絶えようとするその瞬間、悲しみに耐え切れず同類へと変えてしまう者が後を絶たなかった。それがこうして魔族吸血鬼という種を生み出し、大勢に知られるようになった。
人間社会では今、吸血鬼というのは滅びた種族であるという認識が広まっている。その認識を作り上げたのが何を隠そうこのミライアだった。
魔族として一括りにするには、吸血鬼は人間の生活に溶け込み過ぎていた。吸血鬼でありながら人間のように生きたいと考える者も少なくなく、吸血鬼という魔族のレッテルが邪魔だったのだ。その上と言っては何だが、吸血鬼を怖れる余り、吸血鬼狩りと称して同じ人間を襲う人間も後を絶たなかったという。
そのような状況を憂慮した彼女らが、百年ほど前から吸血鬼に関する噂の流布を始めた。同時に各地の吸血鬼達に存在を隠すように伝えて回り、結果として人間社会の中では吸血鬼という種は滅びた事になった。表向きは。
見向きもされなくなった吸血鬼達は自由に、そして好き勝手に社会に溶け込み出した。人を害するようなたわけは、ミライアによって根こそぎ始末された。そうして吸血鬼は、人間を害する事なく、彼らの良き隣人として生活するようになったのである。
そんな偉業を軽々成し遂げたミライアが、長い年月の中で培ってきた知識を元に、魔王という存在をそう判断したのだ。彼女を知る者からすれば、その驚きは一層強いものになった。
「ねぇちょっとそれ、本気で言ってる?」
姐さん、と口にしながらイライアスが半笑いで言い放てば、その場の全員が彼に顔を向けた。
イライアスが見たこの時のミライアは、驚く事に、その顔に笑みすら浮かべてはいなかった。真剣そのものの表情をしていた。
「無論だ。私が冗談でこんな事を言うと思うか?」
「……」
「大昔に聞いた覚えのある話だ。『永き眠りについた王を護る一族がある』と。墓所の番人と呼ばれる者達がおり、それらはその昔王の側近をしていた。彼らは今もなお片時も離れず王の側にいて、瀕死の傷を負った王が再び世に現れるその時を待っていると。……私の生きていた時代でさえ、寝物語として語られていたような話だ。誰も信じていやしなかった」
遠い過去を思い出すような目をしながらミライアが言った。
それはきっと、この場にいる皆が一度は耳にした事のあるお伽話の後半部分に違いなかった。
その昔に現れた魔王は、諍いになった人間たちとの戦いで深い傷を負い、逃げ帰った先で永い永い眠りについた。その側近として魔王に重用される事になったその一族は、かの魔王に生涯を捧げる事を誓っており、今もなおどこかでその帰りを待っているのだと。
この物語はその魔王が戻って来て再び暴れ出す事を防ぐため、忘れぬ為の教訓として語られている。
今ではその断片でしか伝わってはいないが、各地のそれを繋ぎ合わせると一つの壮大なストーリーとなるのだ。
それを今、ミライアが現実にあったものだとして話をしている。様々な物事を知る彼女の口からそのような事が告げられるのだから、驚きは相当のものだった。
イライアスは思わず口を噤んだ。
ミライアの言う事が実際、辻褄の合う事に気付いてしまったからだった。
どうして今になって、あの魔族達の動きが急に表に現れ出したのか。
これまで特に派手な動きをしていなかった彼らが突然、人間を攫うようになったのは何故なのか。
王都の周辺にばかりその被害が集中しているのは何故なのか。
王都にも近いこのガルディの地下にその墓所が実在し、永い時を経てその眠りから覚めた魔王が再び力を取り戻すために食糧を集めている。ヴィネアはその側近の末裔で、再び魔王が敗れぬよう、その刻を止める“ベルエの箱”を含めたあらゆる手段を講じている。隠す必要のない程力を取り戻した魔王は、再び王としての地位を取り戻すため、最後の仕上げとばかりに人間達との戦いに備えている。
そう考えると、ヴィネア達の行動の何もかもに説明がついてしまう。伽話だと笑い飛ばすには証拠が揃い過ぎてしまっていた。
「今この場ですぐに信じる必要はない。ただ、常にそれは念頭に入れておけ。何があってもいいようにな」
それっきり、その場はシンと静まり返った。唐突に判明した可能性に驚くばかりだった。
「それと、連れて行かれたあの馬鹿者の事だが……私が生きている限り死ぬ事はない。それに今回、手荒な事をされる理由もないからな。――ただ、やけに気に入られていたのが気にかかる。向こうの手に落ちた様子があれば迷わずにヤれよ。一度ショックを与えればあ奴も正気に戻るだろう」
最後の最後、真顔でそう言ったミライアに、部屋では引き攣った表情を浮かべる者が多発した。
「あ奴もようやく吸血鬼らしくなってきた所だ。血液を自ら飲んでさえいれば、その力が衰える事はない。――もしそうなっていた場合、下手をしたらこちらが狩られる。油断だけはするなよ」
話し合いの終わり、そう言ったミライアの一言がやけにイライアスの印象に残った。
出会ったばかりの頃、ジョシュアは自信のなさそうな優しいだけの男だった。けれど戦闘時には打って変わって、己の身体の変化に目を輝かせるような変わった男で、当時からミライアの見立てに納得のいってしまうような不思議な存在感があった。もちろん、血の相性が抜群に良かったせいもあるのだろうけれども、イライアスがそんな男に興味を引かれるようになるまではそう時間はかからなかった。
そして彼は今、こうしてミライアに忠告されるような吸血鬼へと変貌した。数百年――下手をすれば一千年と生きた吸血鬼の血と、戦闘と処世術のセンスに溢れたイライアスの血と手解きを受けた吸血鬼だ。まだ吸血鬼になって一年程度だが、その頭角を現すには十分すぎたらしかった。
「分かっているとは思うが、これから地下へと潜る。不確定要素は多いが、私もこの時の為にただ座して待っていた訳ではない。吸血鬼のみならず人間達への影響も大きい。ここで私の目的は終わらせるつもりだ。――全てが終わるまで地上に出てこられるとは思うなよ? 心してかかれ」
その言葉を最後に、その場の皆は立ち上がった。吸血鬼も人間も一緒くたになって、ただ平穏な毎日を取り戻すために。
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