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影なる者達
88.捕虜(前)
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「少し落ち着きなさい」
ふとヴェロニカがそんな事を言った。
「ジョシュア、貴方わたくしの声、聞こえているかしら?」
ハッとして声のした方へ振り向けば、呆れたような表情をしたヴェロニカがジョシュアの事をジッと見ていた。
「心配なのは分かりますけれど、一旦落ち着いて座ったらどうかしら」
そう言うと彼女は、自分の隣に手を置いて座るようにと促した。
その場で一瞬考え込んでからそれもそうか、と妙に納得したジョシュアはその言葉に従うように素直に腰を下ろした。
イライアスが定刻になっても戻っていないという知らせを受けたのはつい一昨日の事だった。ジョシュアの事は相変わらず避けていたのだけれども、イライアスはどんなに不服であってもミライアによる指示に従わなかった事はなかった。
そんな彼がどうしてだか、もう二日もここへ戻っていないのだ。何かあったと考えるのが自然だろう。それを聞いたミライアは全員に部屋への待機を指示し、特にジョシュア達吸血鬼の外出を制限した。そのような中で、ジョシュアの部屋をヴェロニカが訪れたのだ。
自分よりも数段は格上の吸血鬼であるイライアスが何者かに捕まるだなんて、ジョシュアには到底信じられない事だった。余程強力な者が相手だったのか、それともあの魔族のような魅了で従わされてしまったのか。なまじ似たような経験のあるせいだろう、ジョシュアの悪い想像は膨らむばかりだった。
もし、あの時ジョシュアがなりかけたように、魅了や幻覚の作用によってあちらに取り込まれてしまっていたら。もし、ジョシュアやミライアの事が分からなくなっていたら。冷静な思考を欠いたジョシュアの想像は、嫌な方へばかり向かっていった。
「マヌエラが問題ないだろうとおっしゃっているのだから、大丈夫なのではないかしら」
そういうジョシュアの考えを見通してでもいるのか、ヴェロニカは慰めるようにそんな事を言った。
「貴方の事ですから、どうせより悪い方へと考えてしまっているのでしょう?」
まるでジョシュアの頭の中を覗いたような事を言うヴェロニカに、図星を付かれたジョシュアは顔を顰めた。両手で口もとを覆いながらゆっくりと絞り出すように言う。
「……もちろん、アイツがそう易々とやられるとは思ってない。戦闘の痕跡もなかったと聞いたからわざと捕まったか、何か事情があったんだろうと……」
戦闘は苦手だけれども戦うことは嫌いではない。以前そう言ったイライアスの言葉がどこまで信用できるかはジョシュアには分からないけれど、今までのあの男の行動を見ていればそれもあながち噓ではないと理解できる。ただ、それは相手が敵である場合に限った話だ。
ジョシュアはあの男が優しい吸血鬼である事を知っている。特に、力を持たない人間に対してはそうだ。敵だと認識した相手ならまだしも、ただの人間相手に攻撃を加えるような男ではない。そしてだからこそ余計に心配だった。相手に手心を加えたせいで、あの男自身が傷付くような事態に陥ってやいないかと。付け込まれて懐に入られるような事態にでもなっていやしないかと。
自分のお人好し加減を棚に上げて、ジョシュアはそんな事を思うのである。
「あの赤毛なら大丈夫だろうと頭では分かってる。……ただ、顔を見るまでは安心できそうにないから……落ち着かない」
結局の所、ジョシュアのは本音はそれなのだ。あの日、激しく交わったあの日以来ロクに顔を見ていないせいか、イライアスの顔を見たくて仕方なかった。無事に、何事もなく帰ってきてほしい。この状況でそんな事は土台無理な話だと分かってはいても、ジョシュアが行くまではと、そう思わずにはいられない。
だからこそ、何も分からない今が一番もどかしかった。
呟くような声で言ったジョシュアに、ヴェロニカが微かな笑みを浮かべる。
「そういう所、貴方らしいですわね。昔から。心配性でマイナス思考ですわ」
「……」
「エレナの愚痴を思い出しますわ」
「え」
「自分には無頓着な癖に、エレナに対しては特に、輪をかけて心配してくるって」
「……」
懐かしむように言ったヴェロニカにジョシュアは思わず苦い顔をした。そういう優し気な表情で昔の話をされるのはくすぐったくて仕方がなかった。
ほんのわずかな間、その場に沈黙が流れたかと思うと。突然、ヴェロニカが提案した。
「ジョシュア、わたくしと共に偵察に行きません?」
咄嗟に反応のできなかったジョシュアは、その目を何度か瞬かせた後でようやく口を開いた。
「……偵察? どこにだ?」
「例の“困ったちゃん”達の所ですわ」
「⁉」
その言葉を聞いた瞬間、ジョシュアは弾かれたように顔を上げた。見上げたヴェロニカの顔には、いたずらを思いついた子供のような笑みが浮かんでいた。
ヴェロニカに“困ったちゃん”と形容される例の集団について思い浮かべる。エレナと同じ魔導剣の使い手や魔族の存在を見破る“目”、教会連中との諍いの事、そしておまけにミライアを手こずらせる程の手練れの存在。彼女がそう言いたくなるのも分かる気がした。
「状況からして、赤毛の方が居る可能性が最も高いのは彼らの下ですわ」
「赤毛がか」
「ええ。あのハンター紛いの彼らの中には、魔族を判別する“眼”を持つ者がいるという話ですもの。彼らの街への到着と赤毛の方の失踪は同時。それなら、彼らに見破られてその場で捕まったという可能性が一番高いと思いませんこと?」
そう言われて確かに、とジョシュアは首を縦に振った。動揺していたせいかすっかりそういう思考に至らなかったが、彼女の言うそれが最も現実的であるかのように思われた。
「捕まったのがワザとだと……?」
「それは彼に聞かねば分かりませんけれど……ただ、戦闘の痕跡が一切なかったのはおかしいですわよね? あの方が大人しく付いて行ったのだとしたら、遭遇したのはきっと魔族連中ではない……もしそうなら魔族との交戦は避けられないでしょうし。でしたら、怪しいのはどちらかと言えば人間側――例のハンター紛いのほう。吸血鬼なんて――いえ、大人しく降参する魔族なんて他にいるわけがありませんわ。どういうつもりなのかと怪しんで、彼らの下で拘束されていてもおかしくないのですわ」
「たし、かに……」
「ええ。ですから、貴方がいいというのなら、是非わたくしと共に来てほしいのですわ。――わたくし達の中で貴方の事をまだ知らないのはもうニコラスだけですもの。さすがに可哀想だわ」
「なるほど。……もう今更だしな」
「そうでしょう? それにどうせ、赤毛の方が本当にそこにいらしたらわたくし達が吸血鬼の身柄を引き取る事になるですわ。誰が吸血鬼で誰が人間かなんてもう、どうでもよくなるでしょうね」
「……そうだな。行く」
「貴方ならそう言うと思いましたわ。このまま部屋に籠っている時間なんてありませんわ。さあ、今すぐ支度をしなさい。もし万が一これが騒ぎにでもなれば、これまでの苦労が水の泡、結構深刻ですもの」
その場で勢い良く立ち上がったヴェロニカは、ジョシュアを急かすように手のひらを上に向けて手招きのような仕草をすると、自分は部屋の出入口の方へと歩いて行ってしまった。
「えっ、今から行くのか?」
「当り前ですわ。この状況では一日も無駄にできないですもの。丁度日も暮れますし良いタイミングですわ。ほら、いつものに着替えてらっしゃい。わたくしは先に宿の受付におりますから、ジョシュアも早くいらしてね」
「ちょっ、おい――っ」
ジョシュアの戸惑う声など耳に入っていないのか、言いたいことを言い切ったらしいヴェロニカは、そそくさと部屋から出て行ってしまった。途端に静まり返る部屋、その場に取り残されたジョシュアは一瞬の硬直の後、彼女に言われたようにすぐさま支度に取りかかるのだった。
◇ ◇ ◇
(あ~~、ほんとしくったなぁ……ま、そう悪くない状況だけどもねぇ)
ぐでんと床に寝転がりながら、両手足を鎖で拘束されたイライアスがそんな事を心の中で呟いた。廃屋特有の蜘蛛の巣まみれの天井が目に写り、なんとも言えない虚しさが込み上げてくる。
どこかの廃屋の一室だろうというのは分かるのだが、ここがどこなのか、地理に疎いせいかイマイチはっきりとしなかった。
こんな状況を招いたのは、全て己の油断のせいだった。あれほどミライアには油断するなと念を押されたにもかかわらず、心ここにあらずで夜の散歩に繰り出していたイライアスはヘマをした。
――お前、魔族だな? なぜこんな街中を堂々とうろついている!
魔族の気配ばかりを拾うあまり、常識外れの人間に対する警戒を怠ってしまった。その場でやっべ、と逃げ出そうとするも後の祭りだった。たちまち5人ほどの人間達に囲まれてしまい、彼らの拘束網を抜け出すのに失敗した。
きっとこれがミライアをてこずらせたというハンターモドキだろう、なんてそういう予想をつけて大人しく拘束された。
唯一救いだったのは、一度の反撃もなく大人しく捕まった事を不思議に思ったのか、彼らはイライアスに一切の危害を加えることなく何処かの廃屋へ拘束した事だった。そのまま見張りを一人残し、夜も遅いからと彼らは見張りつつ交代で休息を取ることにしたらしかった。イライアスがひどく従順で、おまけに彼らもまた長旅で疲れていたとかで、キツい尋問にかけられることも特になかった。
そのまま代わる代わる見張りが交代し、彼らから幾つか質問を受けただけだ。のらりくらりとその質問を適当にかわし、二日目の今日はこうして暇そうに床に転がっている。
(ジョシュア心配してるかな……いや、それよりもまず避けてたの変に思っただろうなぁ)
暇すぎてそれ以外に考える事がない。魔族との闘争云々だなんて今はそんなのはどうでも良かった。そう思うと、己の不甲斐なさにますます情けない気分になる。
もっとスマートに、若い吸血鬼であるジョシュアをリードしていくつもりであったのに。
ジョシュアの煮え切らない、思わせぶりな態度にイライアスの方が先に堪え切れなくなってしまったのだ。
嫉妬に駆られて手酷く抱いてしまった。最中にも関わらず、欲望のままに吸血だってしてしまった。まるで他の乱暴な吸血鬼達のように、そういう嗜虐的な行為に信じられないほど興奮してしまった。己の理性が焼き切れてしまう程、ひどく残虐な気分になってしまった。
そんな経験はまるで初めてで、全て終わって我に返ったイライアスはそんな自分を恥じた。
どんなに他の吸血鬼達と自分は違うと言い張って一線を引いていたはずなのに、蓋を開けてみれば自分だってまるで同じだったのだ。本能には抗えない、本当に欲しいと思うものは何をしてでも手に入れる畜生のような存在だった。
例えジョシュア相手にそんな事はあり得ないと頭では分かっていても、自分の手で大切な人間を殺めてしまうような気がして怖くなってしまった。以前よりもずっと強く。
(すっかり忘れてたのになぁ……真名で縛るなんてさぁ、そんなのできるわけないじゃん)
自分が離れている間、ジョシュアが真名で縛られていた事を知ってしまった。それは単なる偶然の事故で、イライアスが合流するのと同時に首筋の呪印は消えてなくなった。だからすっかりそんな事があっただなんてのも忘れていたのに。
それなのにあの時ふと、ジョシュアの首筋に嚙みつきながらイライアスは思い出してしまったのだ。
自分もああやって縛ってしまえば、ジョシュアはもう二度と自分から離れられなくなるのではと。イライアスだってジョシュアだったきっとそんな関係は望んでいないはずなのに、一瞬そのような事を思ってしまったのだ。凶暴な自分の中の欲望がそれを望んでしまった。
だからまたジョシュアから離れた。そういう考えを持ってしまう自分の頭を冷やすために、少し距離を置いていた。自分を避けていたジョシュアに対する意趣返しの意味もあるかもしれないが。
(あのクソちび、きっとジョシュアに何かしたんだろうな。……ああー、本当失敗した。また何かやらかしてないだろうな)
こうして冷静になって考えてみると、根本を放ったまま行動してしまった自分の幼稚さが恥ずかしく思えてくる。
ここぞという時に、警戒しなければいけない輩に余計なチャンスを与えてしまっている。
そういう自分にいっそ怒りすら湧いた。
(くっそ、早いとここんなとこ抜け出して――って、そう言えばこの連中の中にはジョシュアの 元 仲間がいたっけか。……どうせなら情報抜いてやろうか。あの人らの仲間だっていうならきっと、ジョシュアの事を適当に話せば食いつくはず)
自分への腹立たしさを覚えながら、思考を終えたイライアスはその場でごろんと寝返りを打って仰向けに転がり直した。見張りに立った男の様子を確認するためだ。
彼らの中には、今回の作戦に協力しているハンターギルド【S】級の男が紛れていると聞いている。イライアスも噂を耳にしたことのある、“バーサーカー”とも呼ばれる大剣士の男だ。もし見張りに彼が駆り出されているとしたら、この場は内緒話の絶好のチャンスなのである。
日もすっかり落ち、ろうそくの明かりだけとなった薄暗い屋内で、出入り口に仁王立ちをしてイライアスを見張るその男を見上げた。ローブを着ていて分かりにくいが、まずまずの巨体でまさにハンターらしい出で立ちをしていることが伺えた。彫の深い顔立ちで、その顔には何の感情も浮かんでいない。地面に突き刺すように、長大な両手剣がその手には握られていた。
もしやと思いながら、イライアスは早速男へと声をかける。
「なぁアンタ、もしかしてニコラス?」
その声にピクリと反応したかと思うと、男――ニコラスはその場でみるみる内に目を見開いていった。
ふとヴェロニカがそんな事を言った。
「ジョシュア、貴方わたくしの声、聞こえているかしら?」
ハッとして声のした方へ振り向けば、呆れたような表情をしたヴェロニカがジョシュアの事をジッと見ていた。
「心配なのは分かりますけれど、一旦落ち着いて座ったらどうかしら」
そう言うと彼女は、自分の隣に手を置いて座るようにと促した。
その場で一瞬考え込んでからそれもそうか、と妙に納得したジョシュアはその言葉に従うように素直に腰を下ろした。
イライアスが定刻になっても戻っていないという知らせを受けたのはつい一昨日の事だった。ジョシュアの事は相変わらず避けていたのだけれども、イライアスはどんなに不服であってもミライアによる指示に従わなかった事はなかった。
そんな彼がどうしてだか、もう二日もここへ戻っていないのだ。何かあったと考えるのが自然だろう。それを聞いたミライアは全員に部屋への待機を指示し、特にジョシュア達吸血鬼の外出を制限した。そのような中で、ジョシュアの部屋をヴェロニカが訪れたのだ。
自分よりも数段は格上の吸血鬼であるイライアスが何者かに捕まるだなんて、ジョシュアには到底信じられない事だった。余程強力な者が相手だったのか、それともあの魔族のような魅了で従わされてしまったのか。なまじ似たような経験のあるせいだろう、ジョシュアの悪い想像は膨らむばかりだった。
もし、あの時ジョシュアがなりかけたように、魅了や幻覚の作用によってあちらに取り込まれてしまっていたら。もし、ジョシュアやミライアの事が分からなくなっていたら。冷静な思考を欠いたジョシュアの想像は、嫌な方へばかり向かっていった。
「マヌエラが問題ないだろうとおっしゃっているのだから、大丈夫なのではないかしら」
そういうジョシュアの考えを見通してでもいるのか、ヴェロニカは慰めるようにそんな事を言った。
「貴方の事ですから、どうせより悪い方へと考えてしまっているのでしょう?」
まるでジョシュアの頭の中を覗いたような事を言うヴェロニカに、図星を付かれたジョシュアは顔を顰めた。両手で口もとを覆いながらゆっくりと絞り出すように言う。
「……もちろん、アイツがそう易々とやられるとは思ってない。戦闘の痕跡もなかったと聞いたからわざと捕まったか、何か事情があったんだろうと……」
戦闘は苦手だけれども戦うことは嫌いではない。以前そう言ったイライアスの言葉がどこまで信用できるかはジョシュアには分からないけれど、今までのあの男の行動を見ていればそれもあながち噓ではないと理解できる。ただ、それは相手が敵である場合に限った話だ。
ジョシュアはあの男が優しい吸血鬼である事を知っている。特に、力を持たない人間に対してはそうだ。敵だと認識した相手ならまだしも、ただの人間相手に攻撃を加えるような男ではない。そしてだからこそ余計に心配だった。相手に手心を加えたせいで、あの男自身が傷付くような事態に陥ってやいないかと。付け込まれて懐に入られるような事態にでもなっていやしないかと。
自分のお人好し加減を棚に上げて、ジョシュアはそんな事を思うのである。
「あの赤毛なら大丈夫だろうと頭では分かってる。……ただ、顔を見るまでは安心できそうにないから……落ち着かない」
結局の所、ジョシュアのは本音はそれなのだ。あの日、激しく交わったあの日以来ロクに顔を見ていないせいか、イライアスの顔を見たくて仕方なかった。無事に、何事もなく帰ってきてほしい。この状況でそんな事は土台無理な話だと分かってはいても、ジョシュアが行くまではと、そう思わずにはいられない。
だからこそ、何も分からない今が一番もどかしかった。
呟くような声で言ったジョシュアに、ヴェロニカが微かな笑みを浮かべる。
「そういう所、貴方らしいですわね。昔から。心配性でマイナス思考ですわ」
「……」
「エレナの愚痴を思い出しますわ」
「え」
「自分には無頓着な癖に、エレナに対しては特に、輪をかけて心配してくるって」
「……」
懐かしむように言ったヴェロニカにジョシュアは思わず苦い顔をした。そういう優し気な表情で昔の話をされるのはくすぐったくて仕方がなかった。
ほんのわずかな間、その場に沈黙が流れたかと思うと。突然、ヴェロニカが提案した。
「ジョシュア、わたくしと共に偵察に行きません?」
咄嗟に反応のできなかったジョシュアは、その目を何度か瞬かせた後でようやく口を開いた。
「……偵察? どこにだ?」
「例の“困ったちゃん”達の所ですわ」
「⁉」
その言葉を聞いた瞬間、ジョシュアは弾かれたように顔を上げた。見上げたヴェロニカの顔には、いたずらを思いついた子供のような笑みが浮かんでいた。
ヴェロニカに“困ったちゃん”と形容される例の集団について思い浮かべる。エレナと同じ魔導剣の使い手や魔族の存在を見破る“目”、教会連中との諍いの事、そしておまけにミライアを手こずらせる程の手練れの存在。彼女がそう言いたくなるのも分かる気がした。
「状況からして、赤毛の方が居る可能性が最も高いのは彼らの下ですわ」
「赤毛がか」
「ええ。あのハンター紛いの彼らの中には、魔族を判別する“眼”を持つ者がいるという話ですもの。彼らの街への到着と赤毛の方の失踪は同時。それなら、彼らに見破られてその場で捕まったという可能性が一番高いと思いませんこと?」
そう言われて確かに、とジョシュアは首を縦に振った。動揺していたせいかすっかりそういう思考に至らなかったが、彼女の言うそれが最も現実的であるかのように思われた。
「捕まったのがワザとだと……?」
「それは彼に聞かねば分かりませんけれど……ただ、戦闘の痕跡が一切なかったのはおかしいですわよね? あの方が大人しく付いて行ったのだとしたら、遭遇したのはきっと魔族連中ではない……もしそうなら魔族との交戦は避けられないでしょうし。でしたら、怪しいのはどちらかと言えば人間側――例のハンター紛いのほう。吸血鬼なんて――いえ、大人しく降参する魔族なんて他にいるわけがありませんわ。どういうつもりなのかと怪しんで、彼らの下で拘束されていてもおかしくないのですわ」
「たし、かに……」
「ええ。ですから、貴方がいいというのなら、是非わたくしと共に来てほしいのですわ。――わたくし達の中で貴方の事をまだ知らないのはもうニコラスだけですもの。さすがに可哀想だわ」
「なるほど。……もう今更だしな」
「そうでしょう? それにどうせ、赤毛の方が本当にそこにいらしたらわたくし達が吸血鬼の身柄を引き取る事になるですわ。誰が吸血鬼で誰が人間かなんてもう、どうでもよくなるでしょうね」
「……そうだな。行く」
「貴方ならそう言うと思いましたわ。このまま部屋に籠っている時間なんてありませんわ。さあ、今すぐ支度をしなさい。もし万が一これが騒ぎにでもなれば、これまでの苦労が水の泡、結構深刻ですもの」
その場で勢い良く立ち上がったヴェロニカは、ジョシュアを急かすように手のひらを上に向けて手招きのような仕草をすると、自分は部屋の出入口の方へと歩いて行ってしまった。
「えっ、今から行くのか?」
「当り前ですわ。この状況では一日も無駄にできないですもの。丁度日も暮れますし良いタイミングですわ。ほら、いつものに着替えてらっしゃい。わたくしは先に宿の受付におりますから、ジョシュアも早くいらしてね」
「ちょっ、おい――っ」
ジョシュアの戸惑う声など耳に入っていないのか、言いたいことを言い切ったらしいヴェロニカは、そそくさと部屋から出て行ってしまった。途端に静まり返る部屋、その場に取り残されたジョシュアは一瞬の硬直の後、彼女に言われたようにすぐさま支度に取りかかるのだった。
◇ ◇ ◇
(あ~~、ほんとしくったなぁ……ま、そう悪くない状況だけどもねぇ)
ぐでんと床に寝転がりながら、両手足を鎖で拘束されたイライアスがそんな事を心の中で呟いた。廃屋特有の蜘蛛の巣まみれの天井が目に写り、なんとも言えない虚しさが込み上げてくる。
どこかの廃屋の一室だろうというのは分かるのだが、ここがどこなのか、地理に疎いせいかイマイチはっきりとしなかった。
こんな状況を招いたのは、全て己の油断のせいだった。あれほどミライアには油断するなと念を押されたにもかかわらず、心ここにあらずで夜の散歩に繰り出していたイライアスはヘマをした。
――お前、魔族だな? なぜこんな街中を堂々とうろついている!
魔族の気配ばかりを拾うあまり、常識外れの人間に対する警戒を怠ってしまった。その場でやっべ、と逃げ出そうとするも後の祭りだった。たちまち5人ほどの人間達に囲まれてしまい、彼らの拘束網を抜け出すのに失敗した。
きっとこれがミライアをてこずらせたというハンターモドキだろう、なんてそういう予想をつけて大人しく拘束された。
唯一救いだったのは、一度の反撃もなく大人しく捕まった事を不思議に思ったのか、彼らはイライアスに一切の危害を加えることなく何処かの廃屋へ拘束した事だった。そのまま見張りを一人残し、夜も遅いからと彼らは見張りつつ交代で休息を取ることにしたらしかった。イライアスがひどく従順で、おまけに彼らもまた長旅で疲れていたとかで、キツい尋問にかけられることも特になかった。
そのまま代わる代わる見張りが交代し、彼らから幾つか質問を受けただけだ。のらりくらりとその質問を適当にかわし、二日目の今日はこうして暇そうに床に転がっている。
(ジョシュア心配してるかな……いや、それよりもまず避けてたの変に思っただろうなぁ)
暇すぎてそれ以外に考える事がない。魔族との闘争云々だなんて今はそんなのはどうでも良かった。そう思うと、己の不甲斐なさにますます情けない気分になる。
もっとスマートに、若い吸血鬼であるジョシュアをリードしていくつもりであったのに。
ジョシュアの煮え切らない、思わせぶりな態度にイライアスの方が先に堪え切れなくなってしまったのだ。
嫉妬に駆られて手酷く抱いてしまった。最中にも関わらず、欲望のままに吸血だってしてしまった。まるで他の乱暴な吸血鬼達のように、そういう嗜虐的な行為に信じられないほど興奮してしまった。己の理性が焼き切れてしまう程、ひどく残虐な気分になってしまった。
そんな経験はまるで初めてで、全て終わって我に返ったイライアスはそんな自分を恥じた。
どんなに他の吸血鬼達と自分は違うと言い張って一線を引いていたはずなのに、蓋を開けてみれば自分だってまるで同じだったのだ。本能には抗えない、本当に欲しいと思うものは何をしてでも手に入れる畜生のような存在だった。
例えジョシュア相手にそんな事はあり得ないと頭では分かっていても、自分の手で大切な人間を殺めてしまうような気がして怖くなってしまった。以前よりもずっと強く。
(すっかり忘れてたのになぁ……真名で縛るなんてさぁ、そんなのできるわけないじゃん)
自分が離れている間、ジョシュアが真名で縛られていた事を知ってしまった。それは単なる偶然の事故で、イライアスが合流するのと同時に首筋の呪印は消えてなくなった。だからすっかりそんな事があっただなんてのも忘れていたのに。
それなのにあの時ふと、ジョシュアの首筋に嚙みつきながらイライアスは思い出してしまったのだ。
自分もああやって縛ってしまえば、ジョシュアはもう二度と自分から離れられなくなるのではと。イライアスだってジョシュアだったきっとそんな関係は望んでいないはずなのに、一瞬そのような事を思ってしまったのだ。凶暴な自分の中の欲望がそれを望んでしまった。
だからまたジョシュアから離れた。そういう考えを持ってしまう自分の頭を冷やすために、少し距離を置いていた。自分を避けていたジョシュアに対する意趣返しの意味もあるかもしれないが。
(あのクソちび、きっとジョシュアに何かしたんだろうな。……ああー、本当失敗した。また何かやらかしてないだろうな)
こうして冷静になって考えてみると、根本を放ったまま行動してしまった自分の幼稚さが恥ずかしく思えてくる。
ここぞという時に、警戒しなければいけない輩に余計なチャンスを与えてしまっている。
そういう自分にいっそ怒りすら湧いた。
(くっそ、早いとここんなとこ抜け出して――って、そう言えばこの連中の中にはジョシュアの 元 仲間がいたっけか。……どうせなら情報抜いてやろうか。あの人らの仲間だっていうならきっと、ジョシュアの事を適当に話せば食いつくはず)
自分への腹立たしさを覚えながら、思考を終えたイライアスはその場でごろんと寝返りを打って仰向けに転がり直した。見張りに立った男の様子を確認するためだ。
彼らの中には、今回の作戦に協力しているハンターギルド【S】級の男が紛れていると聞いている。イライアスも噂を耳にしたことのある、“バーサーカー”とも呼ばれる大剣士の男だ。もし見張りに彼が駆り出されているとしたら、この場は内緒話の絶好のチャンスなのである。
日もすっかり落ち、ろうそくの明かりだけとなった薄暗い屋内で、出入り口に仁王立ちをしてイライアスを見張るその男を見上げた。ローブを着ていて分かりにくいが、まずまずの巨体でまさにハンターらしい出で立ちをしていることが伺えた。彫の深い顔立ちで、その顔には何の感情も浮かんでいない。地面に突き刺すように、長大な両手剣がその手には握られていた。
もしやと思いながら、イライアスは早速男へと声をかける。
「なぁアンタ、もしかしてニコラス?」
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