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影なる者達
84.一歩(前)
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思うように赤毛のイライアスとの時間が取れない。ガルディへ来る事になってある程度覚悟はしていたのだけれども、ジョシュアはその状況に少しばかり苛立ちを感じるようになっていた。
ガルディへとやって来てから数日が経過していた。正念場ともあって、各々が慎重に行動するようにとミライアから話があった。こうしてヴィネアからの接触もなく行動出来ているという事は、こちら側の行動が気付かれていない可能性が高い。
できるならばこのままバレる事なく彼らを確実に仕留める準備を行なってしまいたかったが、ベルエの箱の存在がそれを難しくしていた。彼ら自身が持っているかもしれないし、可能性は低いが別の安全な所で大事にされているのかもしれない。そう考えると、迂闊な行動はできないのだ。
各々が最善を尽くし、不確実要素を取り払っていく。誰が敵かも分からないそんな状況で、頼れるのは自分達だけだった。
そういう事情からも、ジョシュアは未だにヴィネアの魅了の影響から抜け切れていないアンセルムについていなければならないし、イライアスはイライアスでミライアの使い走りを命じられている。食事に誘うような時間すら、ここ数日は許してはもらえていなかった。
「――食事はしばらく、わたくし共の血で我慢なさい。ここまで慎重にやってきたのだから……下らない理由で連中に知られてはコトですわ。ゲオルグは、わたくしの血ではダメなようだからセナかラザールにお願いしますわ」
不機嫌をどうにか押し隠そうとしているジョシュアを見かねたのか、ヴェロニカが宥めるように言った。
吸血鬼達が皆偵察に出かけ、留守番を命じられたジョシュアはセナとヴェロニカ、ラザールと共に一部屋に集まり、今後の策について話合いをしていた所だった。一通りの意見が出揃い、後はミライア達の帰りを待つばかり。
そのような時、ヴェロニカが雑談のように告げたのだ。
あまり表情が変らないからとっつきにくい、怖い、だのと度々言われてきたジョシュアだったが、分かる者にはジョシュアの機嫌の良し悪しだって分かってしまう――というのは最近になって気付いた事だった。ヴェロニカですらこうなのだ。きっと2日前に顔を合わせたっきりのイライアスになんて当然、バレているに違いない。そう思うと、ジョシュアは少しだけ恥ずかしく思った。
「うん? ヴェロニカの血がダメってどういう事?」
ヴェロニカの言葉にセナが反応した。
彼とジョシュアの付き合いはとりわけ短い訳ではなかったが、吸血鬼の血の相性について話題にする事は今までになかったように思う。3人でいた時には特段、エレナが吸血鬼の話題については気を使って話題にしないようにしていたらしく、セナの吸血鬼に関する知識は、最初にミライアによって与えられたものがほとんどになる。
以前セナには自分だけ除け者なのは気に食わないと言われたことがあったが。それをふと思い出してしまって、ジョシュアは少しばかり申し訳ない気分になった。すっかり忘れていた。
「あら? セナもあの時、あの場にいらしたのではなかったかしら……?」
「あの場って?」
「ほら、ゲオルグが目の前で倒れた時があったでしょう?」
「ああ! あれか……そういや俺、何も聞いてなかった」
「そうだったの……ええと、どうやら吸血鬼にも血の相性があるらしいのですわ。特別相性の良い血が。ゲオルグにとってのそれがわたくしで、赤毛の方のそれがゲオルグだという話よ。慣れれば平気らしいですけれども、吸血は避けるのが無難との事ですわ。あの時ゲオルグが倒れたのもソレだそうですし……場合によってはお互いの身を危険に晒す、とも」
「へぇー……血の相性ね……」
ヴェロニカの説明にセナが相槌を返したかと思うと、ジト目でジョシュアを見てくる。聞いてないぞ、とでも言いたげなその視線に、ジョシュアは咄嗟に明後日の方向を向いた。
「それって、もしかして吸血鬼皆に言えることなのか?」
話に割って入るように質問したのはラザールだった。その答えを請うように、全員の視線がジョシュアへと向いた。
「ああ、恐らく一般的なものだと思う。……出会う確率はあまり高くないようだが」
「へぇ……それじゃあ、あのマヌエラ様とアンセルムにもいるのか?」
「多分な」
「ふぅん……」
ジョシュアがそう答えると、ラザールは思案するように視線を床へと落とした。
吸血鬼は人ではない、それを目の前に突き付けられる度に考える事がどんどん増えていく。それはジョシュアもかつては通った道で、自分と似たような境遇にあるラザールについつい自分を重ねて見てしまう。己の場合は人間でいる事は出来なかったのだけれども。人間のまま相棒の吸血鬼の身を案じるというのは一体、どういう気分なんだろうか。そう思うと余計に彼らについて考えてしまう。
例えば自分が、人間のままでいるべきか吸血鬼になれるかを選べた場合、一体どちらを選ぶのだろうかと。有無を言わさずに吸血鬼の身体になってしまった今更ではあるが、それはジョシュアが度々思考する事でもあった。
(多分どちらかを選べたとしても、俺はきっと吸血鬼になる方を選んだんだろうな)
今ではジョシュアも、すんなりとそう言い切れてしまう。吸血鬼となり、かつて夢にまで見た居場所を手に入れている。
ミライアやイライアスのような吸血鬼としての高みには遠く及ばないけれども、遥か彼方の存在であった高ランクのハンター達と、今や肩を並べて立つ事ができている。
仲間だったヴェロニカ達とも本当の意味で仲間になれた気がしている。
一番の目標であったエレナはもういなくなってしまったけれど、常に彼女の存在を感じながらこうしてジョシュアは歩いている――。
皆、昔の自分が欲してきたものだった。だからその答えはきっと今後も変わらない。
ラザールほど世渡りが上手ければそれも違ったのだろうけれども。ジョシュアの人生は、今が一番生きているという実感がある。
失うものは多かれど、世の中にはきっとジョシュアのように人でない方が幸せなどうしようもない人間もいる。最近ではそんな事すら思ってしまう。
それが、この一年ほどでジョシュアの出した結論だった。
(ラザールならどちらを選ぶんだろうか。俺とは違って、ハンターとしてもちゃんとやれている。そういう場合はどちらを選ぶんだろうか。……もしラザールが吸血鬼になりたいと言ったら、人間好きのアンセルムは反対しそうではあるけれど)
どちらに転んでも、彼らはきっと彼らのままなんだろうな。すっかり元通りに振る舞うラザールを見ながら、ジョシュアはそんな風に思うのだった。
「――じゃあそれで。ゲオルグ、アンタはこっち」
突然名前を呼ばれ、ジョシュアの頭が現実へと引き戻された。物思いにふけっていたせいで肝心な所を聞いていなかった。隣に座っていたセナが何故だか、ジョシュアの服の肩口を引っ張りながら立ち上がっている。
その後も、はいはい、早く、皆帰ってきてしまう、と彼に立ってと急かされるものだから、ジョシュアは何も分からないままその求めに応じた。ラザールやヴェロニカにはいってらっしゃい、と見送られながら、ジョシュアはセナに押されるようにして部屋を後にした。
部屋を出て、セナはジョシュアの袖口を引っ張りながらジョシュアとアンセルムの部屋の方へと進んで行った。
「……すまん、話を途中までしか聞いてなかった。あれからどういう話になったんだ?」
廊下を引っ張られるように歩きながら、ずいずいと進んでしまうセナへと声をかけた。すると彼は苦笑しながら、そうだと思った、とジョシュアの方を振り返った。
「ヴェロニカが血の話してただろ? 結局俺がまたアンタに血をあげるんでいい、って話になった。ここしばらくは血を飲んでなさそうだって話だったし、今なら俺達も暇してるからこの時間に済ませてもらおうって。あの部屋じゃあみんな居て口を付け辛いだろうから、アンタとアンセルムの部屋に行く――どう、これで分かった?」
「……なるほど、分かった。……ありがとう」
相変わらず手の早いセナに感心しながら礼を言うと、彼ははにかむように笑って再び前を向いた。どうしてそんなに急ごうとするのかは分らなかったが、それも彼の性格なのだろうと思うと特に気にもならなかった。
以前とは違い、ジョシュアに探るような視線を浴びせる事もなくなった彼は少しだけ年相応に見える。大人びているには違いないだろうが、初対面の時に感じていた血臭も少しばかり和らいだように感じていた。
エレナという保護者がいなくなってしまって、彼もジョシュアと同じように変わった内の一人なんだろう。そう思うと、少しばかり物悲しい気分になる。セナもまた自分と同じ。失った事で、良くも悪くもその後の人生が大きく左右された人間だ。自分達二人は、彼女から何かを引き継いだ同志に違いない、そう思うと不思議と親近感が湧いた。
「はい、到着。開けるよ?」
ジョシュア達の部屋だからだろう、そう確認をしてから扉を開けたセナは、開けるなり部屋へとジョシュアを押し込んだのだった。
「相っ変わらずアンタらって荷物少ないよね。ほとんどないじゃん。普段どうやって旅してんの?」
部屋に初めて足を踏み入れたセナが、部屋の明かりを灯しながらふとそんな事を聞いた。
「気が付くと彼女が用意をしている。何もかもが手慣れすぎてるんだ……こちらから聞く暇もない」
「ああー、なるほどね」
「多分、買っては捨ててを繰り返してるんだろうとは思う。もしくは、魔術を利用してたりするのかもしれないが……」
「ふぅん……あ、そういやお金ってどうしてんの? アンタは死人扱いなんでしょ、引き出したりできないんじゃぁ?」
「ああ……そこは、全部彼女持ちだ……十分な資金はあるとか何とかで……」
まるで何もかも面倒を見てもらっているような気分で、気まずそうにジョシュアがそう言えば、へえ、とセナは何かを考えるような声で相槌を打った。そして。
「それってアンタ、ほぼヒモって事じゃん」
「ぐ……」
痛い所を突かれて、ジョシュアの喉からは思わず絞り出したような音が出た。セナはそれに笑いながら、ウケる、なんて言葉を漏らしている。自分よりもひと回りは年下(人間換算)の若者にそんな事を言われて、恥ずかしいやらみっともないやら。未だに人間だった頃の感覚が強く残っているジョシュアは、成りたてのベビー吸血鬼であるのも忘れ、しばらくの間羞恥に顔を顰めた。
「冗談は兎も角としてさ、早く済ませよう。みんな帰ってくる前に」
逸早くまったりとした空気から抜け出したセナはそう言うと、返事も待たずに部屋のソファにジョシュアを座らせ、自分もまたその隣に腰を下ろした。袖口を捲り上げ、いつかのようにその腕を差し出している。以前とは違って、セナは自らナイフで傷を作るような真似はしなかった。
「自分で傷付けるのはダメなんだろ? ……逆効果だって聞いた」
セナは口を尖らせながらそう言って、上目遣いにジョシュアを見上げてくる。心なしかその頬が赤く染まっているように見えた。カーテンを閉め切った部屋の、微かなろうそく灯りのせいかもしれなかったが。いつかのハプニングを思い出して、ジョシュアは少しばかり気まずい雰囲気を感じていた。
「あの時は、その、俺もごめん。多分、嫉妬とか何かで頭がどうにかしてた。吸血鬼の催淫の作用、ってのもあったかもしれないけど……」
あの時、というのはきっと、セナに自慰を手伝わされた時の事だろう。ジョシュア自身、訳も分からずに酷く驚いた記憶しかなく、しかも様々な事がありすぎたせいですっかりそんなのはすっかり忘れてしまっていた。けれどこうやって思い出してみると、本当におかしな出来事だったのには違いなかった。
「いや……俺も理解せず不注意にやらかしていたから……その、あまり気にするな」
ジョシュアが目を逸らしながらそう言えば、セナもその場でうん、と小さな声で返事をした。
普段は袖に隠れて見えない剥き出しの腕を手に取り、ソファから床へと身体を落とす。腕の内側を晒し、白くて柔らかくも見える前腕に手を這わせた。ピクリと腕が震えたように見えたが、ジョシュアは何も指摘しなかった。
「最初は少しだけ痛いだろうけど……すぐに痛みもなくなる。少し、貰うだけだから……」
「ん」
目を合わせないようにしながら口早に言った。セナが小さく応えたのを最後に、無言が二人の周囲に落ちる。
そしてそっと、痛くないようにと願いながらジョシュアはそこに牙を立てた。柔らかい肉を喰い破るのと同時に、人の血液がジョシュアの中に流れ込んでくる。吸血鬼のそれとは違うその味に満足感を感じながら、ジョシュアは舌で転がし味わうようにしてその血をゆっくりと飲み下していった。干からびていた身体に潤いが戻るような気分で、いつもとは違う感覚に内心で首を傾げた。
(いつもより旨く感じる。単純に人の血液だからだろうか。……いや、そうじゃないな。しばらく、人の血は口にしてなかったからか)
殆ど確信しながらそんな事を考えた。よくよく思い出してみれば、オウドジェで過ごした数日以来ずっと人間の血液を口にしていなかったことに気が付く。
空腹を誤魔化す程度には吸血鬼の血液もエネルギーにはなるのだが、やはり人間のそれとは比べようもない。効率が悪い。
イライアスのジョシュアの血液に対する執着は、まるで人間に向けるようなもので少し異常な気もするが。血の相性というのはそれを誤魔化してしまえるほど強いものなのだろう、そんな気がしていた。
その血液に夢中になりそうな自分を抑えながら、ジョシュアは程よい所で吸血を切り上げた。これ以上飲んでしまうと、以前、出会ったばかりのイライアスに見せてしまったような醜態を晒してしまう気がして気が気ではない。セナを相手に吸血へ集中するなんてできそうもなかった。
傷口から滲む血を舐めとりながらその傷を塞ぐ。この程度ならば吸血鬼による催淫の効果も薄いとジョシュアも学んだ。よし、今度こそ普通に吸血ができた、だなんてジョシュアがホッとして顔を上げると。
目の前に、セナの綺麗な顔があった。
ガルディへとやって来てから数日が経過していた。正念場ともあって、各々が慎重に行動するようにとミライアから話があった。こうしてヴィネアからの接触もなく行動出来ているという事は、こちら側の行動が気付かれていない可能性が高い。
できるならばこのままバレる事なく彼らを確実に仕留める準備を行なってしまいたかったが、ベルエの箱の存在がそれを難しくしていた。彼ら自身が持っているかもしれないし、可能性は低いが別の安全な所で大事にされているのかもしれない。そう考えると、迂闊な行動はできないのだ。
各々が最善を尽くし、不確実要素を取り払っていく。誰が敵かも分からないそんな状況で、頼れるのは自分達だけだった。
そういう事情からも、ジョシュアは未だにヴィネアの魅了の影響から抜け切れていないアンセルムについていなければならないし、イライアスはイライアスでミライアの使い走りを命じられている。食事に誘うような時間すら、ここ数日は許してはもらえていなかった。
「――食事はしばらく、わたくし共の血で我慢なさい。ここまで慎重にやってきたのだから……下らない理由で連中に知られてはコトですわ。ゲオルグは、わたくしの血ではダメなようだからセナかラザールにお願いしますわ」
不機嫌をどうにか押し隠そうとしているジョシュアを見かねたのか、ヴェロニカが宥めるように言った。
吸血鬼達が皆偵察に出かけ、留守番を命じられたジョシュアはセナとヴェロニカ、ラザールと共に一部屋に集まり、今後の策について話合いをしていた所だった。一通りの意見が出揃い、後はミライア達の帰りを待つばかり。
そのような時、ヴェロニカが雑談のように告げたのだ。
あまり表情が変らないからとっつきにくい、怖い、だのと度々言われてきたジョシュアだったが、分かる者にはジョシュアの機嫌の良し悪しだって分かってしまう――というのは最近になって気付いた事だった。ヴェロニカですらこうなのだ。きっと2日前に顔を合わせたっきりのイライアスになんて当然、バレているに違いない。そう思うと、ジョシュアは少しだけ恥ずかしく思った。
「うん? ヴェロニカの血がダメってどういう事?」
ヴェロニカの言葉にセナが反応した。
彼とジョシュアの付き合いはとりわけ短い訳ではなかったが、吸血鬼の血の相性について話題にする事は今までになかったように思う。3人でいた時には特段、エレナが吸血鬼の話題については気を使って話題にしないようにしていたらしく、セナの吸血鬼に関する知識は、最初にミライアによって与えられたものがほとんどになる。
以前セナには自分だけ除け者なのは気に食わないと言われたことがあったが。それをふと思い出してしまって、ジョシュアは少しばかり申し訳ない気分になった。すっかり忘れていた。
「あら? セナもあの時、あの場にいらしたのではなかったかしら……?」
「あの場って?」
「ほら、ゲオルグが目の前で倒れた時があったでしょう?」
「ああ! あれか……そういや俺、何も聞いてなかった」
「そうだったの……ええと、どうやら吸血鬼にも血の相性があるらしいのですわ。特別相性の良い血が。ゲオルグにとってのそれがわたくしで、赤毛の方のそれがゲオルグだという話よ。慣れれば平気らしいですけれども、吸血は避けるのが無難との事ですわ。あの時ゲオルグが倒れたのもソレだそうですし……場合によってはお互いの身を危険に晒す、とも」
「へぇー……血の相性ね……」
ヴェロニカの説明にセナが相槌を返したかと思うと、ジト目でジョシュアを見てくる。聞いてないぞ、とでも言いたげなその視線に、ジョシュアは咄嗟に明後日の方向を向いた。
「それって、もしかして吸血鬼皆に言えることなのか?」
話に割って入るように質問したのはラザールだった。その答えを請うように、全員の視線がジョシュアへと向いた。
「ああ、恐らく一般的なものだと思う。……出会う確率はあまり高くないようだが」
「へぇ……それじゃあ、あのマヌエラ様とアンセルムにもいるのか?」
「多分な」
「ふぅん……」
ジョシュアがそう答えると、ラザールは思案するように視線を床へと落とした。
吸血鬼は人ではない、それを目の前に突き付けられる度に考える事がどんどん増えていく。それはジョシュアもかつては通った道で、自分と似たような境遇にあるラザールについつい自分を重ねて見てしまう。己の場合は人間でいる事は出来なかったのだけれども。人間のまま相棒の吸血鬼の身を案じるというのは一体、どういう気分なんだろうか。そう思うと余計に彼らについて考えてしまう。
例えば自分が、人間のままでいるべきか吸血鬼になれるかを選べた場合、一体どちらを選ぶのだろうかと。有無を言わさずに吸血鬼の身体になってしまった今更ではあるが、それはジョシュアが度々思考する事でもあった。
(多分どちらかを選べたとしても、俺はきっと吸血鬼になる方を選んだんだろうな)
今ではジョシュアも、すんなりとそう言い切れてしまう。吸血鬼となり、かつて夢にまで見た居場所を手に入れている。
ミライアやイライアスのような吸血鬼としての高みには遠く及ばないけれども、遥か彼方の存在であった高ランクのハンター達と、今や肩を並べて立つ事ができている。
仲間だったヴェロニカ達とも本当の意味で仲間になれた気がしている。
一番の目標であったエレナはもういなくなってしまったけれど、常に彼女の存在を感じながらこうしてジョシュアは歩いている――。
皆、昔の自分が欲してきたものだった。だからその答えはきっと今後も変わらない。
ラザールほど世渡りが上手ければそれも違ったのだろうけれども。ジョシュアの人生は、今が一番生きているという実感がある。
失うものは多かれど、世の中にはきっとジョシュアのように人でない方が幸せなどうしようもない人間もいる。最近ではそんな事すら思ってしまう。
それが、この一年ほどでジョシュアの出した結論だった。
(ラザールならどちらを選ぶんだろうか。俺とは違って、ハンターとしてもちゃんとやれている。そういう場合はどちらを選ぶんだろうか。……もしラザールが吸血鬼になりたいと言ったら、人間好きのアンセルムは反対しそうではあるけれど)
どちらに転んでも、彼らはきっと彼らのままなんだろうな。すっかり元通りに振る舞うラザールを見ながら、ジョシュアはそんな風に思うのだった。
「――じゃあそれで。ゲオルグ、アンタはこっち」
突然名前を呼ばれ、ジョシュアの頭が現実へと引き戻された。物思いにふけっていたせいで肝心な所を聞いていなかった。隣に座っていたセナが何故だか、ジョシュアの服の肩口を引っ張りながら立ち上がっている。
その後も、はいはい、早く、皆帰ってきてしまう、と彼に立ってと急かされるものだから、ジョシュアは何も分からないままその求めに応じた。ラザールやヴェロニカにはいってらっしゃい、と見送られながら、ジョシュアはセナに押されるようにして部屋を後にした。
部屋を出て、セナはジョシュアの袖口を引っ張りながらジョシュアとアンセルムの部屋の方へと進んで行った。
「……すまん、話を途中までしか聞いてなかった。あれからどういう話になったんだ?」
廊下を引っ張られるように歩きながら、ずいずいと進んでしまうセナへと声をかけた。すると彼は苦笑しながら、そうだと思った、とジョシュアの方を振り返った。
「ヴェロニカが血の話してただろ? 結局俺がまたアンタに血をあげるんでいい、って話になった。ここしばらくは血を飲んでなさそうだって話だったし、今なら俺達も暇してるからこの時間に済ませてもらおうって。あの部屋じゃあみんな居て口を付け辛いだろうから、アンタとアンセルムの部屋に行く――どう、これで分かった?」
「……なるほど、分かった。……ありがとう」
相変わらず手の早いセナに感心しながら礼を言うと、彼ははにかむように笑って再び前を向いた。どうしてそんなに急ごうとするのかは分らなかったが、それも彼の性格なのだろうと思うと特に気にもならなかった。
以前とは違い、ジョシュアに探るような視線を浴びせる事もなくなった彼は少しだけ年相応に見える。大人びているには違いないだろうが、初対面の時に感じていた血臭も少しばかり和らいだように感じていた。
エレナという保護者がいなくなってしまって、彼もジョシュアと同じように変わった内の一人なんだろう。そう思うと、少しばかり物悲しい気分になる。セナもまた自分と同じ。失った事で、良くも悪くもその後の人生が大きく左右された人間だ。自分達二人は、彼女から何かを引き継いだ同志に違いない、そう思うと不思議と親近感が湧いた。
「はい、到着。開けるよ?」
ジョシュア達の部屋だからだろう、そう確認をしてから扉を開けたセナは、開けるなり部屋へとジョシュアを押し込んだのだった。
「相っ変わらずアンタらって荷物少ないよね。ほとんどないじゃん。普段どうやって旅してんの?」
部屋に初めて足を踏み入れたセナが、部屋の明かりを灯しながらふとそんな事を聞いた。
「気が付くと彼女が用意をしている。何もかもが手慣れすぎてるんだ……こちらから聞く暇もない」
「ああー、なるほどね」
「多分、買っては捨ててを繰り返してるんだろうとは思う。もしくは、魔術を利用してたりするのかもしれないが……」
「ふぅん……あ、そういやお金ってどうしてんの? アンタは死人扱いなんでしょ、引き出したりできないんじゃぁ?」
「ああ……そこは、全部彼女持ちだ……十分な資金はあるとか何とかで……」
まるで何もかも面倒を見てもらっているような気分で、気まずそうにジョシュアがそう言えば、へえ、とセナは何かを考えるような声で相槌を打った。そして。
「それってアンタ、ほぼヒモって事じゃん」
「ぐ……」
痛い所を突かれて、ジョシュアの喉からは思わず絞り出したような音が出た。セナはそれに笑いながら、ウケる、なんて言葉を漏らしている。自分よりもひと回りは年下(人間換算)の若者にそんな事を言われて、恥ずかしいやらみっともないやら。未だに人間だった頃の感覚が強く残っているジョシュアは、成りたてのベビー吸血鬼であるのも忘れ、しばらくの間羞恥に顔を顰めた。
「冗談は兎も角としてさ、早く済ませよう。みんな帰ってくる前に」
逸早くまったりとした空気から抜け出したセナはそう言うと、返事も待たずに部屋のソファにジョシュアを座らせ、自分もまたその隣に腰を下ろした。袖口を捲り上げ、いつかのようにその腕を差し出している。以前とは違って、セナは自らナイフで傷を作るような真似はしなかった。
「自分で傷付けるのはダメなんだろ? ……逆効果だって聞いた」
セナは口を尖らせながらそう言って、上目遣いにジョシュアを見上げてくる。心なしかその頬が赤く染まっているように見えた。カーテンを閉め切った部屋の、微かなろうそく灯りのせいかもしれなかったが。いつかのハプニングを思い出して、ジョシュアは少しばかり気まずい雰囲気を感じていた。
「あの時は、その、俺もごめん。多分、嫉妬とか何かで頭がどうにかしてた。吸血鬼の催淫の作用、ってのもあったかもしれないけど……」
あの時、というのはきっと、セナに自慰を手伝わされた時の事だろう。ジョシュア自身、訳も分からずに酷く驚いた記憶しかなく、しかも様々な事がありすぎたせいですっかりそんなのはすっかり忘れてしまっていた。けれどこうやって思い出してみると、本当におかしな出来事だったのには違いなかった。
「いや……俺も理解せず不注意にやらかしていたから……その、あまり気にするな」
ジョシュアが目を逸らしながらそう言えば、セナもその場でうん、と小さな声で返事をした。
普段は袖に隠れて見えない剥き出しの腕を手に取り、ソファから床へと身体を落とす。腕の内側を晒し、白くて柔らかくも見える前腕に手を這わせた。ピクリと腕が震えたように見えたが、ジョシュアは何も指摘しなかった。
「最初は少しだけ痛いだろうけど……すぐに痛みもなくなる。少し、貰うだけだから……」
「ん」
目を合わせないようにしながら口早に言った。セナが小さく応えたのを最後に、無言が二人の周囲に落ちる。
そしてそっと、痛くないようにと願いながらジョシュアはそこに牙を立てた。柔らかい肉を喰い破るのと同時に、人の血液がジョシュアの中に流れ込んでくる。吸血鬼のそれとは違うその味に満足感を感じながら、ジョシュアは舌で転がし味わうようにしてその血をゆっくりと飲み下していった。干からびていた身体に潤いが戻るような気分で、いつもとは違う感覚に内心で首を傾げた。
(いつもより旨く感じる。単純に人の血液だからだろうか。……いや、そうじゃないな。しばらく、人の血は口にしてなかったからか)
殆ど確信しながらそんな事を考えた。よくよく思い出してみれば、オウドジェで過ごした数日以来ずっと人間の血液を口にしていなかったことに気が付く。
空腹を誤魔化す程度には吸血鬼の血液もエネルギーにはなるのだが、やはり人間のそれとは比べようもない。効率が悪い。
イライアスのジョシュアの血液に対する執着は、まるで人間に向けるようなもので少し異常な気もするが。血の相性というのはそれを誤魔化してしまえるほど強いものなのだろう、そんな気がしていた。
その血液に夢中になりそうな自分を抑えながら、ジョシュアは程よい所で吸血を切り上げた。これ以上飲んでしまうと、以前、出会ったばかりのイライアスに見せてしまったような醜態を晒してしまう気がして気が気ではない。セナを相手に吸血へ集中するなんてできそうもなかった。
傷口から滲む血を舐めとりながらその傷を塞ぐ。この程度ならば吸血鬼による催淫の効果も薄いとジョシュアも学んだ。よし、今度こそ普通に吸血ができた、だなんてジョシュアがホッとして顔を上げると。
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