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黄昏の吸血鬼

81.訪問者

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 ジョシュア達が街を出たのは、更に二日後の夜になってからだった。
 予定ではその翌日には街を出るはずだったのだが、思いがけない訪問者が彼らの前に現れたのである。

「所長からヴェロニカに伝言。俺も連れてけってさ。一人では荷が重いだろうって――」

 そう言ってアンセルムの屋敷を訪れた男は、以前とは少しばかり違う雰囲気を醸し出していた。
 ジョシュアはその様子を、待合スペースのソファに腰かけながら眺めていた。

「あら……これは体よくエレナの代わりに貴方のお守りを押し付けられたのかしらね」
「……本人を目の前にそれ言わないでくれます? 俺だってついこの前、【S】級に上がる事決まったんですからね」

 玄関口でふん、と鼻を鳴らして腰に手を当てる男――セナは、どこか自慢げにそんな事を言った。軽そうな口調は相変わらずだが、以前よりも更に気配の鋭さが増している。王都での事件――エレナというパートナーを失って以来、きっと彼も変わったという事なのだろう。彼に親近感を覚えながら、ジョシュアは二人の会話に耳を澄ませていた。

「そう、それはおめでとうですわ。貴方もようやくちゃんとした人間に成れたのね……」
「……エレナみたいな事言わないでくれます?」
「彼女がいつもそう言っていたからつい……」

 セナとヴェロニカの間にはやはり前々から交流があったようで、気安い調子での彼らの会話がジョシュアの耳にも入ってきた。
 この様子ではおそらく、セナも自分達と行動を共にする事になるのだろう。そういう雰囲気を感じ取りながら、以前行動を共にした時の事を思い出す。本当に色々な事があったけれども。今ならば彼とも上手くやれる気がしていた。

 チラチラとセナがこちらの様子を窺っているのが分かった。ジョシュアと話したい事でもあるのだろう。そういう視線をビシバシと感じながら、ジョシュアも逃げずにやりとりが終わるのを待った。
 旅の身支度の為、うろうろと歩き回っていたラザールとアンセルムが、玄関口を気にするジョシュアを不思議そうに眺めていた。

「――久しぶり。アンタのとこ、随分と知らないメンツが増えてるじゃん。また絡まれてたの?」

 屋敷の中に通されたセナは、真っ直ぐにジョシュアの元へと向かってくる。ジョシュアはソファから立ち上がりそれを迎えた。

「絡ま……色々とあったんだ。【S】級に上がったんだってな。おめでとう」
「ん、ありがとう。あれ以来ギルドが忙しくなったってから、自由に動ける人間が欲しかったみたいだ」

 ソファの空いている席に座るように促す。するとセナは、腰に下げていた剣を膝の上に置きながらゆっくりとソファへ腰かけた。
 そこでふと目にしたセナの剣から、ジョシュアは目を逸らすことができなくなってしまった。魔力を扱いやすいように加工された細身の剣。ひどく見覚えのあるその剣は。

「ああ、これ……? アンタはもちろん見覚えあるよな」

 ジョシュアの様子に気付いたセナが、静かな声で言った。

「エレナが使ってた魔導剣だ。形見分けだよ。……アンタが現れなかったからってナザリオが俺に。まだエレナ程には扱いきれてないけど、俺にしか使えないだろうってんでさ……」

 言いながらセナは、剣をジョシュアに向かって差し出してきた。何も考えずに反射的にそれを受け取る。思っていたよりも重量のあるその剣は、エレナがいつも大事そうに手元に置いていたまさにその剣だった。

 元々はジョシュアに与えられるものだった。それを聞いて何とも言えない気分になりながら、そっと鞘から僅かに抜いた。
 鈍い銀色を放つ刀身は、普通の剣よりも僅かに青みがかっている。高出力の魔力にも耐えられるよう、一部の魔物から採れる魔石を練り込んでいるのだとエレナが言っていた。それを思い出しながら、ジョシュアはジッとその銀色を眺めた。

 手に持つとやけにしっくりくる。この剣を手に持ったのは初めてなのに、何故だかこれが初めてではないような気分になる。腕から手のひらへ向けて魔力を放出し、剣やその斬撃に効果を与える。そういうイメージが不思議と湧いてきて、ジョシュアは奇妙な感覚に襲われた。まるで、いつもこの剣を手にしていたかのような――。
 そこまで考えた所でジョシュアはハッと我に返る。カチンッと剣を鞘に戻し、セナに剣を返した。

「ありがとう。――大事にしてやってくれ」

 セナへと向けた声は、思っていたよりも絞り出したようなものになった。セナはそれを特に指摘せず、何事もなかったかのように次の話題を切り出した。その気遣いがジョシュアにはありがたかった。

「もちろん。……んで俺、アンタらと一緒に行くよ。あのクソ野郎の居場所、分かったんでしょ?」
「ああ。おおよその見当といった所らしいが」
「それで十分だよ。俺なんてぜんっぜん、どこに居るのかも分かんなかったし」

 悔しそうに言ったセナの顔には、ジョシュアだって見たこともない、憎々し気な表情が浮かんでいた。目の前であの魔族ヴィネアを取り逃がした。それを心底悔やんでいるセナの気持ちは、誰よりもジョシュアが理解している。

「次は絶対に逃がさない。どうにかしてアイツを葬ってやる」

 声には出さずとも、その言葉にジョシュアは心底同意した。

「――って事でまたヨロシクね。それでさぁ、再会して早々で悪いんだけど……」

 そこで一旦言葉を切ると。セナは突然その身を乗り出し、ジョシュアに向かって言った。

「俺と手合わせしてよ」

 ニヤリと笑いながらそんな事を言うセナに、ジョシュアは驚きの表情を浮かべた。

「何でまた急に……別に俺でなくても……」
「エレナとはよくやってたんだよ。他の【A】級連中では相手になんないし、かと言って【S】級の人らは忙しそうだし……それにアンタとはもう一度ヤり合ってみたかった。――なぁ、いいだろ? 頼むよ、このままだと腕がなまっちゃうからさぁ!」

 両手を合わせて頭を下げながら、セナがジョシュアに懇願している。それを困った、なんて思いながらも、セナとヤり合う事にわくわくしてしまっている自分がいる。それにジョシュアは気付いてしまっていた。
 エレナの剣と戦える。そう思うとどうしてだか心が弾む気がした。

「修練でもするのかい? 地下の劇場なら声を上げても多少は大丈夫だよ。……ただあんまり壊さないでくれよ? 修理が大変だから」

 そういうアンセルムの声が後押しとなった。
 昨夜はとんでもなく面倒くさい野郎に成り果てていたというのに、ラザール達皆の前ではしっかりと取り繕っている。そんなアンセルムの演技力に感心しつつもふと、ジョシュアは思ってしまうのである。ああやって彼がマイペースを貫いているのは、そこまで気を回す余裕がないからなのではないか。そう考えると少し不憫な気もした。


「――初めて会った時以来かな? 今度はちゃーんと仕留めるよ。アンタも逃げたら承知しないから」

 そうしてミライアに許しを貰った後で、ジョシュアはセナと対峙する事になった。両手にナイフを持ち、いつもの身軽な服で戦闘に臨む。こういう手合わせは久しぶりのことだった。以前はあんなにも抵抗感があったというのに。今ではこの状況を楽しんですらいる。すっかり変わってしまった自分の心持ちに、ジョシュアは奇妙な心地を覚えた。
 自分は吸血鬼である。その自覚がこうも己を変えたのだと思うと、感慨深いものがあった。

「――始め!」

 ラザールによる掛け声と同時にセナが突っ込んできた。その手には抜き身のあの剣が握られていて、繰り出される突きと同時に僅かに斬撃が飛んだ。ジョシュアはそれを避けながら、初めて見るその攻撃を観察した。
 斬撃の出力は随分と抑えられているようで、目標だったジョシュアを過ぎる頃には空中に霧散して消えてしまった。エレナの魔導剣による攻撃はとうとう見る事も叶わなかったけれど、セナによる一撃で、その真価とやらが段々とジョシュアにも見えてきていた。

(剣劇のスピードで飛んでくる魔術、か。なるほど、接近戦と遠距離戦とを自在に切り替えられると……厄介な代物だな)

 そういう分析をしながら、ジョシュアはセナによる攻撃を受け流し続けた。

「魔導剣って、タイミングがクソ難しいんだよな。魔術を飛ばすにしても、剣を振るのと同時に放たれなきゃ大して意味もない。ただ魔力を纏わせるだけなら別にどうってことないけど……自在に操るとなるとな」

 完全に避けるべきタイミングと、受け流しても問題のないタイミング。それを見極めるのが中々に難しかった。下手に受けると、飛ばされる斬撃をもろに食らう。何度か受け損ねて食らいそうになったが、ギリギリ躱せる範囲だった。

「くっそ、あのタイミングで避けるとかさぁ……」

 ジョシュアが間一髪で避ける度、セナからは不服そうな声が上がった。
 そうして一進一退を繰り返し、手合わせの時間はあっという間に過ぎていった。
 
「――両者そこまで!」

 止めの合図が出される頃には、ジョシュアもセナも息切れをしていた。吸血鬼であるジョシュアの方が有利だったはずではあるが、決着はつかず引き分けに終わった。魔導剣に対する警戒心が、ジョシュアの積極的な攻撃を阻害していたのだ。

 額に纏わりついた汗をぬぐいながらセナへと近寄り、床に座り込んでいるセナに手を差し伸べた。

「これが魔導剣か……大体、理解した。随分と厄介な武器だな」
「ん。でもエレナはもっと上手く扱えてた……タイミングが神がかってたんだよ、あの人」

 ジョシュアの手を取りながらセナが立ち上がった。その息は未だに荒いままだったが、彼の表情はどこか楽しそうである。

「本人は疲れるだ何だの言いながらもサラッとやっちゃうからさ……毎回ボコボコにされるこっちの身にもなれって話」
「……だからこその【S】級だったんだろ」
「そりゃそうだけど……あの人のせいで俺のプライドぼろぼろよ? めちゃくちゃ文句言ってきたし。……なんだかんだと、いつも依頼一緒に組まされてた」
「セナができるから、そういうのにも付き合わされてたんだろう。今ちゃんと活かされてる。良かったんじゃないか?」

 ジョシュアがそう言うと、セナは口を尖らせて黙り込んだ。照れているのだろうというのが自然と分かってしまって、なんとも言えない気恥ずかしさを覚える。

「アンタらすっごいな……初めて見たけど、これがトップ層の戦いってやつか……俺には無理だわ」

 二人の黙り込んだタイミングで、ラザールが思わずといった声を上げた。ジョシュアとセナがそちらを振り向けば、ラザールとアンセルムがぽかんとしたような表情で並んで立っていた。

「僕にも絶対無理だよ。やるんなら、速攻で頭を本気で一発殴ってその場から逃げると思うな」

 相変わらずのアンセルムに脱力感を覚える。二人の手合わせはそれでお開きとなった。
 付き合ってくれたラザールとアンセルムも一緒に、4人は地下の劇場から1階の玄関ホールへと向かった。

「は? 何? 手合わせ? 俺そんなの聞いてないんだけど!」

 ジョシュア達がホールに姿を見せると、たまたまそれを目にしたイライアスが途端に騒ぎ出す。

「お前がこうなるからだ。ほれ、さっさと仕事を終わらせて来い」
「何で俺だけぇ!」
「この中でバレずに比較的自由に動けるのがお前だけだからだ。ほら行け!」

 ぎゃんぎゃんと泣き言を叫びながら屋敷を追い出されるイライアスに苦笑しながらも、後でちゃんと労ってやろう、なんてそんなことを思うジョシュアだった。
 そしてそんなジョシュアの表情をチラリと見て、セナが微かに眉根を寄せていた事には誰も気付く様子はなかった。
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