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黄昏の吸血鬼
72.吸血鬼と真名と
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「分かったよ。君の言う通りにしよう」
吸血鬼アンセルムがそう答えたのは、随分と長い時間考えた後での事だった。ラザールはそれを聞いた途端、パッと表情を明るくしてアンセルムを見返した。
ジョシュア達はそれを、ただ黙って聞くだけだった。
「それじゃ……」
ラザールの顔に安堵の笑みが浮かんでいる。
けれどもすぐ、アンセルムがそれに釘を刺すように言った。先程までとは違い、穏やかな微笑みをその顔に浮かべていた。
「うん。ただ、僕とはいくつか約束をしておくれ」
「約束?」
「そう。君の身を守る為でもある。……僕が本当におかしくなってしまって、君の手に負えないと思ったら僕からすぐに離れる事。それと、あの女帝達とはいつでも連絡が取れるようにする事。あの人が本気を出せば、僕なんか一捻りだろう」
アンセルムがそんな条件を出すと、ラザールは少しばかり不服そうに、しかししっかりとそれに頷いた。彼にも分かっているのだ。アンセルムがそうなってしまう可能性がゼロではない事を。だからこそ、互いに安全で居られる方法をとるのだ。
「うん、ヨシヨシ。……あと、君には僕の名前を教えておこうかな。……君以外誰にも言わないでくれるかい?」
「名前……? アンセルムじゃ、ないのか?」
「それはただの呼び名だ。真名は別にある。魔族は本当の名前に強く縛られる。だから普通は誰にも言わないんだよ。隷属させられてしまうかもしれないからね」
「隷属って……」
「そうだよ。だから普通は隠すんだ。決して他者には教えない。吸血鬼だって、それは例外じゃないんだ」
「……分かった。他には絶対言わない」
「うん。……でも、君が必要だと思ったら、他の人間や女帝達にも教えるといい」
「……絶対に言わない」
「ふふ……耳を貸して」
アンセルムがそう言ったかと思うと。わずかばかり背の低いラザールの耳元で、アンセルムが隠すようにそれをボソボソと呟いた。
その二人の姿はまるで、仲の良い本当の友人か何かのように見えて。ジョシュアはどことなく気恥ずかしく思えてくるのだった。
その後もしばらく、二人は小声で何かを話していた。ジョシュア達は少し遠くから、その姿を眺めている。
コソコソと何かを囁き合う様は、どうしてだか見てはいけないもののようにすら感じる。何故だか覗きをしている気分になる。そこでジョシュアは耐え切れなくなり、そっと視線を彼等から外した。
手持ち無沙汰にヴェロニカの方を見やる。例の男性を介抱しながらも、彼女は何故だか、口元をその手で覆っていた。驚きに口に手を当てる仕草にも見えたが、どことなく楽しそうな雰囲気を感じる。ジョシュアは再び見てはいけないものを見たような気がして、その視線をサッと逸らした。
こうして、ジョシュア達の捜索は無事に終わりを告げた。予想外にも戦闘すら行われず、平和的な解決へと至ったのである。ここの所はトラブル続きであったジョシュアからすれば、随分と呆気ない終わりだった。
ミライアとイライアスが合流したのは、それから半刻と経たない内だった。
「何だと……この男がそうなのか……?」
この事件の全容を知り、そんな事を言ったミライアはどこか不機嫌そうだった。きっと、やる気満々で街へとやって来たというのに、こんなにもあっさりと解決してしまって戦闘行為の消化不良というやつなのだろう。
彼女の纏う空気からからそこまで分かるようになってしまって、ジョシュアは顔を引き攣らせながらその場でこくりと頷いた。
そしてイライアスはと言えば、そんなジョシュアの隣に立ってジッと黙ったまま様子を窺っている。やはり見知らぬ吸血鬼が居るからなのだろう。彼は普段よりも大変静かだった。
「ああ、貴女様があの……、僕の事はアンセルムとでも呼んでください」
当人を目の前にして、流石に女帝とは呼べなかったようだ。適当に誤魔化しながら、ミライアの前でアンセルムが軽く頭を下げていた。
「アンセルムか。私の事は、そうだな……ミライアとでも呼べ」
「ええ、分かりました」
そうして告げられたその名前に、ジョシュアも、そしてイライアスですら驚く事になった。
彼女のその名前は、吸血鬼の中でも一部の者にしか教えないようなものなのだ。ミライアの名前を伝えると言う事はつまり、彼女はこれ以降、アンセルムの面倒を見るつもりであるのだろうと。
何も知らない人間達は、ミライアという呼び方もその他様々に呼ばれる彼女の名前の内のひとつとしか認識しないのだろう。けれども、ジョシュア達にとってのその名は、少しばかり重要な意味を持っているのである。
そう驚く二人をよそに、ミライアは何事もなかったかのように話を続けた。
「ラザール」
「はい」
「この件、くれぐれも表に出してはくれるなよ。この下僕も説明しただろうが、我ら吸血鬼は広く知られる事は好かんのだ。今まで通り、多くの者には知られずにいたい」
「はいもちろん、それは承知してます。俺も、彼には不自由はさせたくないです、今まで通り自由でいてほしい。そう思ってます」
ミライアの忠告に対して、ラザールはにっこりとはにかむような笑みでそう応えた。アンセルムと共に居れてそんなに嬉しいのだろうか。ミライアはそれを見て一瞬固まった後で、ならば良い、なんて短く返事を返してやっていた。
それからミライアの話は、ジョシュア達の方へと移った。
「下僕、先程の話だ。ヴィネアの奴は何と言っていた……?」
「えっ、下僕……?」
「アンセルム、そこは突っ込んじゃダメだ、彼等にもきっと何か事情が――」
「……」
ミライアが言った途端にだった。コソコソとあの二人が囁き合う声が聞こえてきて、ジョシュアは非常に気が散った。
下僕と呼ばれて久しかったが、改めて問われると確かに奇妙なものだ。下僕と呼ばれるような事情とは一体、何なのだろうかと。少なくともジョシュアには思い浮かばなかった。
彼らを気にしないようにしながら、ヴィネアの行動をミライアへと伝える。話している内に、ラザール達の小声もいつの間にか気にならないようになっていった。
「……そこのアンセルムの始末をと言われて、それから――」
「それから、何だ?」
一度そこで言葉を切り、ジョシュアはラザール達の方をチラリと窺った。ここから先の話はジョシュアの正体に関わるものになる。元ハンターで、ジョシュアという真名を持つ男。それをここで知られていいものか、ジョシュアにはすぐ判断ができなかったのだ。
もちろん、彼等が決して悪いヒトではない事をジョシュアは知っている。この話を聞いたところで彼等が何かする訳ではないだろうけれども。それでもやはり、少しだけ躊躇してしまう。何せジョシュアは、この場で最も弱い吸血鬼には違いないのだから。
ジョシュアがそこまで考えていた時だ。不意に、アンセルムがいち早く理解したような声で呟いた。
「ああ、そういう……ラザール、僕らは少し外そうか」
「え?」
「彼等も多分、真名やらに関わる話をするんだろう。このヒトらが追っているものにはきっと、極力首を突っ込まない方がいい。命がいくつあっても足りなさそうだ」
「そ、そうなのか……?」
「そうだよ、ラザール。特に君はあの人らにはあんま関わらない方がいい」
「え、あっ、ちょっと……!」
やけに物分かりのいいアンセルムは、どことなく引っ掛かる言い方をしながら、ラザールをズルズルと引っ張ってそそくさと出口の方へ行ってしまった。そのアンセルムの言葉があながち間違いではない事に微妙な気分になりながら、ジョシュアは黙って二人の姿を見送る。
「それじゃあ、僕らはあの屋敷へ行っているから。話が終わって用事があるようなら、君らも来るといいよ」
「じゃ、じゃあまた後でな! 何と言うか……頑張れよ」
そんな捨て台詞を吐きながら、二人はこのボロ屋敷を出て行ってしまった。アンセルムは妙に勘が鋭い、ジョシュアはそのような印象を受けた。
自分だけならば兎も角、大事なラザールをジョシュア達に関わらせない為にさっさと出て行ってしまった、と。そんな気がして、ジョシュアはなんとも言えない気分を味わった。
しかも、ジョシュアすらミライア達と同じ戦闘狂の仲間だと思われたような気もした。それだけは非常に心外だった。自分はミライア達のようなバケモノとは違うんだと、追いかけてよっぽどそう主張してやりたい。けれどもちろん、そんな馬鹿な事をする暇なんてジョシュアにはない。
「――それで下僕、ここで一体何があった? 詳しく聞かせろ。あのヴィネアが出たというのは本当なのか?」
ジョシュアがくだらない事を考えていた時。早速ミライアがジョシュアへと問うた。それにハッとして思考を元に戻してから、ジョシュアは彼女へ何も隠す事なく仔細を語って聞かせた。
街を歩いていたところで、街の人間に乗り移ったヴィネアと遭遇し、誘われるがまま彼を探るべくこのボロ屋敷へと連れて来られた。ヴィネアはジョシュア達の探す吸血鬼の情報を持っていて、ジョシュア達に吸血鬼について教えると取引を持ち掛けて来た。
だが、もちろんそれが正当な取引で終わるはずもなくて。ヴィネアはこの場でジョシュアの真名へと繋がるような情報を、恐らくは引き出そうとした。間一髪のところ、それをヴェロニカの攻撃によって中断させたのだ、と。
「――それで、ヴェロニカがその場で脅してアイツを……」
「あら、脅すだなんて酷いですわ。戦略的な作戦と言って欲しいのよ」
「……ヴィネアはそれで撤退して、この場はどうにか収まった。その後は、さっき話した通りだ」
「ふむ……まぁ、そこまで情報を掴まれているなら仕方ないだろう。下僕、次に奴と対峙する時には、お前は名前が知られているという前提で動け。奴に負けない限りは、お前を従わせる事もできんはずだ」
「……ああ」
「唯一厄介なあの黒助は――、もうどうにもならんな。私がヤるしかないんだが……」
「うわぁ……」
そう言うと、ミライアは深刻そうに顔を歪めた。ずっと黙って話を聞いていたイライアスですら、ジョシュアのすぐ傍に立って嫌そうに囁いていた。
ミライアの言う通りだったのだ。名前が知られていて怖いのは、ヴィネアよりもむしろ、その黒づくめの吸血鬼によってジョシュアが従わされる事なのだ。
あの吸血鬼は恐らく、完全にヴィネアの手中にある。ミライアをすら翻弄するような戦力、そう簡単に手放すはずがなかった。
そんなのに本気で襲われれば、ジョシュアなぞは一溜りもない。二度もその攻撃を受け止めて身に染みた。あれは、少し鍛えただけではどうにもならない。そういう次元の強さだった。
「それをどうにかするしかないんだがな……お前が強くなれば、なんてそう単純な話でもないのだ」
「……そう、だな」
「元から戦闘の素質がないとああはならん。戦う為だけに吸血鬼になったような男だからな」
「あの……、その吸血鬼は、言ってしまえば貴女がたの手にすら負えないような者、という訳ですわね?」
「そうだ。……あんなのを手放しにしておいた我ら自身にも多少の責任はあろう……」
「いえ、そんなのは誰にも予測できなかった事ですわ。わたくし達も、副所長がやられていたのですから。……お互い様ですわ」
ヴェロニカも途中で加わりながら、その話は結局なんの進展もないまま終わった。
今回の遭遇でひとつ成果があった事と言えば、あの状態のヴィネアにも精神系の攻撃は効くという事だ。
だがしかしここで問題なのが。
「――あの魔族も言っていたように、現在は広く禁止された魔術に該当しますの。難易度も高いですし、一歩間違えれば相手を死ぬよりむごい状態にできますからね。……つまり、わたくしのような熱心な者しかそもそも扱えない代物ですのよ」
「……そんなものをヴェロニカは――」
「うるさいですわよジョシュア、わたくしは魔術を極めただけですの」
「昔からヴェロニカは――」
「黙りなさいジョーッシュ」
と、いう事だそうだ。つまりそう簡単には習得できない、おまけにきちんと扱える者すら珍しい魔術であるのだ。幸いにも、あらゆる魔術を極めたヴェロニカはどう練習したのか、ちゃんとコントロールもできるらしい。ジョシュアはそれ以上、深く突っ込まない事にした。
「ふむ……、やはり魔術師の協力は正解だ」
「ええもちろん、是非とも今後も頼って欲しいですわ。――ああそうそう、これはナザリオもできますから、彼を頼ってくれてもいいのですわ」
そう軽々と言ってのけたヴェロニカに、ジョシュアはしみじみと思うのである。つくづく、あのパーティに居た人間達は皆とんでもなかったのだと。改めて思い知らされた一日だった。
吸血鬼アンセルムがそう答えたのは、随分と長い時間考えた後での事だった。ラザールはそれを聞いた途端、パッと表情を明るくしてアンセルムを見返した。
ジョシュア達はそれを、ただ黙って聞くだけだった。
「それじゃ……」
ラザールの顔に安堵の笑みが浮かんでいる。
けれどもすぐ、アンセルムがそれに釘を刺すように言った。先程までとは違い、穏やかな微笑みをその顔に浮かべていた。
「うん。ただ、僕とはいくつか約束をしておくれ」
「約束?」
「そう。君の身を守る為でもある。……僕が本当におかしくなってしまって、君の手に負えないと思ったら僕からすぐに離れる事。それと、あの女帝達とはいつでも連絡が取れるようにする事。あの人が本気を出せば、僕なんか一捻りだろう」
アンセルムがそんな条件を出すと、ラザールは少しばかり不服そうに、しかししっかりとそれに頷いた。彼にも分かっているのだ。アンセルムがそうなってしまう可能性がゼロではない事を。だからこそ、互いに安全で居られる方法をとるのだ。
「うん、ヨシヨシ。……あと、君には僕の名前を教えておこうかな。……君以外誰にも言わないでくれるかい?」
「名前……? アンセルムじゃ、ないのか?」
「それはただの呼び名だ。真名は別にある。魔族は本当の名前に強く縛られる。だから普通は誰にも言わないんだよ。隷属させられてしまうかもしれないからね」
「隷属って……」
「そうだよ。だから普通は隠すんだ。決して他者には教えない。吸血鬼だって、それは例外じゃないんだ」
「……分かった。他には絶対言わない」
「うん。……でも、君が必要だと思ったら、他の人間や女帝達にも教えるといい」
「……絶対に言わない」
「ふふ……耳を貸して」
アンセルムがそう言ったかと思うと。わずかばかり背の低いラザールの耳元で、アンセルムが隠すようにそれをボソボソと呟いた。
その二人の姿はまるで、仲の良い本当の友人か何かのように見えて。ジョシュアはどことなく気恥ずかしく思えてくるのだった。
その後もしばらく、二人は小声で何かを話していた。ジョシュア達は少し遠くから、その姿を眺めている。
コソコソと何かを囁き合う様は、どうしてだか見てはいけないもののようにすら感じる。何故だか覗きをしている気分になる。そこでジョシュアは耐え切れなくなり、そっと視線を彼等から外した。
手持ち無沙汰にヴェロニカの方を見やる。例の男性を介抱しながらも、彼女は何故だか、口元をその手で覆っていた。驚きに口に手を当てる仕草にも見えたが、どことなく楽しそうな雰囲気を感じる。ジョシュアは再び見てはいけないものを見たような気がして、その視線をサッと逸らした。
こうして、ジョシュア達の捜索は無事に終わりを告げた。予想外にも戦闘すら行われず、平和的な解決へと至ったのである。ここの所はトラブル続きであったジョシュアからすれば、随分と呆気ない終わりだった。
ミライアとイライアスが合流したのは、それから半刻と経たない内だった。
「何だと……この男がそうなのか……?」
この事件の全容を知り、そんな事を言ったミライアはどこか不機嫌そうだった。きっと、やる気満々で街へとやって来たというのに、こんなにもあっさりと解決してしまって戦闘行為の消化不良というやつなのだろう。
彼女の纏う空気からからそこまで分かるようになってしまって、ジョシュアは顔を引き攣らせながらその場でこくりと頷いた。
そしてイライアスはと言えば、そんなジョシュアの隣に立ってジッと黙ったまま様子を窺っている。やはり見知らぬ吸血鬼が居るからなのだろう。彼は普段よりも大変静かだった。
「ああ、貴女様があの……、僕の事はアンセルムとでも呼んでください」
当人を目の前にして、流石に女帝とは呼べなかったようだ。適当に誤魔化しながら、ミライアの前でアンセルムが軽く頭を下げていた。
「アンセルムか。私の事は、そうだな……ミライアとでも呼べ」
「ええ、分かりました」
そうして告げられたその名前に、ジョシュアも、そしてイライアスですら驚く事になった。
彼女のその名前は、吸血鬼の中でも一部の者にしか教えないようなものなのだ。ミライアの名前を伝えると言う事はつまり、彼女はこれ以降、アンセルムの面倒を見るつもりであるのだろうと。
何も知らない人間達は、ミライアという呼び方もその他様々に呼ばれる彼女の名前の内のひとつとしか認識しないのだろう。けれども、ジョシュア達にとってのその名は、少しばかり重要な意味を持っているのである。
そう驚く二人をよそに、ミライアは何事もなかったかのように話を続けた。
「ラザール」
「はい」
「この件、くれぐれも表に出してはくれるなよ。この下僕も説明しただろうが、我ら吸血鬼は広く知られる事は好かんのだ。今まで通り、多くの者には知られずにいたい」
「はいもちろん、それは承知してます。俺も、彼には不自由はさせたくないです、今まで通り自由でいてほしい。そう思ってます」
ミライアの忠告に対して、ラザールはにっこりとはにかむような笑みでそう応えた。アンセルムと共に居れてそんなに嬉しいのだろうか。ミライアはそれを見て一瞬固まった後で、ならば良い、なんて短く返事を返してやっていた。
それからミライアの話は、ジョシュア達の方へと移った。
「下僕、先程の話だ。ヴィネアの奴は何と言っていた……?」
「えっ、下僕……?」
「アンセルム、そこは突っ込んじゃダメだ、彼等にもきっと何か事情が――」
「……」
ミライアが言った途端にだった。コソコソとあの二人が囁き合う声が聞こえてきて、ジョシュアは非常に気が散った。
下僕と呼ばれて久しかったが、改めて問われると確かに奇妙なものだ。下僕と呼ばれるような事情とは一体、何なのだろうかと。少なくともジョシュアには思い浮かばなかった。
彼らを気にしないようにしながら、ヴィネアの行動をミライアへと伝える。話している内に、ラザール達の小声もいつの間にか気にならないようになっていった。
「……そこのアンセルムの始末をと言われて、それから――」
「それから、何だ?」
一度そこで言葉を切り、ジョシュアはラザール達の方をチラリと窺った。ここから先の話はジョシュアの正体に関わるものになる。元ハンターで、ジョシュアという真名を持つ男。それをここで知られていいものか、ジョシュアにはすぐ判断ができなかったのだ。
もちろん、彼等が決して悪いヒトではない事をジョシュアは知っている。この話を聞いたところで彼等が何かする訳ではないだろうけれども。それでもやはり、少しだけ躊躇してしまう。何せジョシュアは、この場で最も弱い吸血鬼には違いないのだから。
ジョシュアがそこまで考えていた時だ。不意に、アンセルムがいち早く理解したような声で呟いた。
「ああ、そういう……ラザール、僕らは少し外そうか」
「え?」
「彼等も多分、真名やらに関わる話をするんだろう。このヒトらが追っているものにはきっと、極力首を突っ込まない方がいい。命がいくつあっても足りなさそうだ」
「そ、そうなのか……?」
「そうだよ、ラザール。特に君はあの人らにはあんま関わらない方がいい」
「え、あっ、ちょっと……!」
やけに物分かりのいいアンセルムは、どことなく引っ掛かる言い方をしながら、ラザールをズルズルと引っ張ってそそくさと出口の方へ行ってしまった。そのアンセルムの言葉があながち間違いではない事に微妙な気分になりながら、ジョシュアは黙って二人の姿を見送る。
「それじゃあ、僕らはあの屋敷へ行っているから。話が終わって用事があるようなら、君らも来るといいよ」
「じゃ、じゃあまた後でな! 何と言うか……頑張れよ」
そんな捨て台詞を吐きながら、二人はこのボロ屋敷を出て行ってしまった。アンセルムは妙に勘が鋭い、ジョシュアはそのような印象を受けた。
自分だけならば兎も角、大事なラザールをジョシュア達に関わらせない為にさっさと出て行ってしまった、と。そんな気がして、ジョシュアはなんとも言えない気分を味わった。
しかも、ジョシュアすらミライア達と同じ戦闘狂の仲間だと思われたような気もした。それだけは非常に心外だった。自分はミライア達のようなバケモノとは違うんだと、追いかけてよっぽどそう主張してやりたい。けれどもちろん、そんな馬鹿な事をする暇なんてジョシュアにはない。
「――それで下僕、ここで一体何があった? 詳しく聞かせろ。あのヴィネアが出たというのは本当なのか?」
ジョシュアがくだらない事を考えていた時。早速ミライアがジョシュアへと問うた。それにハッとして思考を元に戻してから、ジョシュアは彼女へ何も隠す事なく仔細を語って聞かせた。
街を歩いていたところで、街の人間に乗り移ったヴィネアと遭遇し、誘われるがまま彼を探るべくこのボロ屋敷へと連れて来られた。ヴィネアはジョシュア達の探す吸血鬼の情報を持っていて、ジョシュア達に吸血鬼について教えると取引を持ち掛けて来た。
だが、もちろんそれが正当な取引で終わるはずもなくて。ヴィネアはこの場でジョシュアの真名へと繋がるような情報を、恐らくは引き出そうとした。間一髪のところ、それをヴェロニカの攻撃によって中断させたのだ、と。
「――それで、ヴェロニカがその場で脅してアイツを……」
「あら、脅すだなんて酷いですわ。戦略的な作戦と言って欲しいのよ」
「……ヴィネアはそれで撤退して、この場はどうにか収まった。その後は、さっき話した通りだ」
「ふむ……まぁ、そこまで情報を掴まれているなら仕方ないだろう。下僕、次に奴と対峙する時には、お前は名前が知られているという前提で動け。奴に負けない限りは、お前を従わせる事もできんはずだ」
「……ああ」
「唯一厄介なあの黒助は――、もうどうにもならんな。私がヤるしかないんだが……」
「うわぁ……」
そう言うと、ミライアは深刻そうに顔を歪めた。ずっと黙って話を聞いていたイライアスですら、ジョシュアのすぐ傍に立って嫌そうに囁いていた。
ミライアの言う通りだったのだ。名前が知られていて怖いのは、ヴィネアよりもむしろ、その黒づくめの吸血鬼によってジョシュアが従わされる事なのだ。
あの吸血鬼は恐らく、完全にヴィネアの手中にある。ミライアをすら翻弄するような戦力、そう簡単に手放すはずがなかった。
そんなのに本気で襲われれば、ジョシュアなぞは一溜りもない。二度もその攻撃を受け止めて身に染みた。あれは、少し鍛えただけではどうにもならない。そういう次元の強さだった。
「それをどうにかするしかないんだがな……お前が強くなれば、なんてそう単純な話でもないのだ」
「……そう、だな」
「元から戦闘の素質がないとああはならん。戦う為だけに吸血鬼になったような男だからな」
「あの……、その吸血鬼は、言ってしまえば貴女がたの手にすら負えないような者、という訳ですわね?」
「そうだ。……あんなのを手放しにしておいた我ら自身にも多少の責任はあろう……」
「いえ、そんなのは誰にも予測できなかった事ですわ。わたくし達も、副所長がやられていたのですから。……お互い様ですわ」
ヴェロニカも途中で加わりながら、その話は結局なんの進展もないまま終わった。
今回の遭遇でひとつ成果があった事と言えば、あの状態のヴィネアにも精神系の攻撃は効くという事だ。
だがしかしここで問題なのが。
「――あの魔族も言っていたように、現在は広く禁止された魔術に該当しますの。難易度も高いですし、一歩間違えれば相手を死ぬよりむごい状態にできますからね。……つまり、わたくしのような熱心な者しかそもそも扱えない代物ですのよ」
「……そんなものをヴェロニカは――」
「うるさいですわよジョシュア、わたくしは魔術を極めただけですの」
「昔からヴェロニカは――」
「黙りなさいジョーッシュ」
と、いう事だそうだ。つまりそう簡単には習得できない、おまけにきちんと扱える者すら珍しい魔術であるのだ。幸いにも、あらゆる魔術を極めたヴェロニカはどう練習したのか、ちゃんとコントロールもできるらしい。ジョシュアはそれ以上、深く突っ込まない事にした。
「ふむ……、やはり魔術師の協力は正解だ」
「ええもちろん、是非とも今後も頼って欲しいですわ。――ああそうそう、これはナザリオもできますから、彼を頼ってくれてもいいのですわ」
そう軽々と言ってのけたヴェロニカに、ジョシュアはしみじみと思うのである。つくづく、あのパーティに居た人間達は皆とんでもなかったのだと。改めて思い知らされた一日だった。
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