72 / 106
黄昏の吸血鬼
71.狂った吸血鬼
しおりを挟む
誘い込まれた屋敷の中で、ジョシュアはその場から動けずにいた。気配が去ってホッとしたのか、立ち上がろうとしても力が入らない。
「ゲオルグ、その……平気か?」
一部始終を見てしまったラザールが、そう言ってジョシュアの肩に手を置く。気遣いはありがたいものではあったが。今はあまり話したい気分ではなかった。
「……平気だ。少しこうしてればまた動ける。ただ何もなくてホッとしたってだけだ」
「そうか……。何かあれば言ってくれよ? 俺はヴェロニカ様の方を手伝ってくる。操られてた男性をここから運び出さないと」
そう言って、ラザールはヴェロニカの方へ行ってしまう。
その背中を見ながらジョシュアは考える。彼には色々と聞かれてしまった。何かしら察しているのかもしれない。ここで何も聞かないでいてくれるのもありがたかったが、記憶についてはどうすべきか迷う所だった。
ラザールの在り方を見れば、悪用するようなタイプの人間ではないと言える。だが、万が一という事もある。
後でミライア達と相談しなければ。内心で決めながら、ジョシュアは片膝を立てるようにして、その場に腰を下ろした。その時だった。
突然、ジョシュアの目の前に音もなく、上からヒトが降ってきたのだ。
「マイスイートハート! 気配があったよ、居るんだろう⁉︎」
仰天しているジョシュアに背を向けながら綺麗に着地した男は、着地するなり訳のわからない事を叫び出した。
ジョシュアだけでない、ヴェロニカもラザールも、ポカンとした表情で男を見つめる。
「……あれ? 君らは彼の知り合いかい? 僕のスウィーティを見なかった? 可憐な一輪の白薔薇のようなヒトなんだ」
目の前のヴェロニカとラザールに気付いた男はそんな事を言った。彼は、ジョシュア達にはどうにも理解できないような言い回しをする。
「もしや……もう、彼はこの場に居ないのかい?」
悲しそうな声でそんな事を言い出した男は、ゆっくりとヴェロニカ達の方へと近寄って行った。音をほとんど立てずに歩くその静かな動作は、誰かを彷彿とさせるようなものだった。
ここでようやく我に返ったジョシュアは、目の前の男について、一つの可能性に思い至る。
先程あの魔族は、この街の吸血鬼にたどり着くためのヒントをジョシュア達へと与えた。
――飾り立てようとしたり目の前で歌い出したり――
その吸血鬼アンセルムという男は、話を聞くにヴィネアを大層気に入っていた。それがヴィネアの魅了の魔力によるものだったとしても、魅了された人間の行う行動自体は、本人の思考に依存しているはず。元からそういう突飛な事をしでかすような吸血鬼に違いない。
そう考えると、目の前の男のそれは条件にも合致している。であるならば。この男こそが、ジョシュア達の探していた吸血鬼なのではないだろうか。ジョシュアはそう思い立った。
「ああっ! どうして君はそんなにもつれないんだい……! 僕は君の一部を感じ取ったらいつでもこうして――」
「アンタ、アンセルムか?」
「!」
そうジョシュアが背後から問いかけると、上から降ってきたその男は、勢いよくジョシュアの方を振り返った。
線の細い、けれども背の高い、綺麗な顔立ちの男だった。ウェーブがかった黒髪に異様なほど白い肌。人間が吸血鬼と聞いて真っ先に思い浮かぶような姿の、色気のある男だった。この街に沢山いる役者のひとりだと、そう言われても違和感はない。
何百年と生きた吸血鬼。きっとそれは間違いない。男の雰囲気にイライアスにも近いものを感じ取ったジョシュアは、気を引き締めながら彼を見上げた。
男は、どこかキョトンとした表情でジョシュアを見つめていた。
「なんだ、そこにもヒトがいたのか……君はどうして僕の名前を知っているんだい」
小首を傾げ、不思議そうな顔で男は問うた。争い事とは無縁そうな、無邪気な子供のような男だとジョシュアは思った。
「ヴィネアと名乗る魔族に聞いた。アンタ、吸血鬼なんだろう?」
「彼が……そうかい。そう、僕がアンセルムだ。君も同じ吸血鬼だろう? なぜわざわざそんな分かりきった事を聞くんだい?」
眉間に皺を寄せながら男は言った。
ここでジョシュアが妙な事を言えば、この男と戦う羽目になる可能性がある。ここには今ミライアもイライアスも居ない。ジョシュアもこんな状態では動けるかも分からない。それだけは避けなければならなかった。
慎重に言葉を選びながら、ジョシュアは男の問いに答えた。
「アンタを探してた。そこにいる、ラザールという男に見覚えはないか?」
「……ラザー、ル――?」
その名前に引っ掛かるものがあったのだろう。吸血鬼アンセルムは、ジョシュアの言葉に従うようにラザールの方を見た。
そして、彼がラザールを目にした途端、小さく息を呑むような音が聞こえた。
「なんで一緒に……」
その言葉にはどうしてだか、悲しみのような感情が乗っているようにジョシュアには思われた。ハンターだと分かっている相手になぜ、そんな感情を向けるのだろうか。ジョシュアにもそれが、分かりそうで分からなかった。
「色々あったんだ。ラザールが記憶を消された事に気付いて、俺達が協力する事になった。吸血鬼が関わっているだろうと見込んでだ。……アンタこそどうして、――」
そんな悲しそうな声で言うのだろうか。言おうとした言葉は続かなかった。
突然立ち上がったラザールが、興奮したように声を上げたのだ。
「アンセルム……、そう、あんたがアンセルムだ! ひと月前にこの街で会った――!」
そう言い終わるや否や、ラザールは大股でアンセルムに近付く。咄嗟にその場から後ずさろうとしていたが、アンセルムはその場でラザールに捕まってしまった。肩を両手で掴まれて向き合う形になる。それでも、アンセルムは振り解こうという素振りは見せなかった。
「アンセルム、アンタ吸血鬼だったんだな」
「……っ、何で、君は吸血鬼が存在するって知ってるんだい? 僕と話した時は知らなかったじゃないか……」
「それは、今そこにいる吸血鬼に聞いた。俺が記憶を消されたんだろうって事も」
「……」
「なぁ、どうして、人攫いなんてそんな事を……? 薄らと思い出したけど、アンタはそういう事をするような奴じゃないって、俺思ってたんだ」
「!」
「まぁもちろん、俺から声を掛けた時は疑ってたけど……だから、今はそうなってしまった理由が知りたい」
そんな彼らのやりとりを、ジョシュア達は黙って聞いていた。この件は最初から妙だった。ミライアにも存在を知られず、今までずっと静かにこの街で暮らして来たと言う話だったのに。何故、今になってこの吸血鬼はボロを出し続けているのだろうか。
ヴィネアの魅了に掛かってしまっていたとはいえ、その行動は自主的なものであって縛られてはいないはず。ならば一体、どうして。
「僕は……」
「ああ」
「僕は、この街が好きだ。街を歩く時の景色も、街を歩くだけで聞こえてくる音楽もみんな、僕の荒んだ心を癒してくれる。時々嫌な事もあるけど、彼らの芸術が僕を慰めてくれるんだ。だから、この街の人間たちの事も気に入っていたんだ」
「……うん」
「けど……、あの方が来てから、僕は僕の衝動を抑えられない事が多くなった。言われた事はやってあげたくて仕方ないし、贈りものを送って好かれたいとまで思うようになって……、それであの日、僕、あのひとを――」
そう言うとアンセルムは、震える両手で自分の顔を覆った。俯き加減になりながら、吐露するように言葉を吐き出していく。
「綺麗で明るい女性だった。女流役者になる、って……子供の頃からいつも頑張っている子だったんだ。僕も気に入ってて、ずっと見守ってたんだ。劇場に誘われたから付いて行った。何の違和感もないように、過剰なほど魅了をかけた。終わる前に少しでも幸福になれるようにって、それで――」
そこで一度、話は途切れた。
苦しそうに押し殺したような彼の声音に、誰も何も言えなかった。
「……」
「気付いたら僕は、ヴィネア様に彼女を差し出していた。ほとんど何もしないで生きたまま眠らせて、あの方に渡した。あの方も多分、僕らと同じような力があるのだと思った。だから、僕が一番好きだと思う、ものを――」
「もういい! ……分かった、もう、十分だ……」
話の途中で突然、ラザールが止めるように声を張り上げた。この時にはもうラザールも前を向いていられず、俯き加減に顔をひどく歪めている。ジョシュアの目には少し、泣いているようにも見えた。
だが、アンセルムは止まらなかった。顔を上げてラザールの肩に右手を置きながらその続きを話す。穏やかな口調だった。
「ダメだよ。これは僕の懺悔であって贖罪だ。君らを呼び寄せたのも僕自身なんだから」
「……」
「ラザール、あの日ハンターである君がこの街に来てくれた時、僕はチャンスだと思ったんだ」
「チャンス……?」
「そう。狂った吸血鬼を殺してくれるのは、君らハンターだろうと」
「!」
「他の吸血鬼――とりわけ始末屋をしている女帝に殺されるんでも良かったけど、……どうせなら人間がいいと思ってね。君らにわざと情報を流した。結果はご覧の通り。大成功だ。……その女帝も何故だか付いてきちゃったけど。本気で隠れた僕を探し出すのは彼女にも無理だ。僕は、ラザールを目印に自分から姿を現せばいい。記憶の消し方を甘くした。君はきっと、この討伐に駆り出されるだろうから……」
アンセルムのその台詞に、ジョシュアはようやく合点がいった。謎だったものが繋がった。全てはやはり、あのヴィネア達が引き起こしたものだったのだ。元凶は案の定奴らだった。
そう思うとますます、あの日殺せなかった事が悔やまれる。何も出来なかった事が悔しくて、ギリリを両手を握った。あの首を絞めた感覚が、未だその手には残っていた。
そして、そのようなジョシュアの思考をよそに、ラザールはアンセルムに向かって言う。
「アンセルム」
「何だい、ラザール」
「俺は、アンタを殺したくない」
「ダメだよ。僕はヴィネア様の手先なんだから、ここで始末をつけないと――」
「そのヴィネアとやらは、アンタの始末を俺達に依頼しようとした」
「……そうかい」
「だからアンタは今後、あの野郎に目を付けられる事はない」
「……」
「街の人間に手を出してしまって後悔しているなら、他の街へ行けばいい」
「っけど、僕は吸血鬼で、また他所で――」
「何なら俺と来ればいい!」
アンセルムの言葉を遮るように、ラザールはそう吼えた。何がラザールをそうまでさせるのか、ジョシュアには分からなかったけれど。そこにはきっと、二人にしか分からない何かがあるのだろう。そんな事を思った。
「!」
「吸血鬼の人達と一緒に数日旅をした。俺は全く気付かなかったぞ、あの人らがそうだなんて。少し、血を飲むくらいでいいと聞いた」
「……」
「他の人間から貰うのが怖ければ俺のを飲めばいい。それなら、アンタが死ぬ理由はないだろ? ――この街の人間達が好きなんだろ? たまに来ようぜ……なあ、アンセルム、頼むよ……」
最後は、ラザールがほとんど懇願するような言葉だった。それっきり、その場はシンと静まり返ったのだった。
「ゲオルグ、その……平気か?」
一部始終を見てしまったラザールが、そう言ってジョシュアの肩に手を置く。気遣いはありがたいものではあったが。今はあまり話したい気分ではなかった。
「……平気だ。少しこうしてればまた動ける。ただ何もなくてホッとしたってだけだ」
「そうか……。何かあれば言ってくれよ? 俺はヴェロニカ様の方を手伝ってくる。操られてた男性をここから運び出さないと」
そう言って、ラザールはヴェロニカの方へ行ってしまう。
その背中を見ながらジョシュアは考える。彼には色々と聞かれてしまった。何かしら察しているのかもしれない。ここで何も聞かないでいてくれるのもありがたかったが、記憶についてはどうすべきか迷う所だった。
ラザールの在り方を見れば、悪用するようなタイプの人間ではないと言える。だが、万が一という事もある。
後でミライア達と相談しなければ。内心で決めながら、ジョシュアは片膝を立てるようにして、その場に腰を下ろした。その時だった。
突然、ジョシュアの目の前に音もなく、上からヒトが降ってきたのだ。
「マイスイートハート! 気配があったよ、居るんだろう⁉︎」
仰天しているジョシュアに背を向けながら綺麗に着地した男は、着地するなり訳のわからない事を叫び出した。
ジョシュアだけでない、ヴェロニカもラザールも、ポカンとした表情で男を見つめる。
「……あれ? 君らは彼の知り合いかい? 僕のスウィーティを見なかった? 可憐な一輪の白薔薇のようなヒトなんだ」
目の前のヴェロニカとラザールに気付いた男はそんな事を言った。彼は、ジョシュア達にはどうにも理解できないような言い回しをする。
「もしや……もう、彼はこの場に居ないのかい?」
悲しそうな声でそんな事を言い出した男は、ゆっくりとヴェロニカ達の方へと近寄って行った。音をほとんど立てずに歩くその静かな動作は、誰かを彷彿とさせるようなものだった。
ここでようやく我に返ったジョシュアは、目の前の男について、一つの可能性に思い至る。
先程あの魔族は、この街の吸血鬼にたどり着くためのヒントをジョシュア達へと与えた。
――飾り立てようとしたり目の前で歌い出したり――
その吸血鬼アンセルムという男は、話を聞くにヴィネアを大層気に入っていた。それがヴィネアの魅了の魔力によるものだったとしても、魅了された人間の行う行動自体は、本人の思考に依存しているはず。元からそういう突飛な事をしでかすような吸血鬼に違いない。
そう考えると、目の前の男のそれは条件にも合致している。であるならば。この男こそが、ジョシュア達の探していた吸血鬼なのではないだろうか。ジョシュアはそう思い立った。
「ああっ! どうして君はそんなにもつれないんだい……! 僕は君の一部を感じ取ったらいつでもこうして――」
「アンタ、アンセルムか?」
「!」
そうジョシュアが背後から問いかけると、上から降ってきたその男は、勢いよくジョシュアの方を振り返った。
線の細い、けれども背の高い、綺麗な顔立ちの男だった。ウェーブがかった黒髪に異様なほど白い肌。人間が吸血鬼と聞いて真っ先に思い浮かぶような姿の、色気のある男だった。この街に沢山いる役者のひとりだと、そう言われても違和感はない。
何百年と生きた吸血鬼。きっとそれは間違いない。男の雰囲気にイライアスにも近いものを感じ取ったジョシュアは、気を引き締めながら彼を見上げた。
男は、どこかキョトンとした表情でジョシュアを見つめていた。
「なんだ、そこにもヒトがいたのか……君はどうして僕の名前を知っているんだい」
小首を傾げ、不思議そうな顔で男は問うた。争い事とは無縁そうな、無邪気な子供のような男だとジョシュアは思った。
「ヴィネアと名乗る魔族に聞いた。アンタ、吸血鬼なんだろう?」
「彼が……そうかい。そう、僕がアンセルムだ。君も同じ吸血鬼だろう? なぜわざわざそんな分かりきった事を聞くんだい?」
眉間に皺を寄せながら男は言った。
ここでジョシュアが妙な事を言えば、この男と戦う羽目になる可能性がある。ここには今ミライアもイライアスも居ない。ジョシュアもこんな状態では動けるかも分からない。それだけは避けなければならなかった。
慎重に言葉を選びながら、ジョシュアは男の問いに答えた。
「アンタを探してた。そこにいる、ラザールという男に見覚えはないか?」
「……ラザー、ル――?」
その名前に引っ掛かるものがあったのだろう。吸血鬼アンセルムは、ジョシュアの言葉に従うようにラザールの方を見た。
そして、彼がラザールを目にした途端、小さく息を呑むような音が聞こえた。
「なんで一緒に……」
その言葉にはどうしてだか、悲しみのような感情が乗っているようにジョシュアには思われた。ハンターだと分かっている相手になぜ、そんな感情を向けるのだろうか。ジョシュアにもそれが、分かりそうで分からなかった。
「色々あったんだ。ラザールが記憶を消された事に気付いて、俺達が協力する事になった。吸血鬼が関わっているだろうと見込んでだ。……アンタこそどうして、――」
そんな悲しそうな声で言うのだろうか。言おうとした言葉は続かなかった。
突然立ち上がったラザールが、興奮したように声を上げたのだ。
「アンセルム……、そう、あんたがアンセルムだ! ひと月前にこの街で会った――!」
そう言い終わるや否や、ラザールは大股でアンセルムに近付く。咄嗟にその場から後ずさろうとしていたが、アンセルムはその場でラザールに捕まってしまった。肩を両手で掴まれて向き合う形になる。それでも、アンセルムは振り解こうという素振りは見せなかった。
「アンセルム、アンタ吸血鬼だったんだな」
「……っ、何で、君は吸血鬼が存在するって知ってるんだい? 僕と話した時は知らなかったじゃないか……」
「それは、今そこにいる吸血鬼に聞いた。俺が記憶を消されたんだろうって事も」
「……」
「なぁ、どうして、人攫いなんてそんな事を……? 薄らと思い出したけど、アンタはそういう事をするような奴じゃないって、俺思ってたんだ」
「!」
「まぁもちろん、俺から声を掛けた時は疑ってたけど……だから、今はそうなってしまった理由が知りたい」
そんな彼らのやりとりを、ジョシュア達は黙って聞いていた。この件は最初から妙だった。ミライアにも存在を知られず、今までずっと静かにこの街で暮らして来たと言う話だったのに。何故、今になってこの吸血鬼はボロを出し続けているのだろうか。
ヴィネアの魅了に掛かってしまっていたとはいえ、その行動は自主的なものであって縛られてはいないはず。ならば一体、どうして。
「僕は……」
「ああ」
「僕は、この街が好きだ。街を歩く時の景色も、街を歩くだけで聞こえてくる音楽もみんな、僕の荒んだ心を癒してくれる。時々嫌な事もあるけど、彼らの芸術が僕を慰めてくれるんだ。だから、この街の人間たちの事も気に入っていたんだ」
「……うん」
「けど……、あの方が来てから、僕は僕の衝動を抑えられない事が多くなった。言われた事はやってあげたくて仕方ないし、贈りものを送って好かれたいとまで思うようになって……、それであの日、僕、あのひとを――」
そう言うとアンセルムは、震える両手で自分の顔を覆った。俯き加減になりながら、吐露するように言葉を吐き出していく。
「綺麗で明るい女性だった。女流役者になる、って……子供の頃からいつも頑張っている子だったんだ。僕も気に入ってて、ずっと見守ってたんだ。劇場に誘われたから付いて行った。何の違和感もないように、過剰なほど魅了をかけた。終わる前に少しでも幸福になれるようにって、それで――」
そこで一度、話は途切れた。
苦しそうに押し殺したような彼の声音に、誰も何も言えなかった。
「……」
「気付いたら僕は、ヴィネア様に彼女を差し出していた。ほとんど何もしないで生きたまま眠らせて、あの方に渡した。あの方も多分、僕らと同じような力があるのだと思った。だから、僕が一番好きだと思う、ものを――」
「もういい! ……分かった、もう、十分だ……」
話の途中で突然、ラザールが止めるように声を張り上げた。この時にはもうラザールも前を向いていられず、俯き加減に顔をひどく歪めている。ジョシュアの目には少し、泣いているようにも見えた。
だが、アンセルムは止まらなかった。顔を上げてラザールの肩に右手を置きながらその続きを話す。穏やかな口調だった。
「ダメだよ。これは僕の懺悔であって贖罪だ。君らを呼び寄せたのも僕自身なんだから」
「……」
「ラザール、あの日ハンターである君がこの街に来てくれた時、僕はチャンスだと思ったんだ」
「チャンス……?」
「そう。狂った吸血鬼を殺してくれるのは、君らハンターだろうと」
「!」
「他の吸血鬼――とりわけ始末屋をしている女帝に殺されるんでも良かったけど、……どうせなら人間がいいと思ってね。君らにわざと情報を流した。結果はご覧の通り。大成功だ。……その女帝も何故だか付いてきちゃったけど。本気で隠れた僕を探し出すのは彼女にも無理だ。僕は、ラザールを目印に自分から姿を現せばいい。記憶の消し方を甘くした。君はきっと、この討伐に駆り出されるだろうから……」
アンセルムのその台詞に、ジョシュアはようやく合点がいった。謎だったものが繋がった。全てはやはり、あのヴィネア達が引き起こしたものだったのだ。元凶は案の定奴らだった。
そう思うとますます、あの日殺せなかった事が悔やまれる。何も出来なかった事が悔しくて、ギリリを両手を握った。あの首を絞めた感覚が、未だその手には残っていた。
そして、そのようなジョシュアの思考をよそに、ラザールはアンセルムに向かって言う。
「アンセルム」
「何だい、ラザール」
「俺は、アンタを殺したくない」
「ダメだよ。僕はヴィネア様の手先なんだから、ここで始末をつけないと――」
「そのヴィネアとやらは、アンタの始末を俺達に依頼しようとした」
「……そうかい」
「だからアンタは今後、あの野郎に目を付けられる事はない」
「……」
「街の人間に手を出してしまって後悔しているなら、他の街へ行けばいい」
「っけど、僕は吸血鬼で、また他所で――」
「何なら俺と来ればいい!」
アンセルムの言葉を遮るように、ラザールはそう吼えた。何がラザールをそうまでさせるのか、ジョシュアには分からなかったけれど。そこにはきっと、二人にしか分からない何かがあるのだろう。そんな事を思った。
「!」
「吸血鬼の人達と一緒に数日旅をした。俺は全く気付かなかったぞ、あの人らがそうだなんて。少し、血を飲むくらいでいいと聞いた」
「……」
「他の人間から貰うのが怖ければ俺のを飲めばいい。それなら、アンタが死ぬ理由はないだろ? ――この街の人間達が好きなんだろ? たまに来ようぜ……なあ、アンセルム、頼むよ……」
最後は、ラザールがほとんど懇願するような言葉だった。それっきり、その場はシンと静まり返ったのだった。
0
お気に入りに追加
79
あなたにおすすめの小説
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる