我が身は死人の世界

一ノ清たつみ(元しばいぬ)

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黄昏の吸血鬼

65.A級ハンターのゲオルグ

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 大変不本意な流れとなった、ハンターギルドでの会談後の事だった。ミライアの部屋中に大きな声が響いた。

「はぁ!? 何でアレと“影の”が同室なのさ!」
「仕方ないだろうが。早々に吸血鬼だとバレるのもコトだ。知られるにしても、奴の様子を見てからにしたい。ならば、こ奴を同室にするのが一番怪しまれにくい。お前にも分かるだろうが」
「うぐ……でも、」
「貴様も少しは我慢を覚えろ。そして子供のような反応はいい加減にやめろ」

 悔しそうに顔を歪めるイライアスに向かって、ミライアはひどく煩わしそうに言い放った。イライアスが文句を垂れているのは、彼らの部屋割りについてだ。

 先の会談により、急遽ラザールというハンターを保護する事となった。しかし、事情が事情なだけに保護する人員はそれなりに実力のある者でなければならない。

 相手は吸血鬼である可能性が非常に高く、しかも最悪の場合、敵が組織だっていてもおかしくはない。
 となれば、カードとして最も有効なのは、吸血鬼組がその身柄を預かる事。それが確実で、万が一の場合も対処が楽にできる。結果として急ではあるがミライア、ジョシュア、イライアス達にラザールという男が預けられる事となった。

 そしてここで問題となったのが、そのラザールの傍に誰が付くかという問題である。ミライアやイライアスでも良かったのだが、ラザールは勿論、彼らが吸血鬼である事を知らない。
 彼に吸血鬼であるという説明しても良かったのかもしれないが、それをミライアが嫌がったのだ。

――突然現れた人間に、そう易々と教えるバカが何処にいる。

 もっともな意見だった。後々はラザールへも教えるにしろ、リスクは少ない方が良い。
 今はきっとその時ではないのだろう。知らない方が上手くいく物事だって多いのを、ジョシュアだって知っている。内心で複雑な気分になりながら、ミライアの決定に従う。

 そのような訳で、吸血鬼である事を隠しながらしばらくは様子見をする事になったのであるが。
 ミライアは、ラザールと行動を共にする役目をジョシュアに任せると言ったのである。ハンターギルド内部の事情については、つい最近まで現役だったジョシュアが一番詳しく、そして人間のフリをするのには最も適している。

 ジョシュアだって別に、その役目には否やもなかったのであるが。真っ先に反対したのはイライアスだった。
 きっと、彼が嫌だという理由なんてのはひどく個人的なそれなのだろうけれども。

「姐さんが俺の気持ちを軽んじてる……」
「阿呆めが。我らの義務に感情も糞もあるわけなかろう。ただ実行するだけだ」
「鬼……」
「なんとでも言え。お前に言われても痛くも痒くもない。――おい、下僕」

 それを呆れたように傍観していたジョシュアだったが、突然ミライアに呼ばれて顔を向ける。すると彼女は、ジョシュアに向かって言ったのである。

「聞いていたろう? あの男と行動を共にしろ。気付く事があればすぐに言え。……だが念のため、あ奴の前では声を出せないフリでもしていろ」
「声が出ないフリ? どうしてだ?」
「その方が色々と聞かれずに済む。お前も、答えに窮するような質問は面倒だろうが」
「……成る程」
「困ったら、最近パーティに入ったばかりだからよく知らない、で押し通せ。お前のその仏頂面が役に立つ」
「分か、った」

 ミライアの言葉に引っかかりを覚えながらもしかし、ジョシュアは素直に従った。少しばかり悪く言われているような気もしたが、今は子供に逃げられるような目付きに感謝するばかりだ。

「それとこの際だ。口元を覆っているそれは付けたまま過ごす事に慣れておけ。しばらくはあのヴェロニカとか言う女ハンターとも行動を共にせねばならん」
「……」
「この馬鹿に聞いただろう? 血の相性というものは我々にはどうする事もできん。精神的に安定していれば酷くならずに済むとは聞くが……本当は、お前にこの件から離れていて貰いたい位だからな」
「っそれは――」
「嫌だと言うんだろう? 私もお前無しでは厳しいところがある。……ならばお前には多少我慢してもらう他ない。とにかく、その格好にもあの女ハンターの匂いにも慣れろ。そこの馬鹿のようにな」
「待って……姐さん最近俺の事馬鹿とか阿呆としか呼んでなくない? 俺だって今回頑張ってるのに酷くない? ねぇちょっと……」
「自分の胸に手を当ててからモノを言え」
「何でさ! 俺だって――――、――――――‼︎」

 そんないつも通りの二人を見ながら、ジョシュアはこっそりとため息を吐いた。
 エレナの一件から始まり、再びハンターにする事になったり、ヴェロニカの血で酔ってしまったり、ハンターを護衛する役目を貰ったりと、ここ最近は特に目まぐるしく状況が変わる。

 人間だった数ヶ月前と比べるとそれは雲泥の差で、ジョシュアは何とも奇妙な心地を覚えた。まるで最初から自分はこうなってしまう運命で、人間に戻りたいという気持ちを起こさせないよう、あのような退屈で辛い日々を送らされていたのではないか。そんな妄言を言ってしまいそうにもなる。

 神だなんてものは到底信じてもいなかったが、余りの差分に運命的な何かを信じてしまいそうになる。不安な時は何かに縋りたくなるというが。きっと最初に宗教を起こした人間は、こういう気分になった経験が何度もあったのだろう。そんな妄想に耽る。
 ジョシュアが何を考えようが、吸血鬼達の話し合いは続いていくし、状況は次々と変化していく。


「――余りに待たせるのも不信感を煽るか……、おい、早速行ってこい下僕。あの男にはハンターとして登録した“ゲオルグ”の名を教えておけ」
「分かった」
「聞かれた事は可能な限り答えてやれ。あの男にもいつか吸血鬼について教えざるを得んだろうが……ただ、少しずつだ。向こうが気付くまでは待つ。妙な行動を起こしたら、我々に関する記憶を消せばいい。――兎に角、慎重にやれよ」
「……ああ」
「あーああ、邪魔も無くなってようやくーと思ったのに……」

 散々念押しをされながら、ジョシュアはラザールの待つ部屋へと向かった。イライアスは最後まで不服そうだったが、結局はミライアの一喝で大人しくなった。
 なんだかんだとミライアの言う事は聞くイライアスは、確かにジョシュアの兄弟子のようなものにあたるのだろう。そう思うと、どこか不思議な気分になった。

 部屋を出て、すぐ隣の部屋へと向かう。緊張でもしているのか、扉の前で一呼吸を置いてから扉をノックした。
 元々はジョシュアとイライアスの為にとあてがわれていた部屋へ、こうして伺いを立てるは少しばかり不思議な気分だった。

「――どうぞ」

 今日聞いたばかりの声が返事をした。遠慮なく部屋の扉を開けると、並列して並べられたベッドのひとつに男が座っているのが見えた。

 襟足から短く刈り上げられた茶髪に翡翠の目。ベッド横には大剣が立て掛けられている。傍目からも何処にでもいるいでたちのハンターである。
 体格はイライアス達よりは小さいものの、ジョシュアよりは大きい。ミライア達に彼が加われば益々、ジョシュアはまるで巨人の国に紛れ込んだ小人である。

 ジョシュアだって決して小さくはないはずで、一般人に紛れれば頭一つ分位は抜けるのだ。ただ、ハンターというのはいかんせん体が資本の世界であって、実力が体格に比例する場合も往々にしてある。そうではない、エレナやヴェロニカ、セナのような人間が異常なのである。

 ましてや、吸血鬼になると尚更で。長年生きているせいか、それともそういう者が吸血鬼になりやすいのか。自然と大きい人間の姿をとるのである。
 だが残念な事に、ジョシュアが今後そのようになれる見込みは薄いらしい。何でも、育ち切ってしまった体は吸血鬼になってもそう簡単に大きくはならないのだとかなんとか。全くもって人間のようである。
 どこの世も世知辛い。ジョシュアはそう思うしかなかった。

「アンタは……ずっとフードを被ってた人か?」

 ジョシュアが近付くと、ラザールは人好きのする笑みを浮かべ、立ち上がりながら手を差し出してきた。それに応えて握手を交わしながら首を縦に振る。
 ジョシュアはローブのフードを外し、彼の前に素顔を晒していた。彼は南の方の出身であり、ジョシュアの過ごしていた北の地方とは縁遠い事が分かっている。素性を知られる心配は少なかった。

「改めまして、俺はラザールです。アンタもハンター、だよな?」

 再度首を縦に振りながら、ミライアより渡されたハンターギルドの認識票タグを見せる。“ゲオルグ”、そして“A級”と書かれた真新しいタグだ。
 万年“C級”でしかなかったジョシュアという人間はとうとう、“ゲオルグ”という名前で“A級”としての権限を得たのである。
 人ではなくなってしばらく経つが、嬉しいやら呆気にとられるやら、今更ながら奇妙な心地がした。

 咄嗟にそんな事を考えたジョシュアに、ラザールから遠慮がちな質問が飛んだ。

「ゲオルグか。……その、嫌だったら答えてもらわなくて構わないんだが……声が出ない、のか?」

 成る程ミライアの作戦通りであった、なんて思いながらジョシュアはその問いの答えにと首を縦に振った。

 何かしらのハンディを抱える人間にはどうしたって、聞きにくい事は多い。そんな相手の気遣いを利用して、質問される前に相手に考えさせる訳だ。それは、本当に聞いても良い質問なのかどうかと。

 見事、ラザールもそれに引っかかってくれた訳であって、ジョシュアは少しばかりの罪悪感を覚えながら、宙に文字を描き出した。魔力による痕跡の可視化である。

 戦闘に使えるような魔術はからきしだったが、ジョシュアだってそれなりに扱えるのだ。
 人間だった頃は暇な時間が多かった事もあり、使えるものは何でも使う、と可能な限り様々な知識を仕入れたのが役に立った。そして結果として、空中に文字を描いて見せるような小技を幾つか使えるのだ。それが戦闘に役立った試しは一度もなかったが。
 器用貧乏、という言葉はまさに、ジョシュアにピッタリの言葉なのである。

『よろしく。書いて答えるから、何かあれば聞いてほしい』
「へぇ……そんな事できるのか。俺、魔術はからきしで。魔力がそもそもない。ゲオルグは、ハンターになって長いのか?」
『それなりに、だな。少なくとも十年は経つ。ここへ来たのはつい最近だが』

 ラザールは少し考えるような素振りを見せながら、ジョシュアへとごく一般的な質問を投げかける。彼が言葉にする前に考えているせいなのだろうか、次の質問までの間が、喋る時よりも長いような気がしていた。

「それで初めて見る顔だったのか……【A】級ともなると、大変だな。他所からここに引っ張られて来たんだろう? 最近よく聞く話だ」
『そんなところだ』

 そこで一度言葉を切ってから、ジョシュアはラザールに切り出す。

『ラザール、今日は突然の事で疲れただろう。早めに休もう。明日の一日を挟んで準備を整えてから、オウドジェに向かうらしい』
「そうか……、やっぱり行くんだよな、俺も」
『ああ。今じゃ、その屋敷もどこにあるか特定されてる。あの街に行けば、ラザールの記憶も戻るかもしれないそうだ』
「そうか。……なぁ、俺なんかが君らの中に入っていいものなんだろうか……足手まといになりそうで、少し心配だ」

 そう言うと、ラザールは眉尻を情けなく下げながらジョシュアへと不安を訴えてきた。【S】級や【A】級といった格上のハンター達に囲まれて仕事をするのは、さぞや彼にとってもプレッシャーなのだろう。
 そんな彼の気持ちが痛いほどよく分かるジョシュアは、優し目の言葉を選びながら、彼に向かって描いて見せる。彼ら程頼りになる人間(吸血鬼)は居ない。それだけは信じて欲しかった。

『大丈夫だろ。俺も、あの人らの世話になる事が多い。一番弱いから。任せておけば、何も心配はないと思う』
「ゲオルグが……? 俺にしたら、アンタもそれ以外の人らと同じようながするんだけどな」

 ラザールにそんな事を言われ、ジョシュアは思わず固まってしまった。におい、というのは比喩には違いないのだろうけれども。ジョシュア自身が吸血鬼達の纏う空気と同じものを持っている、とそう言われたのも同然なのである。
 嬉しいような、寂しいような、複雑な気分だった。もう、自分は人間ではないのだと。

 それにも適当な文字を返し、しばらく会話をした後で。ジョシュア達は早々とベッドに入る事になった。
 外はすっかり真っ暗で、蝋燭や魔術による灯りだけが頼りとなる時間帯だった。吸血鬼達にとっては、これからが活動時間となるのだが。今日のジョシュアは人間として行動しなければならない。
 眠気なんて訪れるはずもないのだけれども、眠っているフリは必要である。

 いつものような寝支度を整えてからベッドの中へと入り込み、ラザールに背を向けながら目を瞑った。
 冴えた頭で五感を研ぎ澄まし、魔力を飛ばして周囲を探る。ミライアの張った特製の結界を超え、意識は宿の外にまで及んだ。結界のせいで薄い壁を一枚隔てたような感覚だったが、ジョシュアには十分だった。

 外は静まり返っている。人の気配も、それ以外の気配もほとんど感じられなかった。
 一見して、平和な人間達の街である。例えそこに人外が紛れていようとも。人々が気付かない程、彼らは日常に紛れ込んでいる。

 しばらくはそうして警戒していたジョシュアだったが、数刻もすると疲れが出る。探知は魔力消費が少ないは言っても無尽蔵ではない。ジョシュアの魔力量だって多いとは言えない。
 段々と魔力の出力を小さくして、部屋の外程度に限定する。隣の部屋からはイライアスとミライアの気配が薄らと見えた。

 二人の気配は普段からとても薄く、いかにジョシュアとて意識をしなければ見失ってしまう。人間のそれとは明らかに違う。

――同じがする――

 きっとジョシュアも、もうとっくにそちら側に傾いているのだろう。その日の夜は、気を抜くとそんな事をツラツラと考えてしまった。

 夜は段々と更けていく。
 久々になる人間との同室は、何故だか落ち着かなかった。知らない気配が傍に居る、というのもあったが、それだけではないのは確かだった。

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