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王都とギルド潜入
46.ギルド中央部
しおりを挟む一人、酷く違和感を覚える気配があった。
中央ギルド内部の会議室にて、ジョシュアはあの魔族の残り香を探していた。ハンター側に座る5人の厳つい人間たちが、固唾を呑んで見守る中で。ジョシュアはとある人間の目の前で立ち止まった。
黒髪で左目に眼帯をした、比較的に小柄な男だった。右目に金色の宝石を埋め込んだような、印象的な目をした男だ。
その眼帯の下がどうしてだか、ジョシュアは気になった。――あの悪魔の気配がする。
ジョシュアは真っ直ぐに、その左目を指差した。その場に居た他の4人から、息を呑むような声が聞こえる。
「赤毛」
ミライアがそう言うのとほぼ同時だ。
目にも止まらぬ速さで動いた赤毛のイライアスは、ジョシュアを床に引き倒しながらその人間の喉元に掴みかかっていた。
咄嗟に反応できず、ジョシュアが慌てて床にから顔を上げると。赤毛が掴み上げた人間のその眼帯の下から、真っ黒い影のような何かが飛び出し、まるで触手のように蠢いている様が見えた。あの影に触れてはならないような気がする。ジョシュアは咄嗟に直感した。そして。
聞き覚えのある、ねっとりとしたようなアイツの声が聞こえた。途端に感じた悪寒に、ジョシュアの背筋がゾクリと震える。
『つっまんねぇの……もうバレてるし。やっぱお前邪魔だわな、眷属よォ。まずはお前をどうにかしないとならないって事か。なぁ、聞いてるか? 吸血鬼』
誰がそう話しているのか、そしてそれが誰の事を指しているのか、ジョシュア達にはすぐに分かった。
だが、そんな魔族の言葉をジョシュアが理解するよりも早く。ミライアが突然、口を開いたのだ。
「お前、ヴィネアとか言ったか? 夢魔の力を持つ者よ」
『!』
「お前が何をしようとしているのかはまだ良くは分からんが。それを使って大層なもの手に入れたとしても、我が下僕を手にしたとしても、それを使う限りお前達は決して満たされる事はない」
予想外の事態にただでさえ混乱する中でだ。突然始まったミライアの忠告に、周囲はただ呆然と見守ることしかできなかった。
「お前達は今後一切、幸福を感じる事もなくただ生を重ねる者になる。正真正銘の、ただの歩く屍よ。今は時が止まっていたとしても、お前の体には確実に死が蓄積されている。二度と、元に戻れるとは思うなよ」
『…………』
「それの元管理者としての忠告だ。ゆめゆめ忘れん事だ」
『チッ、お前、ほんと嫌い』
「それは良かった。……せいぜい、我々に見つからんようにする事だ」
『最っ悪』
その言葉を最後に。あの魔族の気配はすっかり消えてしまった。男に纏わりついていた黒い影がたちまち薄くなり、あっという間に消え去ってしまった。
僅かな魔力の残留を残して。跡形もなく。
その途端、イライアスが掴み上げていた人間から力が抜けた。まるで抜け殻のように、だらりと手足がぶら下がる。
「うえ、さすがに重いっての……死んじゃあいないよ。ただ意識失ってるだけ」
その体を床に横たえながら、イライアスが言った。ミライアはそれを見て頷くと。すっかり驚愕している人間達に向かって言った。
「見ただろう。お前達の中にアレが紛れ込んでいた。こ奴を好き勝手使っていたらしいな。以降は十分気をつける事だ」
「なぜ……、副所長が」
「こ奴のギルド内での権限目当てだろうな。或いは、こ奴が偶然アレの好みだったか。どちらにせよ、理由などそう大してあるまい。考えるだけ無駄だ」
「…………」
「お前達は十分気をつける事だ。ひと口に魔族と言っても色々いる。我ら吸血鬼のように元々探知に引っかかりにくい者や、ああやって他者の中に潜むのが上手い者もいる。結界やらも万能ではない。慢心は綻びや亀裂を生む」
「……承知した。肝に銘じよう。ご忠告感謝する」
そこで一旦言葉を切ったデメトリオは会談を一時中断し、人を呼んで倒れた副所長を運び出した。心配そうにその様子を見つめていた彼等の中に、副所長に対する蔑みの感情が透けて見える。
成る程、彼等のこういった所につけ込んで、ここはあのような事になってしまったのだろう。傍迷惑な話だ。
一枚岩ではないらしい彼等を少しばかり哀れにも思いながら、ジョシュアは彼等とミライアとの話に耳を傾けた。
「ところで……マヌエラ殿、なぜあなた方は我々に味方を? あなた方のメリットが思い付かないのだが」
「そう大した理由ではない。我らは吸血鬼の存在が公になる事を望まない。今まで通り、人間に紛れ込みながら静かに暮らす。それを求めている者も多い。現状維持、それが望みだ」
「それで、我々に手を……?」
「あちら側にひとり、吸血鬼が付いてしまった」
「!」
「厄介な奴でな、他所ではどうにもならんだろう。私が見つけ出して始末する。それには情報がいる。吸血鬼やその他の魔族の情報をコントロールしてほしい。代わりに、我々は戦力と裏の情報を提供する。伝える訳にはいかんものも多いがな、そこは勘弁しろ」
「それが、望みならば是非もない」
「ああ、頼むぞ。基本はそちらに判断は任せるが、私が指示する場合もあるだろう。ハンターとして所属する。それなりの権限を用意してくれ」
「承知した。三名、でいいのだろうか? 先程の出来事もある。吸血鬼というのは……疑いもなさそうだ。【S】級や【A】級のランク権限を付与できるとは思うが」
「【S】級は面倒で動きにくい。アレの義務が厄介だ【A】級程度に留めてくれ――」
そのような形で、ミライアとデメトリオによって彼らの互助関係は結ばれる事となった。ミライア達には【A】級ハンターとしての資格が与えられ、ハンター達全員に渡されるタグが作られる事になった。
互いに誓約文を交わし、文書は然るべき処理をした上で、ミライアによって管理される。
「この誓いには拘束力がある。どちらかが誓いを破ったと判定されれば、文書は灰となり契約は無効となる。これはこの場にいる者達しか知らぬ事だ。くれぐれも広めてくれるな」
そう言うミライアの言葉を最後に、彼等との会談は終わりを告げた。
最後に紹介されたハンターギルドの上層部達の人間の顔を、その気配を、頭に叩き込みながらジョシュアはホッと息を吐き出す。これで会談も終わり、何事もなく帰ることができる。そう思うと、肩の力が抜ける気がした。
だが、その時だった。
会議室の扉がノックされたのだ。中央部所長のデメトリオによって入室を許可されると、一人の男が中へと入ってくる。
それこそ騎士然としたその男は、部分的に板金鎧を身につけて腰に剣を差し、姿勢良く真っ直ぐに前を向いていた。
「紹介しよう。今回の件、彼には協力を依頼している。エレナ君とも交流の深かった、ナザリオだ。彼女と同じ【S】級で、少しばかり国の騎士団にも口がきく。彼も使ってくれ」
「ナザリオです。ご事情は多少伺っている程度ですが……エレナが信頼していた方々ならばとお受けしました。彼女の無念を晴らす為に、私にも何かできればと」
「私がこの中央部の所長を辞める際には、彼を次の長に指名しようと思っている。私が不在の際も頼りにしてくれて良い」
「またまた、ご冗談を」
にっこりと穏やかに微笑みかけてきた銀髪の男――ナザリオはそう言うと、アイスブルーの目を輝かせながら、ジョシュア達に向かって軽く頭を下げてきた。
見る限り若くはない男だったが、穏やかそうに見えるその目付きは、この場の誰よりも油断ならない。
ジョシュアはその男から、目を離す事が出来なかった。
「【S】級か……エレナの馴染みか?」
「ええ。彼女とは共にパーティを組んでいた時期がありまして。随分と昔の話ですが」
「…………」
「元々聖騎士をしておりましたが、一念発起して彼女と共にハンターの道へ。どうやらこちらの方が向いていたようです」
ニッコリと笑うナザリオを見ないようにしながら、ジョシュアは俯く。
そして同時、彼はとげとげとしたとしたミライアによる圧を感じていた。彼女の視界に入った瞬間、さりげなく頷くように顔を俯けると、ジョシュアはフードを深く被り直した。
(まさか、ここで出会すとはな……! 北部が故郷だとか何とか、そう言って留まってたんじゃなかったのか)
ニコニコと人好きのする笑みでこちらを見る彼に、内心で恨み言を吐きながら、ジョシュアは益々気配を薄くした。
元聖騎士であるナザリオは、エレナと共にハンターになった際、同じパーティに居た剣士の一人だ。本人も言っていた通り、エレナ達と共に旅をした内の一人だった。
元々聖騎士として任命されていた経歴もあって、当時からその実力は折り紙付きだったが。まさか、今ではそこまでギルドでの信用を得ていようとは。今更ながらエレナのカリスマ性に恐れを抱いた。
「ああ、頼んだぞ。くれぐれもこの件は内密にな」
「もちろん、承知しております。――そちらの方々も、どうぞよろしくお願いしますね」
「また、こちらから連絡しよう。それまでは私も調べを進める。今は×××××に滞在している。何かあれば伝言を残せ。都度宿は変えるからな」
「承知しました。では、また後ほど――」
その言葉につられるようにそっと頭を下げ、ミライアに従うようにジョシュアはその部屋を出ようとした。油断はなかったように思う。
それでもしかし、どうしたって防げない事はあるもので。
すれ違い様突然、ジョシュアは彼に腕を取られたのだ。ギョッとして咄嗟に振り向くと案の定、ナザリオだった。息を呑むのと同時、ひやりと背筋に冷たいものが走る。
「失礼、君はどこかで……? ジ――」
間一髪のところだった。ジョシュアは彼の口を手で塞ぎ、続くだろう名前の発声を阻止したのだ。
その途端、見る見る内にナザリオの目が驚愕に見開かれていく。ジョシュアは思わず、苦虫を噛み潰したような顔になった。
こんなので気付かれてしまうなんて。己の悪運の強さを呪いたくなる。
「おい、ナザリオとやら。顔を貸せ」
すかさずミライアがそう言えば、彼は何の躊躇もなく、固い表情で頷いたのだった。
「一体、今のは……」
「そう気にする事ではない。なに、少しばかり知人が紛れ込んでいたようでな」
「!?」
「話をつける。こ奴を借りるぞ」
「……承知した」
そうしてジョシュア達は、【S】級ハンターであるナザリオを連れ、滞在している宿へと戻ったのだった。誰にも見られぬよう、細心の注意を払って。
「いやまさか君が……驚いたよ、ジョシュア」
宿の部屋へと足を踏み入れて早々に。フードを外したジョシュアの姿を見て、男――ナザリオは呆然と言い放った。
真っ暗な宿屋の狭い部屋で、四人が顔を突き合わせている。ミライアやイライアスはただ黙ったまま、窓際でジョシュアとナザリオのやり取りを見ているだけだった。
「エレナと一緒に探したんだ。君はてっきり、死んだものだとばかり思っていた」
「……エレナにも言ったが、アンタの言う通り、俺は一度――いや、何度も死んでる。間違いではない」
「そうだったのか。……吸血鬼、という事で合ってるんだろうか」
「ああ、それで間違いはない」
「では君は……、今回のエレナの件に?」
「……そうだ。目の前に居た」
「そうか……君達はとても仲が良かったからね」
そこで一旦、悲しそうに口を噤んだナザリオは。
次の瞬間には、笑顔を浮かべてジョシュアに向かって言った。少しだけ辛さを押し殺したような、悲しさの混じる笑みだった。だからだろう。
「何はともあれ、君の方は生きていてくれて、私は嬉しいよ」
そう言って抱擁してくるナザリオを、ジョシュアは拒む事が出来なかった。昔から慣れ親しみ、世話を焼いてくれた叔父のような男。ジョシュアが生きて目の前に立っている事を、彼は確かに喜んでくれている。そんな彼の気持ちを、ジョシュアは無碍になんてできなかった。
ぎゅうと強く抱き締められて、昔も何度としてこうされた事を思い出す。確かに、辛いばかりではなかったけれども。それはジョシュアを引き留めるには至らなかった。それは、古い古い感傷を覚える記憶だった。
しばらくしてジョシュアは、そんなナザリオを引き剥がすと疑問だった事を口にした。
ミライアもイライアスもこの場には居る。いつまでもこうしているのは、さすがに恥ずかしかったのだ。
「っ、ナザリオ、アンタは随分と頼りにされてるようだな」
「ん? ああ、そうだね。ただアレは、私の騎士団との繋がりが欲しいだけだろう。いくらハンターギルドとはいえ、コネがあるに越した事はない。そのせいで、副所長がああなってしまったのかもしれないけれど。通常はね、次期所長を副所長に据えるのが慣例なんだ……内通者に付け入らせる原因を作ったのは彼ら自身だ。自業自得さ。この失態はいずれ、デメトリオの首を絞める事になるだろう。私は特にそういうのには興味がない。聖騎士を自ら辞めた程だ。彼等にも、その理由を察して欲しいものだけれども」
呆れるようにそう言ったナザリオは、表情を元のにこやかなものに戻すと、再びジョシュアへと顔を向けた。
「いやいや、君も随分と大きくなったね。あそこで別れたきり、君とは会う事ができなかった。居場所がさっぱりわからなかったからね。もう、十数年ぶりにはなるかい?」
「……ああ、それくらいにはなるか……いや、待てナザリオ、そんな話をここでするな」
「ん? 駄目かい? 察するに、君の具体的な話は人前では話してはいけないものなんだろう?」
「うぐ……それはそうだが、別にそんなのは今日でなくても……!」
「何だい、照れているのかい? 君は相変わらず――」
それからもナザリオの口は止まらなかった。散々ジョシュアの若い頃の話をしてくれたかと思うと、時折酔っ払ったかのように熱く抱擁してくる。
それでもやはり無碍にはできず、ジョシュアが困り果てていたところで。ようやく、窓際でニヤニヤしていたミライアが口を開いた。
「ナザリオとやら。お前とそ奴が親しいのは十二分に理解した。助けが必要な時には、お前に真っ先に頼るとしよう。お前も突然の事だったに違いない、今日の所はここでお開きといこうか。こ奴の為にも、外ではそう気安く喋ってはくれるなよ」
「……ん? ああ、そうか。そうだな。そうする事にしよう。失礼したね。外では君を、ジョシュアとは呼んではいけないのだったね。分かったよゲオルグ。それじゃあ、また来るよ」
そう言って、にこやかに手を振りながら告げたかと思うと。ナザリオは窓を伝い、宿から去って行くのだった。
余計な冷や汗をかきまくったジョシュアはもう、ぐったりである。そんな彼を見て、未だに笑いを噛み殺しているらしいミライアはと言えば。明日もまた出るぞ、なんてそう言い放つと、さっさとその部屋を出て行ってしまうのだった。
ようやく彼等から解放されたジョシュアは、そのままベッドへと正面から倒れ込んだ。普段とは別の意味で疲れ果ててしまっていたのだ。ローブすら脱がずにそのままだったが、億劫すぎて何もする気が起きない。
すぐ傍にイライアスが居る事も忘れ、ジョシュアはすっかり気を抜いてしまっていた。
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