我が身は死人の世界

一ノ清たつみ(元しばいぬ)

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王都とギルド潜入

42.本当のところ*

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「よく、そんな事を恥ずかしげもなく言えるねぇ……俺、そういうの無理だからすごいと思うわ」

 ようやく口を開いた赤毛のイライアスは、背後からジョシュアの肩口に顔を埋めながらそんな事を言った。
 未だ一台のベッドに無理やり体を押し込んで寝転がったまま、イライアスはジョシュアをその腕で掴んで離さない。とうにその腕から抜け出す事を諦めているジョシュアは、ただ黙ったままイライアスのその気が収まるのを待っていた。
 あわよくば、恥ずかしさに耐えられなくなったイライアスが根を上げて向こうに行ってくれはしないか、なんて思いもしたが。だがそれでは意味がないのだ。

 今度はきちんと、この男が何を思い、どうしてここまで自分を助けてくれるのか。それが知りたかった。
 いつ、誰が死ぬかも分からないこの世界。ジョシュアはもう、後悔するのだけは御免だった。

「いやね、別に……ほんと、なんて事はないんだ。ほら、前に俺、寂しがり屋だって言ったでしょ? アレはほんと。この前はジョシュアと四六時中一緒だったから。色んな人間たちと居るのより、君と居る方が楽しかった、って思っちゃって」

 イライアスはらしくもない、ボソボソと小声で不安そうに喋る。あんな、ずっとふざけているような、けれどどこか自信に満ち溢れ、頼り甲斐もありそうなあの男が。見る影もなかった。
 まるで身体だけが大きくなった子供のよう。
 ジョシュアは奇妙な胸の高鳴りと共に、その言葉に耳を傾けていた。

「でもさぁ、ほら、あの時俺の正気がぶっ飛んで襲っちゃったでしょ? アレ、実は俺も結構怖かったんだ。ジョシュアはそう簡単に死なないって、分かってはいるんだけど……俺が吸血鬼に成り立ての頃ね、実は、元々慕ってたような人も、吸血で殺しちゃってて。その時の事、少し思い出しちゃった」

 ジョシュアもある程度予想していた。吸血鬼に成り立ての男が、何も分からないままその“親”となる吸血鬼を消してしまう。
 “親”自体は、何も知らないイライアスを勝手に吸血鬼に変えてしまうような男だ。始末されて当然の吸血鬼だったろう。しかしそれでも、吸血鬼としての“親”であったには違いない。吸血鬼のイロハを叩き込む“親”は、ちゃんとした知識を持ったまともな吸血鬼を育てるには必須。
 ジョシュアもミライアと過ごし、少なからずそれを実感している。イライアスだってその内の一人だったはずだ。
 それが、ジョシュアにとってのミライアのような吸血鬼が、この男の傍には居なかったのだ。何が起こっていたとしてもおかしくはない。

 右も左も分からぬまま、人間の生き血を啜り生きなければならない。そんな悲劇を背負った男の事を思うと、ジョシュアは胸の締め付けられるような感覚を覚える。
 それからもイライアスの言葉は続く。それはまるで、この男の懺悔のようにも聞こえた。

「それがね、全部あの屋敷であった事だから。余計に思い出しちゃって。誰の屋敷か聞かれた時はさぁ、はぐらかしたけど。今は俺の所有物なんだ。……あそこで、俺は“親”に連れてこられて吸血鬼にされて、そのまま“親”を消したんだ。あいつの別邸。あんなだだっ広い地下室があったのはそのせいだよ。あの変態が、“何が起きてもいいように”、って作らせたらしい」

 何故あのような大きな都市に、アレだけの大きな屋敷と、普通ではない広い地下空間があったのか。その目的は一体何だったのか。そしてなぜ、イライアスがそんな屋敷を好きにしているのか。疑問ではあった。ミライアの話とも合わせて、まさかとは思っていたけれども。
 そのような家からこの男を引き剥がせた事は、幸運だったのかもしれない。そんな事を思いながら、ジョシュアはイライアスの言葉に耳を傾けた。

「だからさぁ……あの時、ジョシュアを襲った時は、そういうの思い出して怖くなっちゃって。本気でどうしたら良いのか分かんなくなったんだよね。またあんな事がないように、ジョシュアから離れないと、って思って。けど、日を追うごとに君の血も恋しくなっちゃってさ。結局は食欲に我慢できなくて来ちゃったわけなんだ」

 成る程、ミライアは随分とイライアスの性質を良く良く理解しているようだ。

――あの阿呆が食事を我慢できる筈無かろう

 ミライアの言葉が思い出された。
 そういう意味でもやはり、イライアスの師がミライアで、そしてジョシュアの兄弟子にもあたるのかもしれない。ジョシュアはふと、そんな事を思う。
 ふたりとも一向にその関係性を話そうとはしないが、イライアスとミライアの間には、初めてふたりの会話するところを見た時からずっと、ジョシュアには分からない何かがあった。
 確かにことの起こりは始末する側とされる側という、そんなものだったのかもしれない。けれども確かに、ミライアは赤毛の吸血鬼を生かした。
 この赤毛が、ジョシュアと同じようにミライアにアレコレ教えられ、ちゃんと(?)した吸血鬼になっていった所を想像する。するとジョシュアは、何とも言えない、気恥ずかしさを覚えるのだった。

「君に会えば、何か分かるかもなぁって思ったのもあるよ。俺、他の吸血鬼と会うのは嫌いな方で、人間たちとばっかり一緒に居たから。吸血鬼に会うとすぐ戦え、とか言われるしさ……一度、女の子の吸血鬼達が鉢合わせちゃって、その子達が殺し合い出した時には流石に粟食ったよ。だからその点、君みたいな人間染みた吸血鬼は、嫌じゃない。血も美味しいし」

 無意識なのだろうか。先程から何度も、イライアスからジョシュアの血の話が出る。それは余程、欲しいという意味なんだろうか。
 多少身構えてしまうと同時に、しかし何故だか嫌だとは思えない。今のジョシュアには、彼に対する理解や感謝の気持ちが強い。御礼代わりに差し出しても構わないのかもしれない。勿論、自分からそんな事を言い出すつもりなんてなかったが。ジョシュアはそれくらいには、この男を信用しているのだ。

「君ってばほんと、変な吸血鬼だ。吸血鬼になるような奴らって、大抵が戦い好きの気が強い奴らばっかりなんだけど……君はそれとはかなり違う。考え方が人間臭いってのもそうなんだけど。ジョシュアの隣は居心地が良過ぎる」

 イライアスはそんな事を言いながら、ジョシュアを抱き込むように引き寄せた。唐突なその行動に息を呑むも、ジョシュアは何も言わなかった。
 今は茶化せるような雰囲気ではない。イライアスの好きなようにさせておくのが、ジョシュアが彼にできる事なのだとそんな事を思った。
 不思議と嫌悪感はなかった。一度あんな事までされているのだ。これくらいはどうって事もない。
 ジョシュアはすっかり毒されている思考でもって、そんな事を思う。

「あのさ、こんな時に無粋かもなんだけど……血、飲んでいい? 結構さ、俺我慢してて……」

 突然告げられたその要求に、ジョシュアはやはり、と内心で苦笑する。この男はここまで何も口にせず、ジョシュアに強請りもせず、ここまで我慢に我慢を重ねてきたのだ。あの場ではとても助けられた。そんなイライアスの辛抱に少しくらい報いるのは、ある意味で当然な気がした。

「別に、構わない。今日はあまり沢山は無理だろうから、少し加減してくれ」

 ジョシュアは応えた。イライアスもジョシュアも疲れているのだろう。その先に考えも及ばず、穏やかな気分でそう告げたのだった。
 本当に、今はこの体勢で良かった。ジョシュアは心の底から思った。もし、これを面と向かって話していたらと思うと、羞恥のあまりどんな醜態を晒していたかも分からない。顔を見ないで済んで良かった。
 ジョシュアはただ、そんな事ばかり思うのだった。

 すぐ耳元で、ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえる。それがやけに生々しく聞こえて、ジョシュアはやけに緊張した。思えば、シラフでこんな風に吸血されるのは初めてなのだ。襲われた時とはまるで違った緊張感に、ジョシュアは頭がおかしくなりそうだった。

「それじゃあ、遠慮なく。無理だったら言って?」
「ああ」

 そう、ジョシュアが応えるが早いか。
 その首筋に、イライアスの息がかかるのが分かった。少しの間を置いてその牙がズブリと突き立てられ、ゆっくりと吸われていく。痛みはそれほど感じられなかった。
 同時に、ジョシュアの胴に巻き付いていたその手が、今度はその喉元に回される。さわさわと、猫でも撫でるかのように顎下やら喉やらを触られ、ジョシュアは思わず震えた。

 慌ててその手を引き剥がすと、今度はそのジョシュアの手に、イライアスの指が絡み付いてきた。ジョシュアの指の間にその指を差し込んだり、手のひらをくすぐるように指を滑らせたり。
 その触り方はまるで、行為の際の愛撫のようで。意図してやっているのか、それとも無意識にそんな事をしているのか。
 どちらにせよ、吸血の際の効果と相まって、彼の体を変に熱らせるには十分なものだった。
 早く終われ、そして気付くな、と心の中で叫びながら、ジョシュアはジッと耐えた。じわじわと腹の底から湧き上がるような熱を押し留めるように。

 それからしばらく。
 イライアスが首筋から口を離す頃には、ジョシュアは色んな意味でぐったりとしてしまっていた。
 傷口を治し、そっと離れていく気配にホッとして体から力が抜ける。少しばかり目が冴えてしまったが、眠れない事はない。このまま目を瞑って、人間たちとの会合に備えてた方が良さそうだ。と、ジョシュアはそのまま目を閉じた。
 しかしやっぱり、ここで放っておいてくれないのが赤毛である。

 目を瞑った途端にだった。服の上で、イライアスの手が何やらもぞもぞと動いている。

「おい」

 堪らずジョシュアは声をかけるも、イライアスからの返事はなかった。
 もぞもぞと動いていたその手が、服の中にまで潜り込む。咄嗟にその腕を押さえようと服の上から両手で捕まえた。
 すると途端、背後からはあっ、と残念そうな声が上がる。そこで再び胸を撫で下ろし、ジョシュアは警戒しながらイライアスの様子をうかがった。

 今、こんな体勢のまま襲われでもしたら色々な意味で一溜りもない。もちろん、このベッドから抜け出して隣のベッドへ行けば簡単なのだろうが。ジョシュアはそんな気分にはなれなかった。
 イライアスと過ごして思い出してしまったのだ。人肌というのは、こんなにも人を安心させる。エレナとふたりきりで過ごしていた、そんな子供の頃以来だったのだ。こんな状況だとはいえ、手放し難かった。今日のジョシュアには特に。

「……おい、まて、やめろ。このまま眠らせろ」

 シーンと静まり返った部屋に、ジョシュアの声が虚しくも響く。
 再び動き出したその手は、指の一本一本をバラバラに動かしながらジョシュアの肌に触れてくる。触れるか触れないか、そんな絶妙な加減で刺激を与えるのだ。ジョシュアは堪らずにぶるりと震えた。
 その腕を捕まえて動かないように拘束しているはずなのに、全くもってその意味をなしていない。服の下からその手を引きずり出すのは、ジョシュアには困難なように思われた。
 イライアスはその後も止まらなかった。

「ひっ……!」

 ジョシュアは唐突に、ベロリと首筋を舐められた。肩口から耳の下辺りまで、まるで味わうかのようにゆっくりと。
 先程の傷口を治すそれとは違い、明確なそういう意図を孕んだそれは、ひどくいやらしいもののように感じられた。思わず背筋がぞくりと震えて肩口を竦める。イライアスの吐息が、耳元にかかった。
 そして、そうやってジョシュアが怯んだ隙に。その拘束から抜け出したイライアスの手は、ジョシュアの下腹部へとまわった。
 先程の吸血のせいもあり、ゆるりと反応してしまっていたジョシュアのそれを、服の上から握り込むようにして触られる。その変化は、イライアスにもしっかりとバレていたようだ。
 最初は優しくその形を確かめるように。そして徐々に力を込め、その快感を絞り出してくるように。ジョシュアは堪らず、熱い吐息を漏らした。

「ふ、う……!」

 顔をマットレスへと押し付け、漏れ出そうになる声を噛み殺す。クスクスと笑うイライアスの声が、すぐ耳元から聞こえた。

「こうした方がきっと、ぐっすり眠れるよ。夢も見ずにね」

 一体どういう意味でそう言ったのか。
 そんな事はあり得ないはずなのに、まるでジョシュアが夢を見たことを見透かすかのような男の言葉に、何とも言えない気分になる。寝言でも言ったのだろうか。
 やっぱり逃げ出しとけば良かった、だなんて今更思っても遅い。このイライアスの事だ。こうなる可能性は十分に高かったし、ジョシュアもそれを承知していたはずだ。それを知った上で逃げ出さなかったのは、その理由は一体、何故だったろうか。

 じわじわと与えられる快感に身悶えながら、ジョシュアはその時考える事を放棄した。
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