上 下
42 / 106
王都とギルド潜入

41.仲良くね

しおりを挟む

 バタン、と部屋の扉の閉まる音が聞こえ、そこでようやくジョシュアは我に返った。
 はて、自分は一体どうやってここまで戻ってきたのだったか。全てを思い出すまでに少し時間がかかった。断片的な記憶の中から、必要なものを拾い上げていく。

 あの後のミライア達の話を、ジョシュアは端から耳にしていた。人間達に事情を説明し、また後日、ハンターギルドの上層部達と会談の場を設ける事となった。
 ギルド所属のセナの証言や、その場に倒れていたハンター達や魔族、部屋の有り様など状況証拠もあり、無事に彼らからの信用を得るに至った。今はまだ半信半疑だろうが、事実は変わらない。
 エレナの屋敷へは行かない方が良い、そういったミライアの判断から、ジョシュアは促されるまま宿をとる事となった。そうして今、こうしてあてがわれた部屋へと足を踏み入れた訳なのだが。
 ここまでの自分の行動が思い出せなかったのだ。全てが曖昧だった。こんなにぼんやりとしていては駄目だと、自分でも分かってはいる。けれども、そう簡単に割り切れるものではないのだ。すっかり気が抜けてしまったのだろう。ジョシュア自身、しばらくは使い物になりそうになかった。
 そうやって突っ立ったままぼんやりとしていた時だ。その背後から突然、声が降ってきた。

「生きてる?」

 驚き振り返ると、見覚えのある赤毛の男が目に入った。全く普段通りの男の様子に、ジョシュアは少しだけホッとする。
 相変わらず小憎たらしい程に整った顔立ちの男だったが、憐れみや同情といった表情は一切浮かんでいない。それが今は、何故だかジョシュアにとっては救いのように思えた。
 問われたジョシュアは少しばかり冗談まじりに返す。今の彼には、それが一番の正解のように思われた。特に、この男相手には。

「死んでる。俺もお前も」
「そりゃそうだ。んじゃ、元気?」
「……あんまり」
「だーと思った。二日後の夜に話し合いだってさ、人間達と。まっさか、アレがこんな事態になるなんてねぇ……」

 自分から話す方ではないジョシュアの性質を十分に分かった上で、イライアスは普段通り、好き勝手に喋り倒す。

「ほらほら、突っ立ってないでアンタは寝る! 多分、全然回復できてないっしょ、あんだけ吸われてたらさ。……ほんとは食事が一番なんだけど、あの雰囲気じゃあ人間からは貰えそうになかったし」

 そう言って、ジョシュアの身の回りの世話までしだしたイライアスは。何もせず部屋の入り口付近に突っ立っていたジョシュアのローブを剥ぎ、血だらけだったその服までも脱がせにかかった。
 下着こそ何とか死守したジョシュアだったが、この日は何かする気も起きず、この男の好きなようにさせた。全身を拭われ、いつかのようにイライアスのシャツを着せられながら、ジョシュアは促されるがままに部屋のベッドへと腰掛けた。
 そんな時にふと、ジョシュアはその場で疑問に思った事を口にする。イライアスは手桶に汲んだ水で、甲斐甲斐しくジョシュアの足を清めている所だった。

「彼女も、この宿に?」
「えっ……、部屋別れるまで一緒に居たじゃん。何にも聞いてなかった?」
「……覚えてない」
「ほぉー……」

 正直にそう話をすると、気の抜けたイライアスの呟きがベッドの下の方から聞こえてくる。珍しい事もあるものだ、とジョシュアは思わず笑ってしまったのだった。

「ま、休めば落ち着くでしょ。話し合いまで時間はある。ほら、終わったから眠っちゃえ、ジョシュア」

 イライアスはそう言うと、ジョシュアに横になるよう促した。
 言われるがまま固いベッドに上半身を横たえ、ぼんやりと暗がりを見つめる。灯りすら必要のない彼らの部屋は、暗闇に包まれている。けれどもジョシュアには、その部屋の様子が全て見えてしまっていた。
 反対側に配置されているもう一台のベッド、床に放り投げられている血に染まった衣服、そして、ベッドの横、目の前に座り込んだままのイライアス。吸血鬼であるジョシュアには、全てが見えてしまっていた。
 そうやって、ジョシュアがしばらくぼうっとしていると。すぐ傍から呆れたような声が聞こえた。

「何か今日のアンタ、手ぇかかるね……」

 言いながら、イライアスは外に投げ出されたままだったジョシュアの脚を持ち上げてベッドの上に落とした。その上に毛布がかけられると、彼はその場からそっと離れていった。
 反対側のベッド近くで彼もまた、身支度を整えだす。目の前で衣服を脱いだ男の上半身は、体格に見合った逞しい肉体をしている。見えたのはほんの一瞬だったが、それが少し、今のジョシュアには鼻に付いた。
 自分もあれ程恵まれた肉体をしていれば、少しでも強くあれたのではと、思わないでもない。強ければ防げた事もあるのではと。特に、ジョシュアの身を置いている世界では尚更の事で、思うようにならない歯痒さに、もやもやとしたものが胸に燻るようだった。今日は特に、そんな事ばかり考えてしまう。

 そこでふと、ジョシュアは自分の思考が妙な方向へ行ってしまっている事に気付く。暗い気持ちで更に暗い事を考えるなんて、気分は益々悪くなる一方だ。ジョシュアは慌ててかぶりを振った。こんな事を考えていてもどうしようもない、止めよう。自分で自分に言い聞かせる。
 ジョシュアは反対側へと寝返りを打った。下手をするとどんどん嫌な方へと思考がいってしまいそうになる。こんな時には寝るに限る、と、無理矢理に目を閉じて眠りにつこうとした。
 するとどうだろう。何だかんだと身体は休息を欲していたようで、目を瞑るとすぐに意識が遠のいていくのを感じた。このまま、何の夢も見ずにただ眠りたい。そんな思考を最後に、ジョシュアの意識は望み通り、闇の中へと沈んでいった。


 夢を見ていた。
 夢の中の彼女は、死んだ時と同じ姿でその場に立っていた。【S】級ハンターの名に似合いの立ち姿で、凛々しくその場に佇んでいた。
 彼女はジョシュアに向かって微笑みながら言う。

『ジョッシュお兄ちゃん。私の全部、持っていって。あいつらをさ、私の代わりにやっつけてよ』

 そう言って彼女は、昔駆け出しの頃に使っていた剣をジョシュアに向かって差し出していた。何の変哲もない、古びた剣だ。使い込まれ、鞘に収められたそれは、彼女がいつも丁寧に研いていたのをジョシュアも知っている。
 夢の中のジョシュアは、それをおずおずと受け取った。ずしりと手に重みがかかる、いつもの剣だった。
 だが、手にした次の瞬間にだ。その剣は突然、光の粒となって砕けたかと思うと。それらはジョシュアの身体の中へと吸い込まれていったのだ。
 慌ててジョシュアが彼女に視線を戻すと、しかし彼女は忽然と姿を消していた。周囲を探したが、やはり彼女の姿はどこにもない。

『大丈夫、いつも一緒だから』

 そんな彼女の声は、不思議と自分の中から聞こえた気がして、ジョシュアはホッと息をついた。夢の中だからなのか、ジョシュアはそれを疑問に思う事はなかった。そして、そんな夢の最後に。

『だからまぁ、その……仲良くね?』

 そう、苦笑するように言った声に、ジョシュアは盛大に首を傾げるのだった。
 そうしてしばらくした後で。急激に意識が眠りから引っ張り上げられるのが分かった。ジョシュアは少しばかり名残惜しく思う。まだ、彼女の声を聞いていたかったのにと。また会えるだろうか。そんな事を思った。
 だがひとつだけ疑問に思う。最後のあれは一体、どういう意味なんだろうか。仲良く、とは、一体誰と? 目覚めるその直前まで、ジョシュアはしばらく唸っていた。


 ジョシュアがハッと目を開けると、目の前には壁が見えた。どれくらいそうして眠っていたかは分からなかったが、そう長い時間ではなかったような気がした。
 しかし頭の中は妙にすっきりとしていて、何となく、夢の中に彼女が出てきた気がした。あまりはっきりとは覚えていなかったが、最後の最後に妙な事を言われた気がする。一体、何の夢で何を言われたのだったか。ジョシュアはしばらく考えていた。
 そんな時だった。突然、自分のすぐ耳元から声が聞こえて来たのだ。

「あれ? もしかして起きちゃった?」

 途端にジョシュアはギョッとする。慌てて振り返ると、目と鼻の先に赤毛のイライアスがいた。ふとここで気付く。
 背中に、この男の逞しい胸板が張り付いていて、間違いではなければ自分の腹には男の腕が回されている。さすがのジョシュアも粟を食った。
 妙に狭いベッドだな、なんて寝起きに思いもしたが。まさかここでも潜り込んできていたとは。ジョシュアの予想を遥かに上回っていた。野郎二人が一人用のベッドにだなんて。無理がある。気が休まるはずもない。
 そんな、突飛すぎるイライアスの行動にいつもの調子を取り戻したジョシュアは、真っ先に文句を言った。

「おい……なんで、お前までこのベッドに寝てるんだ。向こうにあるだろう」

 そんなジョシュアに一瞬驚いたような表情になったイライアスはしかし、次の瞬間にはいつもの笑みを浮かべていて。あの時とまるで同じ、いけしゃあしゃあと言ってのけたのだ。

「だって、ひとりじゃやっぱり寂しいかなぁと思って」

 それを聞いて、ジョシュアは酷い脱力感に見舞われた。
 イライアスはやっぱりイライアスだった。城塞都市での最後、あんな別れ方をしたものだから、彼との関係には少しばかりの不安を覚えていたのだが。そんな心配を全部吹き飛ばしてしまうかのような彼の行動に、一気に力が抜けてしまったのだ。
 何にも心配なんていらなかった。自分がどう行動しようが、この男は変わらない。好き勝手に己の生き方を突き進むのみなのだ。最初からそうだった。
 この男は人の話を聞かない。
 そう思うと、ジョシュアは考え込んでいた自分が馬鹿のように思えるのだった。

「そうだった……アンタは、元々こういう奴だった……」
「ん、なになに? 俺がどうしたって?」
「何でもないっ。……おい、イライアス、狭い、休めないから向こうのベッド行け」
「あれ、いつものジョシュアに戻ってるじゃん」
「お前の無遠慮さのお陰かもな」
「どういたしまして」
「褒めてはいない」

 しばらくそうやって言葉、というよりかは文句と嫌味と天然の応酬を繰り広げつつ、イライアスの腕の中から抜け出そうと奮闘していたジョシュアだったが。
 イライアスの行動は、普段と変わらず容赦がなかった。力では到底敵うはずもない。すぐに脱出は無理だと悟って諦めたジョシュアは、パッタリと力を抜いて、彼の体に背を預ける。ベッドのサイズのせいで、いつもよりも更に近い距離に妙に落ち着かない気分になった。
 その時訪れた沈黙に、どうしても耐えきれなくなったジョシュアは。意を決してそっと、口を開いた。

「なぁ、イライアス」
「ん?」
「お前、あの屋敷での最後、何で突然居なくなったんだ」
「え」
「一応、色々世話にはなったし、言いたかった事なんかも、他にあったんだぞ」
「…………」
「『見送りは一度もした事がない』って、“彼女”が言ってたが……それでか? 俺も見送りは得意じゃないんだ。気持ちは分かる。けど……さすがに、色々考えたぞ」

 珍しく真剣なジョシュアの問いかけに、イライアスはすっかり黙り込んでしまった。
 相変わらず本心の読めない男だ。普段、どうでもいい事はあんなにベラベラと話している癖に、こういう肝心な時には口が重くなるらしい。自分と同じで、イライアスもまた随分と難儀な性格をしている。自分の事を棚に上げて、ジョシュアはそんな事を思った。一度吐き出してしまうともう、止まらなかった。
 顔の見えないこの体勢のおかげもあるだろう。返事もないまま、ジョシュアひたすら喋り続けた。このタイミングで一気に話してしまわないと、ジョシュアはもう二度と言えない気がしていた。

「あの時も言ったが、お前には感謝してるんだ。今回の事も、そうだ。例えアンタの都合で勝手にあそこに現れたのだとしても、イライアスが居なかったら、どうなっていたか分からない。ありがとう」
「…………」

 それでも尚、返事すら返さない男にジョシュアは続ける。心が音を上げてしまわない内に。

「アンタなりにそういうルールとか、あるんだろうけど。さすがに大事な事は言葉が欲しい。俺も、言わずにおいて後悔したばかりだ。ちゃんと言え」

 そう言い切ってしまってジョシュアは。しばらく、イライアスの反応を待った。余程こういった話をするのが苦手なのか。しばらく、彼から言葉が返ってくる事はなかった。
 だが、そのままジッと辛抱していると。とうとう、イライアスからもちゃんと、反応が返ってくる。今日のところは、逃げられないタイミングを狙ったジョシュアの勝ちだろう。呟くように漏れ出たイライアスの声音は、少しだけ情けなかった。

「はあああ……、君ってばホンット……」

 そう言って、ジョシュアの肩口に顔を埋めたイライアスは、しばらく黙ったままだった。
 カーテンを閉め切った外からは、微かな鳥の声が聞こえてくる。早朝らしい薄明かりの中。その部屋ではしばらくの間、ふたりの呼吸音だけが薄ら聞こえるだけだった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

真面目系委員長の同室は王道転校生⁉~王道受けの横で適度に巻き込まれて行きます~

シキ
BL
全寮制学園モノBL。 倉科誠は真面目で平凡な目立たない学級委員長だった。そう、だった。季節外れの王道転入生が来るまでは……。 倉科の通う私立藤咲学園は山奥に位置する全寮制男子高校だ。外界と隔絶されたそこでは美形生徒が信奉され、親衛隊が作られ、生徒会には俺様会長やクール系副会長が在籍する王道学園と呼ぶに相応しいであろう場所。そんな学園に一人の転入生がやってくる。破天荒な美少年の彼を中心に巻き起こる騒動に同室・同クラスな委員長も巻き込まれていき……? 真面目で平凡()な学級委員長が王道転入生くんに巻き込まれ何だかんだ総受けする青春系ラブストーリー。 一部固定CP(副会長×王道転入生)もいつつ、基本は主人公総受けです。 こちらは個人サイトで数年前に連載していて、途中だったお話です。 今度こそ完走させてあげたいと思いたってこちらで加筆修正して再連載させていただいています。 当時の企画で書いた番外編なども掲載させていただきますが、生暖かく見守ってください。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

異世界ぼっち暮らし(神様と一緒!!)

藤雪たすく
BL
愛してくれない家族から旅立ち、希望に満ちた一人暮らしが始まるはずが……異世界で一人暮らしが始まった!? 手違いで人の命を巻き込む神様なんて信じません!!俺が信じる神様はこの世にただ一人……俺の推しは神様です!!

キスから始まる主従契約

毒島らいおん
BL
異世界に召喚された挙げ句に、間違いだったと言われて見捨てられた葵。そんな葵を助けてくれたのは、美貌の公爵ローレルだった。 ローレルの優しげな雰囲気に葵は惹かれる。しかも向こうからキスをしてきて葵は有頂天になるが、それは魔法で主従契約を結ぶためだった。 しかも週に1回キスをしないと死んでしまう、とんでもないもので――。 ◯ それでもなんとか彼に好かれようとがんばる葵と、実は腹黒いうえに秘密を抱えているローレルが、過去やら危機やらを乗り越えて、最後には最高の伴侶なるお話。 (全48話・毎日12時に更新)

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

なんか金髪超絶美形の御曹司を抱くことになったんだが

なずとず
BL
タイトル通りの軽いノリの話です 酔った勢いで知らないハーフと将来を約束してしまった勇気君視点のお話になります 攻 井之上 勇気 まだまだ若手のサラリーマン 元ヤンの過去を隠しているが、酒が入ると本性が出てしまうらしい でも翌朝には完全に記憶がない 受 牧野・ハロルド・エリス 天才・イケメン・天然ボケなカタコトハーフの御曹司 金髪ロング、勇気より背が高い 勇気にベタ惚れの仔犬ちゃん ユウキにオヨメサンにしてもらいたい 同作者作品の「一夜の関係」の登場人物も絡んできます

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

処理中です...