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王都とギルド潜入

35.長い夜の始まりに

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 突如、周囲が慌ただしく動き出す音をジョシュアは聞いた。
 目を塞がれていて何も見えない中で、しかし複数の気配を感じて体が反応した。
 誰が何を言っているのかすら聞き取れなかったが、知っている気配と知らない気配がこの空間には在った。その中にはミライアの気配もある。どこか朧げだが、確かに彼女のものだった。
 それらが、この空間の中で混じり合っている。自分を助けに誰かが来たのだろう、と思いはすれども、ジョシュアには状況が読めなかった。
 あのミライアの事だ。ジョシュアが囮となって街中をうろついている間、何か策でも練っていただろうか。ジョシュアは違和感を感じていた。
 突入してきたのは恐らくミライア単独ではない。動く気配は複数あるのだ。あのミライアが、他所に助けを乞うたりするのだろうか。それとも、セナとエレナが動いた結果なのだろうか。ジョシュアは首を傾げていた。

 後ろ手に拘束された鎖が解かれていくのを肌で感じ取る。完全にその重しが取り払われるや否や、ジョシュアは目を塞いでいた布を自ら取り払った。この状況を一刻も早く把握したかったのだ。
 真っ先に目に飛び込んできたのは、吸血鬼と思わしき人影が目の前にしゃがみ込んでいる姿だった。それが、ジョシュアの鎖を解いた者だろうか。
 急激に目隠しを取られ視界が開けたせいなのか、ぼやけて彼らの顔がよく見えなかった。けれど、それはジョシュアの知る者達とは全く異なる気配だった。人間でもない。それだけは確かだった。
 知らない者の姿に驚きつつ礼を言ったジョシュアに、ミライアと思しき者の声がかけられた。
「お前がグズグズとしているからだ、ここで一気に畳み掛けるぞ」と、彼女はそう言い放つと。今まさに、魔族へと攻撃を仕掛けんとするところだった。
 その魔族は、背に蝙蝠のような翼を生やし、白髪で未成熟な少年のような姿をしていた。宙に浮かびながら笑っているその姿が見えたが、ジョシュアには不思議とその顔が見えなかった。

 ここで突然、ジョシュアはこの状況にひどい違和感を覚えた。どうしてなのか、これが茶番劇のように感じられてならなかったのだ。
 顔がわからない、吸血鬼と思しき仲間を連れて、ジョシュアを助けに来たミライア。
 ミライアの攻撃を軽々と避け、高笑いを上げる顔のわからない魔族。
 そして、ジョシュアの周囲で蠢く、敵のような顔がわからない複数の者達。それらは今まさに、ジョシュアへと攻撃を仕掛けんと襲い掛かってくるところだった。
 鎖を解いたはずのその吸血鬼は、ジョシュアが応戦している間に、不思議と姿が見えなくなっていた。
 ジョシュアはこの時、腹の底から湧き上がってくる不快感に顔を顰めた。

 剣のように伸びた爪による攻撃が、ジョシュアの懐を狙う。それを足のステップでかわしながらひらりと後退すると、立て続けにもう一人、その爪がジョシュアの首を狙った。その手を掴み上げて切っ先を逸らすと同時、ジョシュアはその勢いを利用して相手を放り投げた。
 その何者かは逆さまに壁に激突したが、攻撃の入りが浅いように思われた。まるで人間がするような受け身をとったのだ。きっとすぐ復活して、次の反撃に移ってくるだろう。一人目はまだ、ジョシュアの目の前に居た。すぐに次の攻撃が繰り出された。

 ジョシュアの身体は勝手に動いてくれる。考える暇などなくとも、ジョシュアの身体には様々な攻撃への対処法が刻み込まれている。格上相手との戦い方も、文字通り身をもって学んだ。
 死んでも終わらない戦闘行為。あの日々ほど辛い事はかつてなかった。ジョシュアにしてみれば、空腹に耐える続ける方が余程楽だった。しかし、あの中でしか得られない経験も、確かにあったのだ。だからジョシュアは耐えられた。

 しみじみとその時の事が頭に浮かぶ。あの赤毛のイライアスはどこで何をしているのだろうか。何故だか今、それが思い出された。
 ジョシュアの身体は軽かった。まるで、散々血を浴びせられたその時のように。
 何者かに監禁され、放置されたところまではジョシュアも覚えているのだが。
 何故今、自分はこんなにも腹が満たされているのだろうかと思う。あの時は確かに空腹であったはずだ。自らの血で誤魔化さなければいけないほどに、飢えていたはず。それが一体、どうして。
 ジョシュアの思考は遅々として進まなかった。まるで何かに思考を妨害されているかのように。まるで夢の中のように。

 二人がかりの攻撃は、その後もしばらく続いた。だがジョシュアは反撃を躊躇していた。どうしてだか、攻撃してはいけないような気がするのだ。どこか化かされているような、騙されているような、そんな気がするのだ。

――これは君も重々承知してると思うけど、俺らみたいなのは平気で人をだまくらかせるんだから、そこんとこは常に頭に入れておきなよ? 何があっても良いように、違和感を感じたら自分の直感を信じてさ――

 赤毛のイライアスに言われた言葉が、頭の中で思い起こされる。
 何かがおかしい。けれどもそれがどうしてなのかが分からない。一向に纏まる気配を見せない奇妙な思考に、ジョシュアは益々顔を険しくした。
 だがそんな時だった。叫ぶようなその声に、ジョシュアはハッとする。
「何をしているのだ馬鹿者! 早く其奴を仕留めんか!」と、そう言った彼女のそのひと言で。
 ジョシュアの違和感は突如確信へと変わった。もしやこれは。
 するとどうだろう。まるで霧が晴れるかのように、ぼやけていたジョシュアの視界が、一気にクリアになる――。




◇ ◇ ◇




 エレナ達はその時窮地に陥っていた。
 あの女吸血鬼の警告を無視したばっかりに、今まで経験したことの無い敵相手に苦戦を強いられていた。
 正確には、敵ではないのだが

「セナ、無闇に突っ込まないで! アンタも知ってるでしょ、こいつは勘が――ッ!」

 攻撃をいなしながら言葉を切って飛び退く。身を庇うように添えた剣の刀身には、彼の拳がぶち当たった。きっと相手は本気ですらないのだろうが。吸血鬼ならではの馬鹿力に、剣が悲鳴を上げていた。

(下手に受けると折れる! まさか、この剣に限界を感じる事になるなんて……、魔導剣よ魔導剣、耐性なんか数段強化されてるってのに。ジョッシュ、囮だなんだ言って攫われといて、何やらかしてくれてんのーッ!)

 エレナとセナの今の相手は、何を隠そうジョシュアだったのだ。敵どころか、本来であれば味方である。それだというのに、彼は何故だか突然、エレナ達に襲い掛かってきたのだ。
 このような状況に陥ったのは他でもない。エレナとセナの二人が、ハンターならではの勘と調査能力により、ジョシュアが居る場所を突き止めてしまったからである。
 ミライアミッシャより忠告を受けた後も、二人はギルドの管理する建物の内で使用されていない場所をしらみ潰しに探して回ったのだ。誰にも知られずに監禁出来そうな場所を、と。そうしたら何と、二人は偶然にも辿り着いてしまったのである。
 強運、または悪運が強いが故に、ハンター達の中でも飛び抜けて能力を発揮してしまう、とも言えよう。それが原因で今回、エレナとセナはこのような窮地に陥ってしまった訳だが。

(鎖を解いてやってからよね……あー、ホント、元ハンターや吸血鬼すら服従させちゃう魔族とか、タチが悪いってもんじゃないわ。確実に害悪よね、これ。ここで仕留めとかないと、後々大変な事に――ッ!)

 自分を目掛けて繰り出される足蹴りを避けつつ、エレナは舌打ちを打った。どうにか、我を失っているジョシュアを止めようと先程から何度も掴みかかっているのだが。のらりくらりと避けられ反撃を受けてしまう。
 先程、それを食らって壁まで吹っ飛んでいったセナは、未だに痛そうに背中を庇いながら応戦している。もちろん、ジョシュア相手に武器なんて使えるはずもなく。時折襲ってくる蹴りや拳やらをとにかく、いなしてやるばかりだ。
 慣れない無手での格闘技戦は、二人共苦戦を強いられていた。
 幻術だか魅了の術だか、はっきりとした原因は分からない。けれどジョシュアは、先程から宙に浮かんで楽しそうに観戦している魔族の言いなりのようだった。
 ただでさえ厳つい顔立ちを何故だかいつも以上に顰めながらジョシュアは、助けに駆け付けたエレナとセナを相手に素手で大立ち回りだ。その攻撃の加減に少しばかり違和感を覚えながらも、エレナ達はジョシュアを御そうと奮闘していた。

「やっぱ俺って最高じゃん。変に耐性があったけど、あの女の眷属相手にやってやった! あっははははッ!」

 ひとりの吸血鬼に翻弄されているハンター達を嘲笑いながら、その魔族はケラケラと高笑いを上げていた。
 腰と背の中程より生えた蝙蝠のような大きな翼で宙に浮いたそれは、長く尖った耳とマーコール山羊のような角を生やした、白髪の少年――あるいは少女のような姿をしていた。
 雪のように白い肌をほんのり赤らめ、アメジストのように煌めく目をうっそりと細めている。両手で顔を包み込みながら恍惚とする様はどこか扇情的で、少女とも少年ともつかない中性的な容姿も人間の劣情をより一層煽ってくるかのよう。
 ゾクリと匂い立つようなその色香に、エレナですら一瞬くらりとした。ほんの少し、それから立ち昇る魔力を浴びただけなのに。エレナはその危険性に舌打ちを打った。
 成る程、これではギルドの中にまで入り込まれてしまう訳だ。吸血鬼すらこうして取り込んでしまえる程の魔力。多少は抗えたとして、何度でも繰り返し浴びせられてしまえばひと溜まりもない。どうにかして、アレの影響下からジョシュアを引き剥がさなければ。

 そう思ってはいても、簡単にいくはずもなかった。ジョシュアを捕まえるのがそもそもひと苦労な上に、素手とはいえ馬鹿力の反撃を貰ってばかりいたらエレナ達の身が保たない。接近戦を好む吸血鬼の間合いに入るだなんて、自殺行為もいいところだ。
 かと言って、エレナの得意とする魔術を使うわけにもいくまい。下手をすればジョシュアは、この場所諸共消し炭だ。そこまでの博打を打つ必要はない。
 こんな時にはひとつ、偶然得てしまった魔族隷属の印が役に立つには違いないのだが。エレナはそれに頼る気なんて更々なかった。
 そもそもが隷属の印だなんて、二人には不要なものだったのだ。きちんとお願いをすれば頼み事なんてすぐに聞いてくれるし、いっそすべき事はないかと自分から進んで行動してくれる。ジョシュアは元々、そういった優しい男なのだ。時々やらかしてはくれるが。

 そんな彼が、人で無くなってしまったことが悔やまれる。しかもそれが、彼にとってはどちらかと言えば喜ばしいことであると理解できてしまって。エレナを一層遣る瀬無い気持ちにさせる。自分があの時、ハンターになるだなんて言わなければ。エレナはいつも考えてしまう。
 早いところこんなものは放棄し、元のジョシュアとの関係に戻るつもりだったのだ。だが生憎と、彼女の知り合いである魔術師は任務で長期不在だった。魔術師はハンターギルドの中でも貴重だ。それも、【S】級並みの実力となれば引く手数多だ。エレナも半分は魔術師の扱いだが、同じ【S】級の本職には負ける。あくまでも、エレナは剣士には違いないのだから。

 吸血鬼を隷属したのも放棄できずにいるのも不幸な巡り合わせ。エレナは、この嫌な流れに背筋を震わせた。
 あの魔族は危険だ。一刻も早く排除しなければならない。【S】級ハンターとしてのエレナの勘がそう告げていた。

「ははっ、ここしばらく人間喰ってなかったから気分がいいなァ――、おい、『何をしているのだ馬鹿者! 早く其奴を仕留めんか!』そんな人間共さっさとヤッちゃえよ、俺の吸血鬼」

 その魔族が、さも楽しそうに告げたその言葉を皮切りにだった。
 エレナ達はその変化を感じ取る。しかし、彼等は行動を変える事なくただ、その場で淡々とぶつかり合うのだ。
 生きるか死ぬか、だまくらかしあいの始まりである。
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