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王都とギルド潜入
27.思うところ
しおりを挟むセナとエレナが二人でジョシュアを寝室へと運び込む頃には、彼はもうすっかり眠り込んでしまっているかのようだった。
力の抜けた身体をドサリとベッドへと下ろすと、やけに青白い顔がエレナの目に入る。彼が日に当たれなくなって早半年以上にはなるのだが、その血色の悪そうな肌色はその吸血鬼としての性質故か、それとも元々なのか。エレナはぼんやりとそんな事を考えていた。
「服、このまま?」
「んな訳にはいかないでしょ……靴脱がせて、下を緩めてあげて」
エレナは少しだけ躊躇した後で、シャツのボタンに手をかけた。ひとつ、またひとつと外していくにつれ、首元が緩み首筋が露わになる。
2、3個程外した所でふと、エレナは手を止めた。眠る彼の首筋に、傷を見つけたのだ。
4ヶ所の引き攣れたような傷の跡。見間違うはずもない。生前の彼の死因だろう、吸血鬼の噛み跡だ。あの恐ろしい、女吸血鬼の仕業。
エレナはどこか物想いに耽るように、しばらくその傷跡を見つめた。心中は複雑だ。
優し過ぎるからと、パーティからの離脱を許したその男がまさか、その時まで辞める事なくハンターを続けていたとは。彼女は想像すらしていなかったのだ。
あのまま普通の暮らしに戻り、一般的な平和な仕事に就いて家庭を築いて。子供でもできて、どこかで幸せに暮らしているのだろうと、そう思っていた。思い込んでいた。
今更昔の仲間が彼に会いに行った所で、普通の幸せな生活との違いに打ちのめされてしまう。だから、会いに行かなかった。
まさか、それを今更後悔する事になるとは。エレナはとても、やり切れなかったのだ。自分の所為だ。彼がこんな事になったのは、多分、自分があの時誘ったせいだ。そう思うと、どうにも悔しい。
あの時こうしていれば。あの時に彼を探してさえいれば。ついつい、こんなところで物思いに沈んでしまう。
エレナがぼうっとそんな事を考えていた時だった。ふと、隣から声をかけられた。
「ねぇ、あの時さぁ、俺聞いたじゃん? タイプなの、って。実際どうなの? 何でこんな、コイツの事、面倒見てんの?」
セナだった。いつもの、揶揄うような笑みを含んだようなものではなく、どこか白々しく、探るような目つきだった。
「別に、アンタが想像したようなもんじゃない。――どちらかといえば、兄妹に近いかしら?」
「ふうん?」
「……同郷なのよ、私達。二人共孤児だった。食い扶持に困ってやれる事なんて、子供の私達には限られていたから」
「兄妹、ね? コッチはそうじゃないような気もしたけど」
そうセナ告げられた途端、エレナは固まった。一瞬、何を言われたのか理解できなかったのだ。じっくりと内容を噛み砕いて理解される頃には、彼女はどうしてだか微かな怒りを覚えていた。
「は? 何、馬鹿な事言ってんのよ……コイツの好みはね、黒髪の大人しそうなおっとりとしたコなの。私とは正反対よ」
「へぇ……?」
「ちょっと、さっきから何なのよ。物凄い腹が立つんだけど」
「べっつにぃ」
「……こっちは終わったから、後は任せたわよ」
エレナはそう言ったかと思えば、ポカンとするセナを置いて足早に寝室を出て行ってしまったのだった。当人にも、なぜそれほど腹が立つのかは分からなかった。
兄妹の思い出を穢された気がしたからだろうか。それとも、女である彼女には解らない事を、たった半日ほど話しただけのセナにとやかく言われたせいだろうか。本人にも分からない。けれども確かに、彼女にとってのジョシュアは、大切なひとである事は確かなようであった。
パタン、と音を立てて部屋の扉が背後の方で閉まった。
その音がまるで、自分と彼らとを隔てているもののように思えて、けれどもエレナは真っ直ぐに前を向いた。
窓から差し込む陽の光に、いつもは新しい朝を感じて清々しい気分になるというのに。今はそれが、彼女には酷く煩わしいもののように思えた。
エレナは静かな夜が好きだった。自分の何もかもを覆い隠してくれる、正体を忘れさせてくれる、夜の闇。
その時ばかりは、エレナは自分が女である事を忘れられるのである。
◇ ◇ ◇
「えええー……マジでか。何あれ、怖ッ、機嫌わるッ」
ひとり、ジョシュアの眠る寝室に取り残されてしまったセナは、部屋の外、扉の向こうに消えていったエレナを見送りながら小声で呟いた。
別段、彼に悪気は無かったのだ。いつものように思った事を口に出しただけ。それがどうしてだか、今回ばかりはエレナの気に触ったらしい。
いつもいつも、エレナからは説教ばかり聞かされてきたセナだったが、ここまで訳の分からないものは初めてだった。
恐らく、二人の関係に関わる事なのだろうけれども。セナには皆目見当もつかない。――否、分かるような分からないような。
他人をそんな風に想った経験のないセナには、到底分かり得ない事だった。その内に、自分にもそれが分かる日が来るのだろうか。
今のセナには想像も出来ない事だった。家族なんて、出来たこともない。
そんな暗い考えを追いやるように首を振ると、彼は残された目の前の男を眺めた。ぐっすりと眠りこけて、他人の屋敷ですやすやと良いご身分である。
あの戦闘は、つい半日程前の事。
自分の攻撃をことごとく避けてみせ、逃げ回り、終いにはセナに一撃を浴びせた曲者。未だ嘗て、強さに自信を持っていたセナをここまでコケしたモノはいなかった。
そして極め付けは、あの女吸血鬼の言い放った言葉。『真っ先に死ぬのはお前だ』なんて。彼のプライドは酷く傷付けられた。
この世に跋扈する怪物どもを退治するハンターとなってからは、セナはごぼう抜きの活躍を見せてきた。
ハンターとして登録されてより数年ほど。あれよあれよと言う間に【A】ランクにまで昇りつめた。今や、【S】ランクにも等しいと言われる程。単純な戦闘力だけで言えば、同ランクには彼に敵う者などいなかった。誰も彼も、彼の姿を見れば大人しくなった。既に彼の名は、【S】ランクに匹敵する程各地に轟いている。
ハンター達の夢、エレナの到達した【S】ランクまで、彼はあと少しの所までせまっていた。だからこそ彼は、自分自身の強さを誇っていた。それだけが生き甲斐だったのだ。
それがしかし、どうだろう。
彼はつい先ほど、真っ先に死ぬとまで言われてしまったのだ。血も碌に飲まない吸血鬼もどきにも劣ると、言われた気がした。
手元にまで来ていた夢の光が、唐突に遠ざけられたようにすら感じられた。彼自身、自惚れていたのだろうと思いはすれども、目の前にいる男よりも弱いなどとは、認めたくはなかった。
顔だけが恐い逃げ腰野郎に劣るなど。セナには到底受け止められない事だったのだ。
そうやって目の前の男を睨み付けながら、彼はしばしたたずんだ。
寝起きを襲えばこんな奴、なんて思ってもみた。けれどもそんな事をすれば破滅するだなんて、馬鹿でも分かるような事だ。ただ認められないだけ。もう少し。もう少しすれば、セナはいつもの自分に戻る事ができる。
ポッと出の奴に、エレナの信用も戦闘力の高さも何もかも、セナの誇っていたものをみな持っていかれたとしても。彼はどうにかして、それらを呑み込むしかないのである。ひとりは慣れているのだから、今更何とも思わない。そう思い込ませるしか、なかった。
いつか自分が、この男を受け入れられる日は来るのか。それは、この時のセナには、全く想像もつかない事であった。
と、そんな事をひと通り思い悩んだところで、セナは思考を切り替えた。どうしようもないことはいくら考えてもどうしようもない。きっぱりと忘れ、次の事を考えるに限ると、彼はそれをよくよく理解していた。どうにもならないことなど、この世にはいくらでもあるのだから。
目の前の男に再び意識を向ける。あとは、この男に毛布でもかぶせてやればエレナも満足だろう──と、毛布に手をかけながら考えたところで、ふと、彼はある事に気が付いた。先ほど男を抱えたところで、腰のあたりに違和感があった事を思い出したのだ。
そういえばナイフを使っていたっけなあ、なんて思いながら、男のシャツの裾を腹の上の方まで見えるように捲りあげる。きちんとした恰好に着替えた割に、シャツの裾をスラックスの中へ入れていなかった事を疑問に思っていたのだ。だからきっと、何かある。それはセナの直観だった。
すると案の定、セナが考えていた通りのものは、やはりそこに装備されていた。男――ジョシュアの腹を囲むように、黒く太いベルトが巻かれ、腰のあたり、利き手で取り出しやすいような位置にナイフのホルスターが装着されていたのだ。ナイフは暗器程に小さなものが二本、刺さっている。
ピッタリとした黒い肌着を身に着けているせいで余計に分かりにくくなってはいるが、月明かりの中でも、セナにはそれが十分に見て取れた。
それが男の護身用である事は間違いようもなく。なるほど、長年ハンターをしているだけはあるなあ、なんて、少しばかり感心してしまって。そんな自分の思考に気付いてしまって、何故だか悔しい思いをしたというのは、彼だけの秘密である。
セナはそのホルダーに手をかけた。ぐっすりと眠るには締め付けがキツ過ぎるだろうと思っての、彼にしては酷く珍しい、彼のやさしさだったのだ。だが、その時だった。
眠りこけていたはずのジョシュアが、突然、己の腹に触れる彼の手をガッシリと掴み上げてきたのだ。
すっかり意識などないと思って油断していたセナは、内心で悲鳴を上げる。
そして同時に、ジョシュアはガバッと素早く起き上がったかと思うと。セナの腕を腹から引き剥がし、その肩にまで掴みかかったのだった。寝起きだとは思えない程に俊敏な動きをした男は、何故だか少し怯えているようにも見えた。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔で動けぬセナと、焦ったように彼に掴みかかっているジョシュア。
混乱したまましばらく、二人は至近距離から見つめ合ったのだった。
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